傍観者の干渉

□夕暮れの邂逅
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「いやぁ、申し訳なかったね。実にアタシでは彼を助けられなかっただろう。キミが居てくれて、本当に良かった!」

 少年の濡れた手を気にせずに、その人は少年の手を掴み、千切らんばかりに激しく上下に振る。だが、身長差が悲しいかな。その人に取っては角度が大きいのだろうが、少年に取ってはそうでも無かった。
 流れていたのはどうやら青年と言える年齢の男であった。

「あ、あの……この人のお知り合いなのですか?」
「うん? んー、そうでもないと言えるしそうでもあると言えるね。」
「はい?」

 着衣泳をした体力が未だ回復していないのだろう。疲れた顔で少年は首を傾げる。
 腕を組み、右手の人差し指を立てたその人は小難しい事を並べ立てる。

「あのね、認識とは人其々で変わってくる物だ。小生に取っては、確かにこれは数知れぬ悪癖を有する、他に類を見ない悪運を持った類い稀なる変人にして、至極面白可笑しい友人ではあるものの、彼から見た小生が友人であると誰が断定出来る? 疑い出せばヒト等、キリが無いものだよ。」
「そ、それはそうかも知れませんが……」

 僅かに困った顔をするその人以上に、少年は困っている。空腹で判断力や思考能力が鈍った今の状態で、その様な事を言われても何にもならない。それこそ腹の足しにならず、だ。
 どうやらその人は目付きの鋭さが与える気難しさ以上に表情が豊かな様だった。

「……それにしても。ふぅん……」
「……あの、僕が何か……?」

 小難しい理論を並べ立てたと思えば、その人は少年を上から下まで舐める様に観察する。不躾な視線に少年が耐えきれずに声を出すと、真剣な表情とはうって変わって、にこやかな笑顔でその人は両手を振る。

「いや、申し訳ない。パッと見が浮浪者の類いに見えなくてね。見るにキミは何処かの施設から逃げ出すか追い出されたクチだな? 小生は生憎と篤志家云々では無いが、有り難くもそれを助けて貰った礼だ。何処か料理処にでも行って、キミの好きな物を奢ろうか。……それが。」
「本当ですか?!」

 一気に目を輝かせる少年に、何か面白い物でも見たのか、その人は僅かに笑い出す。その瞬間だ。青年が意識を取り戻し、いきなり起き上がったのは。

「うおっ!」
「おや、御早う。救急救命をする必要もない程度には、元気そうであったから放置させて貰ったよ。」
「あ、あんた川に流されてて……大丈夫?」

 驚く少年と、左手をヒラヒラと振りながら頬笑むその人。事態を把握したのか、少々嫌そうな表情で青年は呟く。

「――助かったか。」

 だが、青年がお礼を言う気配はない。礼どころか。

「ちぇっ。」

 随分と間を開けて不満を漏らした。その様子に、少年は一言言いたそうにしていたが、その前に青年が言う。

「君かい? (わたし)の入水を邪魔したのは。それは非力だから放っておいてくれれば上手く逝けたのに。」
「邪魔なんて! 僕はただ助けてくれと……!」
「小生をそれ呼ばわり。良い御身分だな。」

 自分の事を棚に上げ、その人はそう言って苦笑を溢す。
 そこまで言って少年は気付く。はて、この男は何と言ったか。

「――入水?」
「知らんかね、入水。」
「つまり自殺だよ。」

 何でもなさそうに言う青年と、その言葉を引き継ぐその人。少年は驚く自由しか残されていなかった。

「は?」
「私は自殺しようとしていたのだ。それを君が余計なことを――」

 そう言ってブツブツ呟く青年に、また一言言いたそうにする少年。僅かに笑いながらその人は口を開けた。

「だから言ったろう? それは悪癖を有していると。自殺嗜癖なのさ。様々な自殺をしようと試みるが凡て失敗している。」
「は……はぁ。」

 常識が通じぬ二人に、少年は引くしかない。
 やがて立ち上がる青年が、肩を竦める様な声で少年に語り出す。

「まぁ――人に迷惑をかけない清くクリーンな自殺が私の信条だ。だのに君に迷惑をかけた。これは此方の落ち度。何かお詫びを――」

 しかし、その口上は長くは続かない。少年の腹の虫が盛大に鳴ったからだ。
 先ず青年と少年が顔を合わせ、少年とその人が顔を合わせる。最後にその人と青年が顔を合わせて、二人はくすりと笑う。

「……空腹かい、少年?」
「先程その話をしていたばかりなのだよ。そうだね、少年。」

 微笑ましそうに少年を見る二人。心なしか優しい声色のその人の声に釣られるように、少年は頷きながらも肯定をする。

「じ、実はここ数日、何も食べてなくて……」

 その瞬間青年の腹が鳴った。少年と負けず劣らず大きい音だ。思わず、と言った様に青年に視線が集中する。

「私もだ。ちなみに財布も流された。」

 淡々と事実だけを述べる青年。その人はやけに納得したような声色でブツブツと考え事を展開する。

「……無事だとしても、中身の無事が保証されている訳でもないか。でももしかしたら今から漬かれば……」

 それとは真逆の反応を示した少年は、落胆の色が隠せてない声で青年に詰め寄る。

「えぇ? 助けたお礼にご馳走っていう流れだったのに!」

 だが、青年は至極真面目な顔をして首を傾げるのみだ。

「?」
「「?」じゃねぇ!」

 少年の言う事もごもっともだが、事実財布がないのだから仕方ない。その人は我に返り、挙手をした。

「致し方あるまい。小生が出そうじゃないか。一人分も二人分も変わりはあるま――」
おォーい!

 しかし、その人の言葉は対岸から打ち消される事になった。

「こんな処に居ったか、唐変木!」

 唐変木とは、恐らく青年の事であろうか。長身の男が対岸にいつの間にかに立っていた。いや、目の前のこの自殺嗜癖も長身なのだが、向こう岸の男も背高(せいたか)に見える。

「おー、国木田君。ご苦労様!」
「ちゃんと確保しておいたよー!」

 対岸の男に手を振る青年とその人。どうやら彼の名前は国木田と言うらしい。名字か。

「確保、ありがとうございます。それと苦労は凡てお前の所為だ、この自殺嗜癖! お前はどれだけ(おれ)の計画を乱せば――」

 だが、国木田の怒声は長くは聞かれない。思い付いたように青年が少年に提案をしたからだ。

「そうだ君。良いことを思いついた。彼は私の同僚なのだ。彼に奢ってもらおう。」
「へ?」
「いや、待って。それは(わたし)が……」

 短い驚きと、焦りを聞いた青年は小さく笑う。

「あの国木田君が、まさか女性である君に支払わせるとでも?」
「それもそうか……」

 難しい顔で考え始めるその人。無視されていると知った国木田が喚く。

「聞け!」
「いや、私が聞いてるよー!」
「そうでなく!」

 その人が国木田に手を振る。だが違う。そうではない。届いて欲しい本人には何も届いていない様だ。

「君、名前は?」

 そんな漫才染みた遣り取りさえも無視し、青年は尋ねる。色々と言いたげな表情ではあったが、少年は答えた。

「中島……敦ですけど。」
「ふぅん。」

 それに反応したのはその人だった。国木田で遊ぶのに飽きたのか、腕を組み中島の方を見る。その真剣な表情に中島がたじろぐが、気にせずに青年は歩き始める。

「ついて来たまえ、敦君。何が食べたい?」

 うつむいた、真剣な表情の儘その人も後に着いていく。
 中島はどこかはにかむように、軽く頭を掻きながら答えた。

「はぁ……あの……茶漬けが食べたいです。」

 思わず、と言った様に顔を上げるその人と、驚いた様に軽く目を見張る太宰が笑い始めるのは同じ瞬間であった。

「はっはっは! 餓死寸前の少年が茶漬けを所望か!」
「あはは! まぁ肉よりは体が受け付けるだろうね!」
「良いよ。国木田君に三十杯くらい奢らせよう。」
「駄目だよ、いきなり沢山食べてしまっては。戻してしまうかも知れないだろう?」

 何処がそこまで面白かったのか、仲良く酸欠になりながら笑う二人。国木田は手に持つ何かを振り上げながら、怒声を発した。……手帳か?

「心配する所が違います、乙女さん! 後俺の金で太っ腹になるな、太宰!」

 中島は出てきた二つの名前に反応した。

「太宰? 乙女?」

 ――瞬間、凪いでいた風がいきなり吹いた。

「嗚呼、それはわたしたちの名前さ。」
「私は太宰。太宰治。そしてその人が天宮乙女(あまみやおとめ)さ。」

 静かに笑う二人の表情は、どこか似通っていた。


 ――これが、夕焼けの中の邂逅である。
 
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