図書館と司書と文豪

□例えばこんな来訪者
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「……あんたは?」
「うん? へぇ、珍しいお客さんだ。」

 静かな図書館の中で、司書業務に励んでいた天宮は掛けられた声に顏を上げ、そして天宮にしては分かりやすい笑顔で微笑んだ。
 今日はあまり人が来ない。話していても大丈夫だろう。そう判断した天宮は本に栞を挟み、紙を引き寄せる。
 男は実に不可解そうな顏をして天宮を見ており、天宮は紙に多少の文字を書き連ねながら顏を上げずに言う。

「他人の顏を不躾に見るとは。キミは躾がなってないのかね? 一応これでも司書補助だ。」
「司書じゃないのか? まぁ、ちっさいからなぁ。」
「揶揄い目的で言っていたら、今頃は乱闘だぞ。……さて、少々此方へ来てくれ給え。」

 天宮はそう言うなり男の手を引いて歩き出す。男は慌てながら後を追う。
 誰もカウンターに居ないのはどうかとも思ったが、天宮が記していた紙には「少々不在にするため、御用の方は少々お待ち下さい」とやや乱雑な字で書かれていた。だから良いのだろう。男は深くは考えない性質だ。

「悪気が無いから、揶揄ってやろうって意思が見えなかったから一度は我慢してやる。さて、この図書館の簡単な解説でもしてみようか?」

 クスクスと笑う声。男はどこか掴み所の無い天宮を既に気に入り始めていた。矢張り生来の性質が招くのだろうか? 何となく気に入れば、後は理屈の介入する隙間は無い。

「此処は狭間だよ。時間と時間。空間と空間。正と負、生と死、彼方と此方……そうだな、キミで言う所の櫻の近く、の方が近いかね。」
「知らねぇよ。んなの。言いたい事は分かったがな。」

 あんた、遠回りな言い方好きだな。と男が言えば、天宮はチラリと男を見上げた。
 足を止める事はなく、通常立ち入る事の無い区画へと入り込む。男は逆らう事無く着いていく。

「元々こう言う性質なのさ。気にしないでくれ給えよ。それより案内の続きだ。」
「へいへい。」

 この手の輩はこうして語っているのが好きな部類なのだ。退屈していたのだろう、と男は見る。
 天宮は実際退屈していた。だから回る舌に色々と任せる様にして次々と話す。

「最近、文学作品が人々の記憶から失われてしまう事案が発生していてね。当図書館の司書は現在それにかかりきりさ。……まぁ、たまに業務もするがね。私はそれを補助する役割を持っているのさ。」
「へぇ? すげぇんだな。」

 端的な感想を述べると、天宮がまたチラリと見上げる。男には無表情に見えたが、その実は驚愕していた。

「随分と淡白な感想だな。それだけかい?」
「まだ他人事だからな。」
「成程。なら何も言うまい。」

 追求したい気分を堪え、天宮はまた前を向く。――変な事に、そこここで宴会と盛り上がる声はするのだが、誰一人廊下へ出てくる気配がしなかった。
 妙に物静かに感じられる廊下を、天宮は歩いていた。

「文学作品を此方に留め置くには、既に彼方に渡った方々のお力を利用しなければならないらしい。……まぁ、自身の書いた話だ。自分が一番詳しいだろ? って理論だね。現世の者の勝手な理論で、侵食されつつある本の著者が転生と称してこの図書館に呼び出される。――概要はこの程度で宜しいかね?」
「一応はな。」

 説明を詳しくしなくて良いのは素晴らしい。天宮はそう独り言ちる。男は、それには空返事を返しては今まで来た道をふと振り返る。
 懐かしい声がした気がした。声自体は変わっていたが、雰囲気なる物が完全に合致しているとなると、これは懐かしい声と称するのが正解だろう。
 急に足を止めた様に感じられたのだろう。天宮も足を止めてはそちらの方を見る。

「……嗚呼、彼等か。既に転生しているよ。とある男を待ち詫びているのか、たまに二人で鍋を囲んでは違うねぇ、違うなぁ、と首を傾げているさ。司書もね、待ち詫びている。」
「ほー。早く来ると良いな。」

 天宮の意図する所を察しながら、男はしかしまだそちらを見ていた。今の男は声の方へは寄れないだろう。だが……致し方あるまい。
 そう言えば、と男は天宮へ声をかける。

「何処に連れていく気だ? 正直、背負って櫻の木の下まで行く気はねぇぜ?」
「ふん……もう桜は散ったよ。補修室だ。」
「補修?」
「そう。」

 天宮が足を止めたのは、「補修室」とプレートがかけられた部屋の前だ。医務室に似ている。
 天宮は男を連れて迷わずベッドの方へ寄ると、男にベッドへ座る様指示を出した。

「生憎と補修を受ける人は、そこに寝るか座るかする決まりでね。」
「どこを補修……」
「それだよ。」

 天宮は男が持っていた本を取り上げる。
 いつの間にかに奪われていたそれを見て、男は狼狽を見せる。やや怯えも見せたその表情に、天宮は意識して表情を緩めた。

「大丈夫、直すだけだよ。先程も言った様に、人々の記憶から次第に文学作品が失われていっている。それをどうにか阻止する為に、著者のお力を借りているのだがね。それの為に彼等は傷付いては、精神を摩耗させていく。同時に本を傷付けて帰ってくる。」
「どこから?」
「いわゆる敵に侵食された本の中から。」

 信じられない、と言いたそうな顏。天宮はゆっくりと本の状態を検分しながら話して聞かせる事にした。
 ――本は、かなり痛んでいた。

「いわゆる敵は、原稿に倒してしまったインクの様に本を汚していく。それを綺麗に掃除してくれるのが著者たち。敵は攻撃してくるからね。どうしてだか精神体となった著者の皆様方は、心を傷付けて帰ってくる。本も傷付いている。司書さんは、本を傷付けられるとそれを依り代にしてー、なんて研究してるけど……貴方には関係無いだろう?」
「……それもそうだ。つまりはそのボロっちい本をあんたが直してくれる、って所を理解してりゃ良いんだろ?」

 正解だ。
 天宮はそう言ってから補修の道具を取り出した。
 
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