傍観者の干渉

□月下の白虎
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 夜。そう言ってしまった方がそれらしい時間帯。とある食事処には四人が居た。その四人とは、中島、国木田、天宮、そして太宰だ。
 太宰は外套を、天宮は羽織物をそれぞれ座っている椅子の背にかけている。天宮の帽子は当人の膝の上に乗っている。
 太宰は既に料理を食べ終え、国木田は元々何も頼んでおらず、天宮は飲み物を手に足を遊ばせていた。身長の関係上、深く腰掛けると足が床に少しだけ届かないのだ。
 太宰が頬を付き、正面を。天宮が飲み物の入ったコップを、遊ぶ様に回転させながら横を。それぞれの視線が交差するのは、中島だ。
 中島の目の前には、夥しいと言える量の茶碗が。もう跡形も無いが(かつ)ては総てに茶漬けが入っていた。そっくりそのまま残さずに中島が空腹の胃に納めたが。
 中島は、一つ、また一つと碗を重ねながらがつがつと食している。心なしか、最初の方は微笑ましくそれを見ていた店員も、今では少々引いている様子である。否、店員だけではない。周囲の客もそうか。
 だが、どこか納得した様子でもある。

「国木田君。矢張り此処は小生が払おうか? あの茶碗の量を見給えよ。物凄いよー?」
「いえ、今は女性である貴方に払わせる訳には……」
「……せめて太宰と私の分は持とう。何、太宰は財布が流されたと言うし、物はついでだ。」
「……ありがとうございます……。」

 少々気になる物言いに、中島は食べながらも首を僅かに傾げる。だが、直ぐに自信には関係の無いことと気にするのを止めた。
 先程から手帳を気にしていた国木田は、半ば項垂れる様に礼を言う。

「それより太宰。この小僧のこの後の面倒は乙女さんに任せて、早く仕事に戻るぞ。」

 切り替えが早いのか、国木田は太宰をキッと睨み小言を垂れる。

「仕事中に突然「良い川だね」とか云いながら川に飛び込む奴がいるか。おかげで見ろ、予定が大幅に遅れてしまった。非番だった乙女さんにも迷惑がかかっている。」
「国木田君は予定表が好きだねぇ。」

 だが、国木田の小言もどこ吹く風。太宰がのんびりと言うと、国木田は手帳を机に半ば叩き付ける様に置いた。店内だと言うのに、勢いよく立ち上がり声を荒上げて太宰に説く。

「これは予定表では無い‼ 理想だ‼ 我が人生の道標だ! そしてこれには『仕事の相方が自殺嗜癖』とは書いていない!」

 国木田が言う様に、その手帳の表紙には『理想』と綺麗に記されてあった。崩し文字では無いが、達筆である。

「ぬんむいえおむんぐむぐ?」
「五月蝿い。出費計画の頁にも『俺の金で小僧が茶漬けをしこたま食う』とは書いていない。」
「んぐぬむ?」
「だから仕事だ‼ 俺と太宰は軍警察の依頼で猛獣退治を――」
「えっ? 待って待って。」

 国木田の怒声を天宮が止める。その顔には強い困惑が表れていた。

「小生、これでも色んな言語を修めているけれど、何て言ってるのか分からなかったよ? 後、敦君。口の中に物を入れたまま話さないの。汚いから。」
「君達何で会話できてるの?」

 確かに。中島が突然宇宙人語でも話し始めたのかと思うほどに、至極難解な言葉を使った。それに容易く答える国木田は、もしかしたらば思う以上に優秀なのか。太宰と天宮の認識が変わった。
 そうこうしている内に、中島が最後の一杯を食べ終わったらしい。

「はー、食った! もう茶漬けは十年は見たくない!」
「お前……」

 何か言いたげな国木田だったが、寸前で堪えたらしい。否。堪えられたのも、中島が身の上を語り出したからか。

「いや、ほんっとーに助かりました! 天宮さんがさっき仰った様に、孤児院を追い出され横浜に出てきてから食べるものも寝るところもなく……あわや斃死かと。」
「待ーった。小生は施設、としか言っていないよ?」

 僅かに困った顔で腕を組む天宮は、机の上で肘を付いた。最早、この机では誰も食事をしていないから机に肘を付いて良いらしい。
 反応したのは太宰だった。

「ふうん。君、施設の出かい。乙女もよく分かったねぇ。」
「服さ。浮浪者と言うには、ほれ。まだ綺麗な物だろう?」
「なるほど。」

 太宰が納得したのを見て、中島は続きを話し始める。

「出というか……追い出されたのです。ああ、これも天宮さんが仰ってましたね。経営不振だとか、事業縮小だとかで。」
「理由までは分からなかったなぁ。」

 苦笑する天宮。少し寂しそうな中島に同情でもするのか、慰めの言葉をかける太宰。

「それは薄情な施設もあったものだね。」
「おい太宰。」

 しかし、太宰の言葉を止めたのは、誰であろう国木田だった。

「俺たちは恵まれぬ小僧に慈悲を垂れる篤志家じゃない。仕事に戻るぞ。」

 その視線は冷ややかだった。だが、中島は国木田の言葉にある気になる言葉に食い付く。

「お二人は……何の仕事を?」
「なァに……」

 勿体ぶる様に笑う太宰。その目には僅かに悪戯小僧の様な輝きがあった。

「探偵さ。」

 だが、太宰の言葉が信用出来なかったのであろう中島は、胡散臭いものを見る様な目をしてから国木田に目線だけで真意を問う。天宮は肩を竦めた。太宰が信用ならないのは今に始まった話でもない。
 舌打ちをした国木田が説明を加える。

「探偵と云っても、猫探しや不貞調査ではない。」
「小生も一応その探偵社の一隅さぁ。あ、一応これでも小生は成人を過ぎているよ。」

 机に肘を付いた儘の天宮は、腕を立てて手を組み、その上に顎を付ける様にして笑った。中島が驚愕、愕然、その様なものが入り交じった表情をしたが、お構い無く話す。

「切った張ったの荒事が主な依頼内容でね。勿論小生たちはその領分を専門としている。社員全員が得意かは別次元の話だけれども。」

 中島が自分を見た事に僅かながらでも気を良くしたのか、弾む様な声色で社の名前を告げる。

「『武装探偵社』。異能力者揃いの集団なのだが、キミは聞いた事があるかい?」

 中島の表情を見る限りでは、心当たりがあるようだった。
 『武装探偵社』とは。軍や警察に頼れない様な危険な依頼を専門にする探偵集団である。昼の世界、夜の世界。その境を取り仕切る薄暮の武装集団。知る人ぞ知る、ではない。認知度は全国規模である。
 何故そこまで知れ渡っているかと言えば、社員に特徴があるからである。
 異能力。社員の殆どは異能の力を持つ存在であると言われている。都市伝説の類いだ。
 しかし。

「あの鴨居、頑丈そうだね……たとえるなら、人間一人の体重に耐えられそうなくらい。」
「立ち寄った茶屋で首吊りの算段をするな。」

 突拍子の無い事を言い始める太宰と、語調を荒くして太宰に注意をする国木田。中島の疑わしそうな視線は、主にこの二人に注がれていた。

「違うよ。首吊り健康法だよ。知らない?」
「何、あれ健康にいいのか?」

 信じるな、国木田よ。そして手帳に出鱈目を記そうとするな、国木田よ。天宮は最早諦めたのか、何も言う気がないのか、太宰の言葉に律儀に反応する国木田を微笑ましく見ている。中島はむしろ何も言えない状態である。

「まず頑丈なネクタイを用意しましょう。次に頑丈そうで、首が括れそうな所に結びつけます。」
「ふむふむ。」
「この時にキチンと、確りと結びつけておかねば後で落ちるので気を付けるのが成功の秘訣です。なので、結びつける時はもやい結び辺りがおすすめです。」
「もやい結び、と……」
「後はもう片側にわっかをつくり、首を括るとあら不思議。気道と頸動脈が圧迫されて経死にいた」「貴様ァァァァ!」

 漸く気付いたらしい。国木田が太宰に技をかけ、首を絞め落としにかかる。僅かながらに太宰が楽しそうな表情である。よく分からないが、最初にもやい結びでは後のネクタイの長さが足りなくなるのでは?
 尚、首吊り云々は良い子は真似しない様にしていただきたい。
 その様子を楽しげに見ていた天宮は、吹き出すのを堪える様な表情で中島に言う。

「探偵社は変人の集まりでもあるから、あれはあれで日常茶飯事さぁ。あ、探偵なのは本当だよ?」
「は、はぁ……」

 しかし、完全に子供みたく美味しそうに飲み物を飲んでいる天宮の言うことは、少々信用が出来なかった。子供でないのか? ……子供ではないのか。

「……そ、それで。探偵のお二人の今日のお仕事は」

 天宮が非番だと言うのは聞き知っていたが故の質問に、太宰への制裁の手を止めた国木田は、一瞬だけ間を開けて応えた。

「虎探し、だ。」
「……虎探し?」

 上手く事態を飲み込めていないらしい中島に、太宰は説明する。

「近頃、街を荒らしている『人食い虎』だよ。倉庫を荒らしたり、畑の作物を食ったり好き放題さ。」

 顎に手を当て、軽く考え始める太宰。

「最近この近くで目撃されたらしいのだけど――」

 がた、と音を立てて中島が椅子を倒して後ろに尻餅を付く。だが、天宮が中島の左手首を掴んでいた。

「ぼ、ぼぼ、僕はこれで失礼しますので天宮さん、離して……!」
「待ーって。話を聞かせて欲しいんだなぁ。」
「む、無理だ! 奴――奴に人が敵うわけない!」
「貴様、『人食い虎』を知っているのか?」

 非力だと言っていた天宮だったが、一度掴んでしまえば何とかなるらしい。逃げようとする中島の手首は掴んだままだ。

「あーれー。」

 いや、本人の体重も軽かったらしい。椅子ごと引き摺られる天宮を見かねたのか、国木田が立ち上がった。

「あいつは僕を狙っている! 殺されかけたんだ! この辺に出たんなら、早く逃げないと――」

 天宮が仕方がなさそうに手を離した瞬間に、国木田が中島をうつ伏せに倒す。中々痛そうな音がした。

「云っただろう。」

 国木田の声は、やけに冷たく響いた。

「武装探偵社は荒事専門だと。」
「小生がね!」

 中島を制圧した国木田に、天宮は一言付け足す。

「このお兄さん。凄く怖いから逃げない方が良いよって忠告、遅れてごめんね? とりあえず茶漬け代として腕が持ってかれかねないから、抵抗は止めた方が善い。後、国木田君。相手は素人だ。止めてあげて。」
「そうそう。それに社長に言われているじゃないか。君がやると情報収集がいつも尋問になるって。」

 にこやかに笑う天宮と太宰。国木田の苛立ちはそれである程度は抑えられたようだ。舌打ち混じりに中島を解放し、一般客の視線を散らす。
 床に座り込んでしまった中島に視線を合わせるように、太宰と天宮は姿勢を低くする。

「それで?」
「キミの話を聞かせてもらいたいんだなぁ。」

 笑顔で話を強請(ねだ)る二人に懐柔されたかのように、中島は話し始めた。

「……うちの孤児院はあの虎にぶっ壊されたんです。畑も荒らされ、倉も吹き飛ばされて――死人こそ出なかったけど、貧乏孤児院がそれで立ち行かなくなって。口減らしに追い出された。」

 それを契機に語られる孤児院での生活。誰かに話すのは辛いであろう事実を淡々と話す中島に、天宮は寂しそうな笑顔で中島の頭を撫でた。話している間に席に着いていたのだ。

「そうだったかー……辛かったんだね。よく耐えたね。」
「……そりゃ、災難だったね。」

 暗い目で沈黙する中島。地獄の様な日々が頭から抜けないのであろう。
 だが、国木田が言葉を発する。

「それで小僧。「殺されかけた」と云うのは?」

 鋭い国木田の眼光を知ってか知らずか、静かな暗さであった中島の瞳は、激しい暗さ――怒り、とも言える――それを灯した。
 机を拳で叩き、声を荒上げる。

「あの人食い虎――孤児院で畑の大根食ってりゃいいのに、ここまで僕を追いかけてきたんだ!」

 天宮が僅かに何かを言いたそうにしたが、堪えた様だ。

「孤児院を出てから鶴見川のあたりをふらふらしてた時、ふって見た鏡に、奴が……奴が!」

 中島の声に恐怖が混ざってきた。確かに恐ろしかっただろう。

「あいつ、僕を追って街まで降りてきたんだ!」

 中島の証言に天宮と太宰は考え始める。顔を見合わせて幽かに頷く。どうやら考えている事は同じの様だ。

「空腹で頭は朦朧とするし、どこをどう逃げたのか……」
「それ、いつの話?」

 太宰が質問を投げた。中島は僅かに考えてから答える。

「孤児院を出たのが二週間前。川であいつを見たのが――四日前。」
「確かに虎の被害は二週間前からこっちに集中している。」

 国木田が手帳を手繰る。国木田の手帳に書いてあるのだ。確かだろう。

「それに四日前に鶴見川で虎の目撃証言もある。」
「ふぅん?」

 にた、と笑う天宮。続いて太宰が愉快そうな笑顔で中島を指差す。

「敦君、これから暇?」

 嫌な予感が走ったらしい。背筋を凍らせた中島が恐る恐る言う。

「……猛烈に嫌な予感がするのですが。」
「君が『人食い虎』に狙われているなら好都合だよね。」

 指を反らせて太宰は渾身の笑顔を浮かべた。

「虎探しを、手伝ってくれないかな。」
「い、いい、嫌ですよ! それってつまり『餌』じゃないですか! 誰がそんな」
「報酬出るよ。」

 椅子を蹴倒して立ち上がる中島に、太宰は笑顔のまま言う。天宮は机に肘を付き、手を組み、その上に顎を乗せた。この格好は天宮の癖か。
 中島の目が報酬に惹かれた様だ。その様子が面白かったのか、天宮はくすりと笑う。

「国木田君は、社に戻ってこの紙を社長に。乙女はどうせ虎が見たいのだろ?」
「ご明察ー!」

 にこやかに笑う天宮は、口笛でも吹きかねない程に上機嫌だ。
 そこに国木田が確認を取る。

「おい、三人で捕まえる気か? 乙女さんの実力は疑っていないが、本人が仰る通り非力だぞ? まずは情報の裏を取って――」
「いいから。」

 太宰が国木田に紙を渡す。その言葉の強さと、天宮の笑顔の前に何も言えぬ儘、国木田が紙を受け取る。そこに記されている事に目を通し、眉間の皺を深める。
 若干剣呑な空気を物ともせず、揉み手で中島は太宰に問う。

「ち、ちなみに報酬はいかほど?」

 国木田が思考停止をした様だ。だが、太宰は紙に記すと中島に見せる。

「こんくらい。」
 
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