山椒魚

□幕間A
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no side


「―――林太郎!!」


バンッ!という大きい音を立ててポートマフィアの首領の部屋に飛び込んだのは、現在首領によって軟禁状態になっている井伏鱒二だった。
ここまで走って来たのだろうか、自身が危険な時でさえ冷静だった彼が珍しく慌てているように見える。
首領―――森鷗外は少しだけ驚いた顔をした。


「君がこんなに慌てているのは珍しいね。如何したんだい?」


鱒二は先日の樋口一葉と自分が同じ事をしているという既視感(デジャブ)を感じつつ、口を開いた。


「・・・紅葉さん知らない?」


「それは、今の君の格好に関係しているのかな?」


「質問に質問で返すのは如何かと思うんだけど・・・。まぁそうだよ」


鱒二は尾崎紅葉を捜していた。

却説(さて)、それは何故なのか?理由は数時間程前に遡る。



――――――――――

―――――――

―――――


鱒二は本日も部屋から出る事なく、のんびりと過ごしていた。横には飯田がべったりくっ付いていたが、それにはここ数日でもう慣れてしまった。
すると突然、鱒二の躰が小さく反応した。


「龍太」


「・・・誰かこっちに来てるな」


「そうなんだけど、今日は洋服棚には隠れない方がいいかも」


「あー、もしかして遣うのか?」


「・・・・・・多分」


「判った」


そう云うと彼は何故か風呂場に引っ込んだ。鱒二の部屋には生活に必要な物凡てが一式揃っている。台所や風呂もその一つだ。それは鷗外が鱒二を閉じ込めるのに必要だったものである。
実の所、監禁生活当初は鉄の足枷と長い鎖も付いていたのだが、それはまた別の話だ。

閑話休題。

飯田が隠れた直後、足音の主がノックもなしに扉を開けた。
その人は華美な着物姿の女性――尾崎紅葉である。鱒二は飯田を洋服棚に隠さなかった事に心底安堵した。


「紅葉さん。ノックくらいしようよ」


「それは済まんのぅ。此方も急いでおった故」


「急ぎの用事?・・・貴女が俺に?」


「そうじゃ。今日は振袖ではなく『これ』を着てもらおうと思うての」


「・・・・・・」


そう云って紅葉が寝台の上に放り出した物に、鱒二は言葉を失った。または唖然とした、とも云う。それくらい鱒二にとって衝撃的だったという事だ。


「・・・これ女給服だよね」


「その通りじゃ」


そこにあったのは女給服、但し着物に白のフリルエプロンという和装では無く、クラシカルタイプのメイド服という洋装だ。
一体これを何処で手に入れてるのか・・・。
そんな事をぼんやりと考えつつ、鱒二は重々しく口を開いた。


「紅葉さん。何度も云ってると思うんだけど俺、男だよ・・・?」


「その様な事良く知っておるわ」


「じゃあ何で持ってくるの」


「そなたの顔なら似合わない、などという事はないであろう」


「・・・矢っ張り着ないと駄目かな?」


鱒二が恐る恐る訊くと、紅葉は一つ頷く。こうなった彼女は梃子でも動かない。その事を良く理解している鱒二は渋々女給服に着替える事となった。



◇ ◆ ◇


不本意ながらも女給服を美事(みごと)に着こなして見せた鱒二は、不満顔で紅葉の前に立っていた。それとは逆に紅葉はとてもご満悦のようだったが。


「・・・満足?」


「嗚呼、充分じゃ。本当にそなたは愛いのう」


「褒められてる筈なのに全然嬉しくない」


紅葉はまるでぬいぐるみをを扱うように、可愛い可愛いと鱒二を抱き締めた。彼の言葉は完全に無視である。


「ふむ。折角良い出来のようだし、今日一日はそのまま過ごすと善いぞ」


「・・・・・・へっ!?あの、ちょっと!?」


満足したであろう彼女はそう云い放つと、鱒二の私服――男物の服を全部持って部屋から出て行った。
鱒二は最初何を云われたか判らず呆然としており、慌てて声を上げた時には既に紅葉は目に前から消えていた。
・・・えっと、これ如何いう事態!?
そう混乱していると後ろからガチャリと音がした。


「満寿二ー?もう終わったかー・・・・・・って、は?」


「りゅ、龍太・・・」


鱒二は床にペタリと座り込んだまま後ろを振り向いた。




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