傍観者の干渉

□月下の白虎
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 夜も深い時間帯。太宰と天宮と中島は、海に近い倉庫群の中に居た。無造作に積まれた木箱に腰を下ろし、『完全自殺読本』なる本を読む太宰と、その太宰に遠くない位置で同じ様に本を読む天宮。天宮の場合は分厚い文庫本で、最早これだけで鈍器となりそうなものだ。非力と言うのは一種の冗談か、とは思うが、上手く重さを分散させている様である。時折持ち手を変えていた。題名は中島からは読み取れない。
 そんな二人からやや離れた所で引いた様な表情を見せる中島は、取り敢えず太宰に問う。

「……本当にここに現れるんですか?」
「本当だよ。」

 天宮は読書に集中しきっているらしい。返事所か、静かな倉庫内であっても呼吸音がしない。
 中島の心配そうな視線に顔を上げた太宰は、薄笑いで応える。

「心配いらない。虎が現れても私達の敵じゃないよ。こうみえても『武装探偵社』の一隅だ。乙女はね、こう見えて足の速さは社で一番だ。私も全く戦えない訳ではない。」

 それを聞いた中島は体育座りになり、膝の間に顔を埋める。

「はは、凄いですね。自信のある方は。僕なんか、孤児院でもずっと「駄目な奴」って言われてて――その上、今日の寝床も明日の食い扶持も知れない身で。」

 彼の頭の中には、何が渦巻いていたろう。

「こんな奴がどこで野垂れ死んだって、いや、いっそ、喰われて死んだ方が――」
「臆病な自尊心、尊大な羞恥心。……とは、言った物だ。」

 天宮は本を閉じた。上がったその顔の瞳の鋭さは、これまで中島が見た誰よりも鋭い様に思えた。

「事が始まる前に先に言っておこう。小生は、キミの気持ちが分からいではないが、自分を低く見た発言ばかりしていると、自分の能力もそれに吊られるぞ。私は、そういう人を幾人も見てきた。」
「でも、それとこれとは!」
「同じだ。」

 黒い瞳は、心なしか黒く光っているようにさえ思える。

「同じだ。でないと、成長と言う言葉が何の為にあるのか分からなくなるだろう?」

 中島が何かを言いたそうに口を開いた瞬間だ。倉庫の窓から空を見上げていた太宰が呟く。

「却説――そろそろかな。」

 丁度雲に邪魔され見えなかった月が見え始めた様だ。吊られて中島が月を見上げる。

ガタン
「!」

 中島の背後で何かが倒れる音がした。振り返り、確認しても何もない。

「今……そこで物音が!」
「そうだね。」
「少し大きい音だったね。」

 恐がる中島を意に介さず、二人は淡々と言った。

「きっと奴ですよ、太宰さん! 天宮さん!」
「風で何か落ちたんだろう。」
「港は風がよく吹く。」

 中島が注意を促しても、二人は無関心を貫くばかりだ。天宮にいたっては寝る心算か、木箱の上で丸くなっている。

「ひ、人食い虎だ。僕を喰いに来たんだ。」
「座りたまえよ敦君。虎はあんな処からは来ない。」

 上擦った声。天宮は煩わしそうに手を振る。太宰は只淡々と言うだけだ。

「ど、どうして判るんです!」
パタン。
「そもそも変なんだよ、敦君。」

 『完全自殺読本』を閉じる太宰は、可笑しな点を列挙した。

「経営が傾いたからって、養護施設が児童を追放するかい? 大昔の農村じゃないんだ。」
「もっと言うなら、本当に経営が傾いたと云うのであれば、一人や二人を追放した所で無意味なんだよ。他に何人もいるもの。」

 寝たと思った天宮が言う。だが、不思議な事に先程まで居たそこに目を向けても、誰もいない。いつの間に移動したのだろうか。
 声が聞こえるだけだなんて、不気味な。

「小生が経営する施設がもしもそうなったら、迷わず半分は他所に移してしまうね。人脈は広いからきっと皆受け入れてくれる。」
「二人とも、何を言って――」

 そうして月を見上げた中島は言葉を失った。綺麗な満月だったから?

「君が街に来たのが二週間前。」
「虎が街に来たのも二週間前。」

 いいや、違う。

「君が鶴見川べりにいたのが四日前。同じ場所で虎が目撃されたのも四日前。」
「小生が云ったろう? 『武装探偵社』は異能の力を持つ輩の集団だと。巷にはあまり知られていないが、この世にはそう言う者が少なからず存在するのは、これは歴然とした事実だ。」

 中島の姿が急変する。苦しいのか、身悶えし始めた。だが、二人はそこには興味が無い様だった。

「その力で成功する者もいれば、力を制御できずに身を滅ぼす者もいる。」
「大方、その孤児院の職員は虎の正体を知っていたのだろうね。でも、キミには教えなかった。」

 太宰が冷たく告げる。

「君だけが分かっていなかったのだよ。君も『異能の者』だ。現身に飢獣を降ろす、月下の能力者……。」

 最早そこに居たのは中島ではない。件の『人食い虎』であった。白い体躯。間違いない。目撃証言にあった虎、そのものである。
 虎は目の前にいる太宰に襲いかかる。太宰は避けるが、虎の方が速いらしい。混凝土に皹を入れ、木箱を前肢で粉砕する。
 その様を見た太宰が感心したように呟いた。

「こりゃ凄い力だ。人の首くらい簡単に圧し折れる。乙女も来てごらんよ。」
「姿を見ただけで満足さぁ。この様子じゃ調教も出来ない!」

 何処にいるのかは全く不明だが、倉庫内には居るらしい。その事を確認した太宰は僅かに肩を竦める。

「どうだか。君ならば可能では?」
「他人の異能生命体を調教した経験がないから、やー!」
「……おっと。」

 そうした無駄話をしている間にも、太宰が壁際に追い詰められる。天宮が半ば嘲笑うように太宰に声をかけた。

「これがもう少し大人しいのなら良かったのに。」
「……獣に喰い殺される最期というのも中々悪くはないが。」

 どこか苦笑混じりに太宰は迫り来る虎に呟く。

「君では私を殺せない。」

 上げた五指で虎の眉間を軽く触る。どうしたことか、空中で静止した虎が姿を変え始めた。

「私の能力は――あらゆる他の能力を、触れただけで無効化する。」

 虎が中島に戻った。前方に向かって倒れ込む中島を受け止める太宰。だが、少しもしない内に床に向かって放り投げた。

「男と抱き合う趣味はない。」
「うわ、痛そ。」

 いつの間にかに太宰の斜め後ろに立っていた天宮が感想を言う。

「顔から行ったよ? 鼻が痛そうー。」
「知らないよ。」

 どこか困った様な表情をする太宰。それもそうだ。天宮は太宰のコートを掴んでいたのだから。太宰のコートを掴み、それ越しに中島を見る意味とは。

「おい、太宰!」

 そう言って倉庫内に入り込んできたのは、誰であろう国木田であった。太宰は倒れてる中島を指差す。

「ああ、遅かったね。虎は捕まえたよ。」
「!」

 それを聞いた国木田の足が止まった。

「この子、虎に変化する能力者だったみたいね。その間の記憶がない場合(ケース)だ。いやぁ、可愛かった。白虎(ホワイトタイガー)かな?」
「そうですか。」

 太宰の後ろから出てきた天宮に動じることもなく、国木田は応じる。天宮は、社内でも広く知られた猫好きなのだ。

「制御出来る様になったらもふもふさせてもらおう。きっとその頃には毛づやは良くなっている筈だよ!」
「それは良いですね。それよりも太宰。次からは事前に説明しろ。肝が冷えたぞ。」

 そう言って手の中で翻した紙は、お食事処で太宰に手渡されたそれだった。紙には「十五番街の西倉庫に虎が出る 逃げられぬよう周囲を固めろ」と、ただそれだけが記されていた。

「おかげで非番の奴らまで駆り出す始末だ。皆に酒でも奢れ。」

 その瞬間に倉庫の中に入り込んだ影が三つ。右から順に、宮沢賢治、与謝野晶子、江戸川乱歩の三人である。
 天宮は江戸川の姿を認めるとそちらに向かって歩き出す。それを見た太宰が肩を竦める。
 与謝野が口を開いた。

「なンだ。怪我人はなしかい? つまんないねェ。」
「はっはっは。中々できるようになったじゃないか、太宰。まあ僕には及ばないけどね!」

 江戸川の元に辿り着いた天宮が江戸川の手を握る。

「乱歩さん、乱歩さん! どうして戦闘要員でない貴方が此処に? 乱歩さんが怪我をしたら小生、困りますよ?」
「うん? 面白そうだったからだよ!」
「そうでしたか!」

 ニコニコと楽しそうに会話が弾む。どこか癒される雰囲気(オーラ)でも出ているかの様だ。身長が低い天宮が、江戸川を見上げてはしゃいでいる。まるで兄妹かの様な様子である。
 それを横目で見ていた宮沢は、倒れている中島を指差す。

「でも、そのヒトどうするんです? 自覚はなかったわけでしょ?」
「どうする太宰。一応、区の災害指定猛獣だぞ。」

 宮沢の言葉を引き継いだ国木田は、手帳を手繰りながら太宰に聞いた。太宰は僅かに笑う。結末が読めたらしい江戸川は笑うように息を吐き、同じく天宮は仕方の無い奴と言いたげに息を深く吐いてから羽織物を直した。

「うふふ。実はもう考えてある。」

 中島を見、目を閉じる。そうしてから結論を出した。

「うちの社員にする。」

 国木田の驚愕の声が響き渡った。
 
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