Innocent Dream

□Chapter4
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「はーーーー…。」
おわった。
何が、だなんて断言したくないし考えたくないが、今日の部活で起きた「ツッキー」事件は自分でも忘れられないくらいの失態だった。今後引退するまでいじられそうな気がしてならない。それよりも、名前を間違ってはいないが、ほぼ間違ったような呼び名で呼ばれる月島の方が被害者だ。名無しさんは申し訳ない気持ちと恥ずかしさでもう一度盛大なため息を春の夕焼け空を仰ぎながら吐いた。
後ろから吹奏楽部の演奏の音がする。
トランペットにトロンボーン、サックスやフルート。クラリネットだって忘れられない。低音の温かい音も響く。パーカッションのリズミカルな刻みがアクセントになって音が一つにまとまって…。
「おおおおーーーーーーーーーいいいい!!」
声…。そう声楽も一緒になったらきっともっと素敵になる。

…声?

名無しさんは吹奏楽への思いを馳せるのをやめ、即座に振り返った。
「名無しさんさあああああーーーーーーん!!!!」
「え゛っ!?ちょっ。まって!!」
後ろからバレー部のオレンジ髪の少年が追いかけてきた。
防衛本能か、条件反射か、もはやどちらもが「逃げろ」という思考に至って、名無しさんは咄嗟に逃げる。
「えっ?!まってほしいのはこっちだよ!!なんで逃げるんだ???」
「わかんない!!!!」
距離がお互いにあるため、叫びながらの会話になる。
声がかれそうで、体力も追いつかなくて、膝が笑ってきたところで息を弾ませながら、ようやく名無しさんの足は止まった。
後ろからすぐにオレンジ髪も追いついて止まる。ここで彼の足は相当速いことに気づいた。
「はー…!名無しさんさん、はやいね…っ!」
「いやいや…っなんか、逃げて、ごめん」
オレンジ髪はもうすっかり息を整えて名無しさんに笑いかけた。
名無しさんはまだ弾む息を必死に整えながら聞いた。
「あの、ごめん。名前、教えてもらえないかな?」
途切れ途切れでそう言う。
彼はニカっと笑いながら告げた。
「俺は日向翔陽!!」

太陽みたいだな、と思った。


「名無しさんさんは、今から帰り?」
「呼び捨てでいいよ。帰り…帰りだね。」
「じゃあせっかくだし一緒に帰んねー?影山も一緒だし。」
「影山…?」
「おう。王様だよ、セッターの」
「セッター…。あぁ!すごくしなやかで上手だった人!」
「ぐっ…ま、まぁそうだけど。」
なぜか日向は悔しそうだ。苦々しい顔で口を歪め、もごもごしている。
「おう、日向」
「あっ、影山!」
「どうも…。」
「…うす」
影山は名無しさんを見ると首をかしげた。
「…名前なんでしたっけ」
無駄に丁寧語なのが影山の外見と似合わなくて少し笑った。
「名無しさんだよ」
「…あー…。名無しさん」
影山も人の名前を覚えるのは得意じゃなさそうだ。
三人揃ったところで歩き出す。
主に会話は日向が持ちかけるが、その途中で思い出したように言った。
「そういえばさー。なんで名無しさんって月島のことツッキーって言ったんだ?わざと?」
「ちっ、ちがうよ!あの呼び方しか知らなかったの」
日向が無邪気に聞く。それを慌てて弁解する名無しさん。
影山があくびをしながら続けた。
「そーいやあいつ更衣室でいじられてたな。あと山口をシメてた。なんでだ?」
山口くん本当にすみませんでした。
明日の朝絶対に謝ろう。
今まで忘れていた羞恥心やなんやらが日向と影山の発言によって一気に思い出された。
本屋に寄らなければいけないため、いつもとは違う道を通る。
ここで日向と影山とはお別れだ。
「今日はありがとう。あと、そのことはできるだけ早く忘れてね」
「?わかった。」
「?うす。」
二人は「?」を浮かべながらも、しっかり頷く。
二人と別れ、すっかり暗くなった道を今度は一人で歩く。地元だから迷子になることもないし、暗い中でも平気だ。
また一人になって本日三度目のため息。
「はあぁあああーーー…。」
とぼとぼ歩いていたはずなのに、いつのまにか本屋についてしまっていた。
姿勢を整え、本屋の自動ドアを通る。
店内からはいらっしゃいませーと気の抜けたバイトの声が聞こえた。
名無しさんは迷わずスポーツ誌のコーナーに向かい、バレーに関する本を探した。
本を選ぶ際、名無しさんは特にこだわりもないため、さっさと決められる。
今回も中身をさらっと読んで決めようと思い、読んでいたら案外面白かった。
勉強は特別好きではないが、新たに知識が入ってきて心地よい感じが、名無しさんは好きだった。

しばらくして夢中になってしまったことをようやく自覚し、ふと目をやるとどういう悪戯か、今日一番会いたくない人が隣に立っていた。
「…つ、つき…」
「月島」
「覚えてるよっ」
名無しさんはそう言ってはっと我に返った。月島はもうこちらを気にすることなく有名なスポーツ誌を読んでいる。
申し訳ない気持ちに苛まれながら、名無しさんはこの際だからここで謝ろうと思った。
「あの、今日は、本当にすみませんでした」
敬語になってしまったが気にしない。むしろ敬語の方がいいだろう。
だが月島は尚も黙っていた。名無しさんは月島がそういうタイプの人間だとは気づいていたし、この無言は許してくれたと受け止め、それよりも謝れたことにほっとし、またバレーの本を読み始めた。
ぱら、ぱら、とページのめくる音が互いに混ざって空気の中に溶ける。

結局面白くなって全部読んでしまった。名無しさんは家でもう一度読み直そうと思い、本を手に取りレジへ向かおうとすると、何かが背中に軽く当たった。
振り返るとまず目に入ったのはバレーに関するらしき本。そしてそれを持っている白く少し骨ばった手、目線を上げると烏野の学ランに白いヘッドホン。そして月島の顔が見えた。
「…え?」
名無しさんはしばらく状況が理解できずに月島の顔を呆然と見ていたが、月島が少しむっとして本でまた背中を小突く。そこで名無しさんは本を手に取り、ぱらぱらとめくる。
その本は名無しさんにとって初めて見る本だった。同じ棚からとったのだろうか。
それにしても今までみた本の中で一番わかりやすい本だった。本から目を離し、再び月島を見る。
「あ、ありがとう」
名無しさんは戸惑いながらも礼を言った。
「それなら、名前間違えるような人でも、少しはわかるんじゃないの」
だが、月島はやはり今日の事をまだ根に持っているようだ。少しニヤッとして上から目線な感じが、なんとも言えない。
「ていうか…。自腹ですよね」
「当たり前でしょ」
今度はメガネをくいっと上げながらそっぽを向く。もうこれ以上話す気はなさそうだ。
「…じゃあこっちにします」
名無しさんはせっかく勧めてくれたのだし、ということで買う予定だった本を棚に戻し、月島から受け取った本を買うことにした。

家に帰って読んでみると、やはり月島の勧めてくれたそれはかなりわかりやすく、名無しさんの頭にすんなりと入ってきた。
そして明日には山口に謝罪をし、月島にもう一度礼を言おうとぼんやり考えながら、名無しさんは眠りについた。

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