傍観者の干渉

□黒衣の挨拶
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 ヨコハマの地に辿り着いた天宮は、僅かに焦燥を露にした表情をする。常よりはやや早口に江戸川に言う。

「乱歩さん。ここからは道、分かりますよね?」
「分かるよ?」
「すいません。先に戻っていてくれませんか? 急用が。」
「いいよー。後で駄菓子!」
「諒解です!」

 天宮の急用を解しているのか否かはさておいて、江戸川は探偵社への道を辿る。天宮はそれを横目にも見ずに跳躍した。
 まずはガードレールを踏み付け飛び上がる。その動作が準備運動だったと言いたげに、電柱の上の方の足場を蹴る。またもや跳躍し、足場から近くのビルの屋上に降り立った天宮は、そのまま屋上伝いに現場へ急行する。
 ――銃声が数回。何者かが交戦中だ。
 天宮が一度動作を停止させる。その眼下には、白虎に変化を開始した中島がビルの壁に張り付いていた。切断された右足の断面がよく見える。その白虎に対峙するのは黒衣の男。ヨコハマで有名な人物……芥川龍之介だ。
 白虎の背後に当たる地面には二人の男女が倒れていた。少しだらけた様な印象を与える服装をしている若者――谷崎か――と黒髪が麗しい学生服の娘――ナオミか――が血だらけで。前者は昨晩、江戸川に頑張ってと激励を受けていたが、まさかこの事を指していたのだろうか。邪推すれど、恐らく違うだろうとは思われた。
 天宮は気配を完全に消して飛び降りる。完全に気配が消えているため、特にその場の者が天宮を知覚した様子は無いようだ。正に空気である。
 懐から蛇の皮を取り出す天宮は、地に伏している谷崎に小声で囁いた。

「谷崎君。小生の上に、背後の風景を上書き出来るかい?」
「やって……みます……」

 僅かに驚いた様だが、日頃からこうして脅かされている為か、谷崎は声の主が何者かを把握したらしい。指示通りの事を施す。
 谷崎の異能『細雪』は、雪の降る空間総てに任意の幻覚を描く事が可能だ。勿論、天宮を隠して余りある。谷崎はやや範囲を大きめに設定した様だ。
 隠れたらしい事を認識し、天宮は唱える。

「Invocatio:Mythus,spazio,llamar,Aesculapius!」

 天宮の手の中の蛇の皮が、淡い白に輝く。光さえも計算されていたのか、芥川たちが気付いた様子は見えなかった。空中に描かれた魔法陣からは老人が出てくる。

「名医殿、この二人の応急措置を願いたい。」
『分かり『ました。』

 白髪の老人が礼をする動作の途中で、静かな水面に生まれた波紋の様に姿が揺らぐ。そこには老人ではなく、妙齢のご婦人が立っていた。
 老人との共通点と言えば、形こそ違えど『白い服』であることと、腕に白い蛇を巻き付けていることだろうか。
 名医と呼ばれたそれは、慣れた手付きで応急措置を施す。名医、と呼ばれるだけはあり手際は良い。
 それを横目に天宮が交戦している二人の方を見れば、丁度白虎の腹の傷が再生した所であった。そんな能力もあったのか。
 状況がこうで無かったら、恐らく天宮は口笛を吹いていたであろう。他に類を見ない再生の早さだ。

「芥川先輩!」

 芥川の後ろにはスーツ姿の女性が居た。先輩、と芥川を呼ぶのだから彼女の方が後にポートマフィアに入ったのか。だが、天宮には見覚えが無い。

「退がっていろ、樋口。」

 芥川のその呼称で天宮は彼女が樋口一葉だと知る。予備知識さえ有していれば、名前程度は分かる。

「お前では手に負えぬ。」

 冷静に状況を判断する芥川の、その戦闘における思考能力の速さに天宮は注意した。この男は、特に戦闘に関しては専門か。直接顔を合わせたことはない。天宮は観察を重ねる。
 見ている限りでは、この状況下で天宮が止められる道理がない。よしんば止められたとしても、誰かを召喚せねばならないだろう。この異能はかなり体力を持っていく。……まだ、天宮の能力の真の姿を見せる事は出来ぬ。

「疾いッ。」

 獣の速さには芥川は慣れていない様だ。黒い外套を蜘蛛の巣状に変形させる。異能か。だが対処が間に合っていない。虎の一撃で背後の混凝土に叩き付けられる。
 それを見た樋口が落ちていた銃を手にする。天宮は舌打ちをしたくなった。

「おのれ!」

 吼えながらも樋口は虎に発砲するが、銃弾が通った様には見えない。樋口も直ぐにそれに気付いた様である。

「銃弾が、通らない……!?」

 狼狽したが命取り。彼女の命はここで無くなるかと、天宮は冷静に分析をした。
 予想通りに白虎は樋口を視た。息を呑み、動けなくなった彼女に虎が襲い掛かる。だが。

「何をしている、樋口!」

 芥川の声が飛ぶ。それを聞いて天宮は先程の分析を即座に捨て去った。マフィアにしては、情が厚いのか?
 樋口に襲い掛かろうとしていた白虎は胴体の中程で二分された。芥川の黒い外套が、まるで生き物の顎の様に変化したのを天宮は見ていた。
 樋口に虎の血液が降り掛かる。それを見た芥川が毒()く。

「ち……人虎は生け捕りの筈が。」

 人虎が中島を指すのなら、中島は狙われていると言う事になる。生け捕り、ならば使い道があるのか。マフィアが探偵社に所属する中島を欲するならば、使い道は限られてくるか。再生能力について知らなかった様子。ならば何かの実験体では無いのか。ならば後は売り飛ばすしか咄嗟には思い浮かばない。この港町の裏社会を牛耳るポートマフィアが欲する程の金額が提示されていると読んだ方が正しい。この街の裏社会の大物が動く金額……即ちもしかしたらこの国の裏社会を牛耳る事の出来る額か。推定七十億超。これくらいあればこの街の裏社会は牛耳って余り有るだろうし、あの超合理的思考の持ち主が動くのも道理。
 そこまでを一瞬で考えた天宮は、中島の事を心配していなかった。どうせ。
 地に伏した虎は、砂の様に消え去る。芥川が両断したのは、細雪で作った幻影だ。改めて天宮が谷崎の方を見てみれば、名医が二人の応急措置を終えていた。恐らく止血、消毒云々は完璧に終えているだろう。やや苦しそうではあったが、谷崎がにやりと笑みを浮かべた。
 天宮は少年に姿を変えていた名医の頭を撫で、白蛇の皮を受け取る。まだ谷崎の異能は天宮と名医の姿を隠しているだろう。早めに名医を還さねば、谷崎の負担になる。
 受け取った瞬間に、白い光の粒となり消えた名医。一瞬感じた名残惜しさを封殺し、戦闘の様子を見る。

「今裂いた虎は虚像か! では――」

 芥川が虎を探す。天宮には見えていた。芥川の背後の白虎が。そして砂色をした外套を纏う青年が。
 芥川が変化させた外套を右手に纏わせる。巨大な鍵爪の様だ。それと白虎が激突――
 
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