傍観者の干渉

□黒衣の挨拶
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 天宮は紅茶を用意していた。

「紅茶は良いよー? カフェインの含有量は珈琲よりも多いし、それなのに珈琲よりも苦くない。珈琲を淹れるよりは手間もない。MIF(Milk In First. 紅茶をカップに淹れる前にミルクを入れておく事の意。)でもMIA(Milk In After. 紅茶をカップに淹れてからミルクを入れる事の意。)でも楽しめますし、この国が発明したロイヤルミルクティー(ミルクで紅茶を淹れる事)も美味しいですし、何ならストレートでも楽しめる。レモンを入れたり、砂糖を入れたり……ああ、バニラアイスを入れたりするのも良いかも。露西亜風に。楽しみ方は千差万別。良いものですよー?」
「あ、嗚呼……」

 敬語混じりの声に、国木田はたじろいだ。
 天宮は紅茶派である。語らせると、とてつもなく長くなる。これはまだ序の口である。本番は産地を語り出してからだ。これの犠牲者になるのは国木田か谷崎か、その辺りである。宮沢に話し出した時には、どこでどう育てるとどんな茶葉がどんな風に云々まで発展し、流石の与謝野も止めざるを得なかったと言う。依頼人の前でする話でも無いだろう、と。
 今回の犠牲者は、国木田の様だ。応じなければ良いのだが、国木田は根が善人過ぎてついつい乗ってしまうのだ。

「あ、今珈琲の方がカフェイン含有量多いって思っただろう?」
「……はい。」

 国木田は善くも悪くも正直者で、そして現実を往く理想主義者だった。天宮は笑みを浮かべて、解説をする。

「確かに、国木田君が思う様に飲み物に入っているカフェイン含有量は、珈琲の方が多い。玉露のカップ一杯辺りが約百五十mg。因みに緑茶が一番多いのは言わずもがな、かな? 対して珈琲は約六十八から約百四十mg。差があるのはインスタントからドリップからエスプレッソから、淹れ方とカフェインの含有量が様々だから。因みに一番多いのはエスプレッソ。紅茶は一杯に入っている量は、確か三十mg程度だったと記憶しているのです。こうして改めて見てみると、カフェイン含有量では緑茶が一番だ。侮り難し、だね。」
「では珈琲の方がカフェイン含有量は多いのでは?」

 そう聞いた国木田に、天宮はチチチと得意気に否定する。立てた人差指を左右に振って天宮は続けた。

「実はね、紅茶の茶葉と珈琲豆では紅茶の茶葉の方が、珈琲豆に比べて三倍程度多いのだよ。含有量が。」
「三倍も……!?」
「そう。で、何故珈琲の方が飲み物に含まれるカフェイン含有量が多いのかと言われれば、使う溶質のカフェイン含有量は珈琲の方が多くなるからなのだよ。紅茶が一杯に使うのが約二から三gに対して、珈琲は十から十二g。少ない方を取っても五倍。多い方を取っても四倍だ。此処の差で随分と変わってしまうのさ。」

 小生、数学苦手だけれども。と呟きながら、天宮は茶漉しをポットから出す。その表情は満足そうである。

「よし、そろそろ丁度だ。国木田君も一杯どうだい? ミルクティー向きだが、ストレートでも飲める。この茶葉はセイロンティーの一種でキャンディと言う茶葉だ。セイロン島では……」
「さ、冷めない内に頂きたいです。」
「おっと、悪かったね。飲みながらでも聞き給えよ。」
「いえ、一息吐いたら書類を運ばねばならないので……」
「……それを先に言い給えよ。もう少し講釈を短くしたのに。」

 そう言って膨れ面を見せる天宮。天宮は、国木田の理想を尊敬していると日頃から公言し、それを邪魔しない様に心懸けている数少ない人物である。
 国木田の手帳に書いてある理想。その為の予定は秒刻みである。その為に、自分の長い話で国木田の理想を邪魔したと知れば大体機嫌が悪くなる。手助けはしないのだから、何方でも同じ様な物に思うが。それでも悪癖は中々治らない物である。
 だが、国木田の手帳には一息入れる事が記されている。でなければこんな長い話に付き合う心算等、毛頭も無かっただろう。
 それに紅茶を淹れる間に終わった講義だ。何の不満を抱けようか。

「一旦小休止入れる事は予定に入れてありましたので問題ないです。」
「……そう。」

 やや機嫌を直したらしい。天宮は国木田のコップの半分にミルクを入れ、それから紅茶を入れた。自身の黒いカップも同じ様にする。天宮はまだ紅茶へ施す作業がある。だから国木田は気にせず先に飲む。

「砂糖とかは自分で自由にすればいい。まぁ、キミはそれでも飲める筈だ。」
「……美味い、です。」

 世辞では無い。紅茶への愛が成せる業なのか、天宮が淹れる紅茶は社で飲めるどの紅茶よりも美味しいのだ。
 ミルクに実によく合う深い甘味。ミルクを入れる事を念頭に置いたからか、やや濃い様な印象を抱いたが、ミルクが入っている為に気にならない。ミルクと紅茶が互いに良い味を引き出している。
 日々理想へ向けて歩む国木田にとって、その一杯は正に小休止に相応しい物であった。理想的である。

「僕の分はー?」
「勿論ありますよ、乱歩さん。」

 天宮は横から尋ねてきた江戸川にも同じ様に紅茶を振る舞う。ただし、此方には砂糖を多く入れて。

「どうぞ。」
「うん、貰うね。」

 江戸川が紅茶に口を付ける。その表情は満足そうであった。それを見た天宮は嬉しそうな表情をし、自身のカップに砂糖を入れる。
 砂糖のスティックが、一本、二本、三本、四本、五本、六本、七本、八本……

「……まだ、入れるの?」
「? ええ。」

 九本、十本、十一本、十二本、十三本、十四本……
 流石の江戸川も引いている。江戸川だって八本止まりである。砂糖の入っていたスティックの紙袋が十六を数えた所で、天宮が漸く手を止めた。
 国木田は宣言通りに書類の整理をしに言った様だ。天宮は眼下の街並みを紅茶片手に見ていると、何やら中島が出ていく様子が見て取れた。

「……あー、これから襲撃が起こりそうだなぁ。国木田君はー?」
「……はい?」

 丁度良いタイミングで国木田が探偵社のオフィスに入ってきた。

「乱歩さんは小生の近くに。そろそろ……」
「失礼。探偵社なのに事前予約を忘れていたな。それからノックも……大目に見てくれ。用事はすぐ済む。」
「ほら、来た。」

 天宮は諦め混じりに笑った。
 白髪が混じり過ぎて灰色に見える紳士の後ろには、黒服の男たちが銃を構えている。
 銃が乱射された。だが、この手の襲撃に慣れている探偵社員は、皆姿勢を低くする。天宮は、慌てず騒がず長銃を構える。どこから出したか、と問われれば、腰のベルトポーチから出した、としか良い様が無い。天井を狙って一発。銃弾は天井に当たって曲がり、黒服の誰かに銃を手離させる事に成功したらしい。それを何度か繰り返す。
 弾幕が少し薄くなった。それに気付いた国木田は、僅かに身を晒し銃を撃つ。これも銃を手離させる事に成功した。天宮はそれを横目に、今度は短銃を手に数発を発砲。これで弾幕は決定的に薄くなった。
 そこに躍り掛かる陰。黒服の細身の者が針の様な刃物を懐から出す。その頃には乱戦が形成されていた。
 天宮はその細身の者と対峙した。

「へぇ、キミ。女性か。ならば余計加減しないとね。」

 取り出したナイフを返し、逆手で持つ。肉厚で、幅広で。一番近いナイフはランボーナイフと言った所か。そのナイフにはソードブレイカーが付いていた。真っ黒な刀身、真っ黒な柄である。天宮が持っているだけで、かなりイイ感じである。

「……。」
「無口なくのいち? 素敵ね。でも残念ながら小生には劣る。」

 にこりと笑った天宮は、上半身を床すれすれに倒す。その上に丁度物が飛んでいった。見れば、彼女の持っていた千枚通しに似た刃物であった。
 その体重移動を利用し、天宮は前に走る。肩幅に開いていた彼女の足の間を通り過ぎ、天宮は体勢を立て直した。この動作、実に一呼吸分。息を吸うのに合わせて短剣を床に刺し、それを手で押して体を上げたのだから、どれほど早いかが知れるだろう。
 速くて見失ったのだろう。天宮を探す彼女に、背後から笑ってやる。

「残念。小生は此方。」

 軽く跳び、首元に抱き付く。只抱き付いたのではない。首を絞めている。気道は見事に避け、頚動脈を圧迫。しっかりと絞めている為に、ろくな抵抗も出来ず数秒程で彼女は落ちてしまった。
 天宮が意識の無い彼女を、端の方に避難させてやる。天宮に腕力が無い為に、床を引きずる格好だが、文句を言われたくはない。こうするだけでも、随分と紳士的である。
 女性には優しい天宮がそうした作業を終え、江戸川の元へ戻る。

「乱歩さん、お怪我は?」
「まーったく!」
「良かったです。あ、もう数は残っていないので、普通にして頂いて結構ですよ? 紅茶飲みますか?」
「そう? じゃあ貰う!」

 ひょこ、と顔を出してデスクに座る江戸川は天宮にカップを差し出す。天宮はそれを丁重に受け取り、笑った。

「ええ、只今!」
 
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