山椒魚
□彼女には向かない職業
1ページ/2ページ
no side
鱒二の華奢な肩がピクリと揺れる。
遠くから荒い足音が聞こえたからだ。・・・真逆、目的地はこの部屋だろうか?
「・・・龍太、誰か来るかもしれない」
部屋の主である彼は、最近居座り始めた『腐れ縁』の友人に声を掛ける。
友人は寝転がっていた寝台からのそりと起きあがり、大きく伸びをする。その動作のゆっくりさを見て随分この場所に馴染んだな、と苦笑した。
「ふーん。・・・洋服棚にでも隠れてればいいのか?」
「・・・・・・うん、まぁそれでいいよ」
洋服棚に隠れる龍太って何か面白いなぁ。でも変な事をしなければバレる事はまずないよね?
そう考えて鱒二は軽く頷く。
その数秒後、突然の来訪者が訪れた事で、鱒二の予想は美事に中ったと証明される。
――――――――――
―――――――
―――――
「鱒二さん!いらっしゃいますか!!?」
「樋口ちゃん。・・・随分慌てているね、何かあったの?」
バンッ!!という大きな音と共に勢いよく扉を開けたのは、芥川龍之介の部下、樋口一葉だった。普段は比較的冷静沈着な彼女だが、今日は随分焦っているように見えた。
鱒二は彼女の抱えた問題が芥川に関わっている事だろうと瞬時に理解出来た。
それにしてもあの広い敷地を走って来たのだろうか。樋口は息を整えるために、扉の傍に立ったまま深呼吸を繰り返している。
鱒二は彼女が落ち着くのを見計らってから紅茶を手渡し、椅子に座るように促した。最初は狼狽えていた樋口だが、鱒二に押し切られおずおずと席に着く。
彼女は下を向いたままゆっくり話を始めた。
「実は・・・・・・」
鱒二は樋口の話大人しく聞いていた。その話し方は実にたどたどしく、彼女が未だに混乱している事が窺えた。
「・・・そうか、芥川君がそんな大怪我を」
「私も見つけたときは驚いたんです。・・・真逆あの芥川先輩があんな怪我をするなんて!」
「・・・・・・」
彼女は今にも泣きだしそうな顔で云う。鱒二はそれでも彼女を静かに見つめた。その瞳は子を見守る母のような優しさがある。
しかし、それから一呼吸分ほど間を空けてから彼は言葉を紡いだ。
「少し気になる事があるのだけど、訊いてもいいかな?」
「・・・はい、何でしょう?」
「じゃあ芥川君の怪我の事は一旦置いといて、君が落ち込んでいる理由は他にもあるのではないかな?」
もし良ければそっちも俺に教えて。そう云うと樋口は目を見開いた。何故判ったのだ、という所だろうか。
彼女はそのまま黙っているわけにはいかず、少し云い辛そうに口を開いた。
「・・・・・・首領に『この仕事に向いていると思った事は有るかね』と訊かれました。その後、黒蜥蜴の連中にも『我らが従いたいと思わせる何かが有るか』と」
「・・・・・・あぁ、成程。そう云う事か」
慣れない仕事を懸命に熟している人間がこんな事を訊かれては落ち込むのは当たり前だ。
俺もそんな事云われたら本格的に引き籠りになるかもしれないなぁ。
本人には絶対に伝えられないような事を心中で考えながら、鱒二は樋口に向かって更に疑問をぶつける。
「・・・樋口ちゃんはさ、マフィアを辞めたいと思った事はある?」
「そ、それは・・・・・・。正直に云うと、あります」
「・・・・・・そっかぁ、そうだよね。マフィアって物騒だし、善人がやるものではないし。俺も樋口ちゃんにマフィアは似合わないと思うよ」
意を決したように心中を素直に話した樋口への敬意で、鱒二も自分の思いをバッサリと云い放つ。
彼はそのまま自然な流れで、紅茶が入ったの器の取っ手に白く細い指を掛け口に運ぶ。その一連の繊細で美しい動作に樋口はつい見惚れてしまった。
鱒二はそのまま言葉を続ける。
「だって君は優しいし、人を捻じ伏せられるような力だって持ってはいない」
「確かに鱒二さんの云う通りです。でも、貴方だってとても優しいではありませんか!」
「優しい、か。有り難う、そう云って貰えるのはとても嬉しい」
彼女の言葉に鱒二がふわりと微笑んだ。それは彼の心からの笑顔である。
「でも残念な事に、俺には人を簡単に殺せるような力があったから・・・きっとマフィアに向いているのかもね」
彼の顔に少しだけ影が出来る。その表情は寂しそうな、悲しそうな・・・そんな顔をしていた。
樋口は少しだけ驚いた顔をした。彼女は鱒二が戦える事を知らなかったから。
_