図書館と司書と文豪

□例えばこんな誘拐騒動
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 ――どうやら敵に捕まったらしい。
 らしい、と言うのも目隠しで視界が閉ざされているから、本当に敵なのかが判別出来ないのだ。だが、粗野な男の声が二重にも三重にも聞こえるとなれば、敵と認定しても宜しいと思われる。一応分かる範囲で周囲を推理してみよう。
 此処は何処かの室内と思われる。空気が生温く停滞している。先天性白皮症の私が見て、光が見えないと言う所からしても、恐らく此処は地下であろうか。場所は深く考えても今の段階では意味が無いのだが。
 それにしても埃っぽくて、生来から気管の弱い私の咽喉が反応し出して来た。少し、我慢しなくては。
 男たちの話し声がやけに響く。コンクリートが剝き出しの、質素な部屋だろうか。誘拐なんてものを仕掛けるのだから、そうで無くては面白味に欠ける。
 背中へ回された腕の痛みから察して、やや時間は立っているだろうか。――矢張りお約束の様に縛られていた――一時間、とか其の単位で。だとすると中々帰って来ない私を案じて皆が動き出している頃だろう。そうだと、良いな。
 私は錬金術師で司書をしている特異な存在だ。一応錬金術が出来、尚且つ司書の免許も持っている異色の存在で、其処が見込まれたのか何なのか。私は帝國図書館に派遣された。どうして錬金術師が……とは思うが、私も一応司書であるし。そう納得していたのだが、事態は思っていたより深刻だったらしい。
 ――どうやら、名作を荒らし回っている愚か者がいる。それの退治を任せたい。……と言われた時は、取り敢えず憤怒が沸き起こって、それから呆然としたのは記憶に新しい。おっと、閑話休題だ。
 そんな訳で、賢者の石が作れる優秀な錬金術師(私自身、自分の事をそうと思っていないが、作れる錬金術師は実に貴重なのだ)にして、本への想いが厚い私は、こんな珍妙な立場に置かれるに至った。
 さて、この敵さんたちは、そんな貴重な私に何の用か。

「……さて、諸君の目的を問うても宜しいかね?」
「起きてやがったか……」

 一人が笑った気配がする。足音をさせて此方へ寄って来た。随分と余裕があるらしい。まぁ、武骨な大きい鎖で両手を塞がれては……一介の錬金術師程度にはどうしようも無いのは定説なのだが。他の人はもしかしたら心得を持っているのかもしれないが、私は武道に優れてはいない。
 縛られており、体の弱さと言う障害のある私には、生憎と反撃する術が無い。潔く諦めた方が素敵だろう。
 だが、どうしても怖気が走る。得体の知れない男――姿が見えない、と言う意味で――が近くに寄って来るのだ。小娘程度には耐え難い苦痛なのだが、大丈夫だろうか。嗚呼、服が脱がされていないらしいと言う所は素晴らしいのだが。
 声が響く程大きい部屋で、推定男三人が私の近くにいるこの状況の、気味の悪さと言ったら!

「あのねぇ……いかな小娘と言えども、私は立派なレディだぜ? そんなレディ万端な状態でいられて、怯えるなと言うのは間違いだ。却説は賢者の石の生成方法でも聞こうとしているのかね? 止めておけ、無駄だ。私は粗忽者に教える程、優しくは無い。」
「何ゴチャゴチャぬかしてやがるかは知らねぇが、直ぐにでも話したくなるよ。安心しな。」

 親切に教えてやれば、頬に男の吐息がかかった。笑ったのだ。臭気が凄まじい。本当に無骨者だなぁ。
 僅かに首筋に鳥肌が立つ。気持ちが悪い。私は少し咳き込む。
 どうやら、私が錬金術師であることは知っているらしい。だが、賢者の石を知らない、と言う事は、推定「鉛を黄金に変える」術を聞きたいのだろう。
 この手の輩にはよくある勘違いだ。モノの本で無くとも書いてあるでは無いか。……嗚呼、利子の名を持つ錬金術師が活躍する本を読み給え。仔細はそこに記されている。結論だけ言えば、それはただの「素晴らしき勘違い」だ。この台詞は異世界へ転生する事になったある人が、露西亜人形に対して吐いていた台詞だったと思う。
 推理を組み立てていると、首筋に鋭い痛みが走る。この感覚……注射だ!

「……うっ。おいこら、注射をするなら先に言い給え。私は注射が嫌いなのだ。」

 鳥肌が立っているのが実に分かる。処で先程の私の渾身の冗談が、何故か無かった事にされている。軽く受け流されては……不満も溜まるのだが。
 私は口をへの字に歪めて、要望通りに男へゴチャゴチャとぬかしてやる。

「阿呆に話す気が無い、とは、話しても理解されないから話さない、と言う意味だとどうして気付かない? 諸君らは本当に粗忽で乱暴で、実に躾のなっていない猛獣だなぁ。獣は言葉を発しないのが常だぜ? 諸君は怪異か何かかね。非常に迷惑なのだよ。其方の術は未だ未習得なのだ。しかもこんなに縛られているとなると、早九字を切るのも億劫だ。それに言霊の力で諸君らを退治するのも、また骨だね。だって馬の耳に念仏と言うじゃあないか! 男はすべからく獣とは聞くけれど、これでは飢獣と並べてやるのも飢獣が可哀想だ。これでも犬と鳩と節足以外の生物には大体寛容なのだ。――打ったのは自白剤だな。」

 頭がフラフラとしてくる。これは不味い。もう少し気が持てば素晴らしいのだが。咽喉の具合い的にも。
 半ば予想していなかった危機を自覚していると、どうやら狙い通り男が逆上してくれたらしい。自白剤を用意するなんて、実は存外懐事情は温かいのではないのか? それにしてもこんな小娘が即興で考えた程度の安い挑発に乗るとは。思考がバラけてくる。嗚於、何と言うオロカモノ!
 危機を感じていると、微かな金属音が聞こえてきた。金属と金属が触れ合う音……端的に言えば、鞘走りの音。

「あぁ? 躾がなってないのはお前の口の方だろ?」

 咽喉に冷たい感触。刃の感触だ。


「あ、あ、あ、あ、あ……」


 私は唇を震わせて悲鳴をあげる。咽喉がひきつる。
 満足したらしい男たちが、更に寄って来る気配がした。だから、にぃ、と笑って見せた。


「というような、世にも悲しげな、するどい悲鳴が響きわたった。
 その悲鳴を合図のように、青白い光がパッと消え去って、あの怪物の影のうつっていた部分が、」


 場が硬直した。

「――あ?」

 最初に声を発したのは、私に最初に声をかけた愚か者。狐に摘ままれた表情をしているだろうか?

「――網膜の残像現象によって、しばらくのあいだ、白い巨人となって障子の上に残っていた。」

 そして、先程まではちぃともしていなかった男性の声がした。
 私には分かる。<その人>が現れたのだと。
 停滞していた室内の空気が渦を巻く。目隠しをしていて尚分かる光――青白い光――に、私は声をかけていた。――いえ、私は元々光には敏感なのだが。

「先生。此処にいらっしゃる躾のされていない猛獣たちは、なんと私を拐って<金>の生成方法を問い質そうとしていたらしいのです。嫌いな注射で自白剤を打たれたのですよ? 危ない<菌>の生成方法でも伝えてやろうかとも思ったのですが、貴方にうんと厳しく躾てもらった方が効き目がありそうです。嗚呼……気分が悪くなって参りました……今にも吐きそうです。色々と。」
「それはそれは……大変な事ですねェ。」

 落ち着く男性の声。聞き慣れた助手の声。……日本の、推理小説の源流。
 小説の神様は別に存在しているが、私にはこの人も小説の神に列席してもらいたい程の御仁。江戸川亂歩その人だ。姿形こそ違うが、彼は江戸川亂歩その人である。
 私は念の為、一応の釘を刺す事にした。

「亂歩先生。どう調理しようが貴方の御自由で構いませんが、一応警察の方の事情聴取に応えられる程度の状態にして下さいな。遣り過ぎでは、逆に私たちが罪に問われる可能性も存在します。そんな詰まらない事で拘留されるのも詰まらない。」
「確かに。警察の手口に、貴女みたいな病弱の方が耐えられるとは到底思えません。」

 亂歩先生がクスクスと笑う気配がした。――多分、彼が言っている警察と、私の言う警察は違うのだろう。
 だが、その吐息は離れているのに、実に良く感じ取られて、私は顔がにやけてしまうのを抑える事が出来なかった。笑いながら咳をするだなんて、変なの。
 だが、この状況が解せないらしい粗忽者たちが吠える。負け犬の遠吠えか。

「て、テメェはいつから……!?」「手前、とは。」

 亂歩先生は男の台詞に、やや食い気味に声を発する。その調子が私には小気味良く聞こえて、危うく口笛を吹き掛けた。
 ――彼の調子を崩すのは、勿体ない。

「本来は自らを謙遜して言う一人称の筈でしたが……私が死して高々五十年程度しか過ぎていないと言うのに、こうも容易く言葉の意味は移ろい変わる……滑稽だとは思いませんか?」

 穏やかな亂歩先生の声は、私の咽喉――心?――を落ち着かせる。
 私は彼に応えた。

「実に滑稽です。可愛いは元々可哀い……哀れみを感じる、可哀想が元々の意味でしたのにね。もっとも、可愛いの方は千年程度過ぎているので、手前なぞよりは随分と年季が入っておりますが。」

 私と亂歩先生は二人してクスクスと笑う。良かった。亂歩先生は二重の意味に気付いてくれたか。
 言葉は、言の葉。木の葉に通じる。だから容易に移ろい変わるのも……納得と言えば納得なのだが。物寂しさを覚えないと言われれば、其れは否である。
 こんな歓談をしていると、刃の当たる位置が変わる。丁度声帯の辺りだ。男性で言うなら喉仏。

「ご、ごちゃごちゃうるせぇんだよ……!」

 抱え込まれたのか、男が私に触れる。気持ちが悪い。吐き気が込み上げてきて、私は唇を震わせる。
 やや間が空いてから、亂歩先生が言葉を発した。きっと口元に笑みを浮かべて、腕を組んで、首を傾げたのだろう。多分彼はそう言った仕草が実に似合う人だから。

「おや。それで私の司書さんを人質に取れた、とでもお思いでしょうか?」
「へっ、虚勢か? カッコ悪ぃな。兄ちゃん。」
「亂歩先生。本当に気持ちが悪くて吐き出しそうなので、早く助けて頂きたいです。今度は胃の中身、と言う意味合いで!」

 私の懇願に亂歩先生は、応える様に呟いた。

「それではご要望も御座いました事です。〈遊興〉を開催いたしましょう。」

 芝居がかった声は、実に楽しそうで。
 〈仕掛け〉を施し終えた彼を止められる者は、この場には存在しなかった。
 
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