夢話
□好きだから
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置屋での業務を終えると日頃藍屋を贔屓にしてくれている上客に挨拶に向かう。
いつもの日課だ。
客が来てよかった、また来たい。そう思ってくれるように今日も笑顔を顔に貼り付け気を配る。
でも最近気に入らない事が出来た。
秋斉「おばんどす、今日もご贔屓に枡屋はん」
枡屋「秋斉はん、今日も繁盛してはりますね」
秋斉「はは、枡屋はんにいつも助けて頂いてますさかい。いつもおおきに」
枡屋「いえいえ…」
千姫呂「枡屋さん、どうぞ」
当たり障りの無い会話の中、隣でお酌をしている千姫呂。
その彼女を見るこの客の目。
枡屋「千姫呂はんはほんまにかいらしい。このかいらしい顔を見ていたら、また次の日も来たいと思うてしまうのが男の悲しい性や」
千姫呂「あ、ありがとうございます…」
千姫呂の着物の裾を撫でる動作。
気に入らない。
そんな事は微塵も気付かれないよう笑顔でいる自分も。
秋斉「千姫呂はまだまだ一端の遊女にもなれてへん新造ですよって、ご迷惑お掛けしてまへんですやろか」
枡屋「迷惑やなんて、千姫呂はんはかいらしいだけでなく気立ての良い優しい娘です」
秋斉「そら、よかったですわ」
そない事わても知ってるわ。と喉まで来た悪態を呑み込むと弧を描いたままお辞儀をする。
秋斉「では、枡屋はん。本日もごゆるりと」
枡屋「へえ、おおきに」
障子を開け座敷を後にすると、一つ息を零してしまい慌てて扇子で口元を隠した。
(あかん…)
楼主における感情ではあり得ない事。と自責しながら置屋に帰ろうと階段を降りていると、パタパタと後ろから足音が聞こえてきた。
千姫呂「秋斉さん!」
自分を追ってきたであろうその足音にじわり、と胸が温かくなったが冷静を装って振り向く。
秋斉「千姫呂はん、お座敷中にどないしはったん」
千姫呂「あ、お酒のおかわりをお願いされました。あと…」
秋斉「...あと?」
眉を下げて何かを言いたげな千姫呂。何か困った事でもあったのかと言葉を待つと小さな口がおずおずと開いた。
千姫呂「私、何か仕出かしちゃいましたか…?」
思ってもみなかった問いかけに目を見開いてしまう。
秋斉「いや、なんも悪いところなんてありゃしまへんでしたけど…」
私の言葉にほっと胸を撫で下ろしたのか千姫呂は胸に手を当てて「よかった」と呟いた。
秋斉「なんかありましたんか?」
千姫呂「い、いえ!ただ、ちょっと…秋斉さんが怒ってるように見えて…すみません」
秋斉「...............へえ」
千姫呂「じゃあ、私お座敷に戻りますね!足止めしてすみませんでした」
千姫呂はぺこり、とお辞儀をした後、また足早に階段を登っていく。
その彼女を見送る私はどんな顔をしていたのだろうか。
楼主として情けないような、でもどこか嬉しいような。
秋斉「よう……見てはる」
初めての複雑な心境を隠しきれず、思わず口が緩むのを手で覆った。
秋斉「ほんま、かなわん…」
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