図書館と司書と文豪

□例えばこんな思惑
1ページ/2ページ

 
 ――何とかギリギリに終わらせられたが……

「ギリギリすぎて、正直計算違いが発生していたらと思うとヒヤヒヤだな。だが、この場合のギリギリは、安全圏ギリギリだから良いのだが。」

 窓を開け、葉擦れと誰かの嬌声を楽しむ天宮は独り言ちる。……彼の声は新美の物の様に聞こえる。
 なるほど。吉川に遊んでもらっているのだろう。彼は、今外見は子供であるから。子供が遊ぶのは大変結構。むしろ歓迎するべき事である。
 幸せな甘さを口に含み、微笑んだ瞬間。控えめだが確実なノックが聞こえた。――誰であろうか。
 疑問に思った瞬間には答えが出ている。これを得とするか、損とするかは分からない。

「私なら居るよ。入り給え。」

 驚いた様な。そんな間が空いて彼は入室をした。ここからでは見えないが、天宮の耳には不自然なくぐもりを持った髪の擦れが聞こえていた。こんな音を出すのは一人だけだ。

「おっと、配慮が足りなかったな。迎えに行くから要件を落ち着いて聞くさ。待ってて。」

 天宮が座っていた場所から入り口までの間に、書架は十を下らない。下手をすると二十を行くかもしれない。眠らない天宮の無聊を慰める為の本の数々。この様な不敬とも取れる扱いを知ったなら、北原が怒り出すであろう。その様子を思うと些か冷たい物が背筋を走るようだが……残念ながら恐怖では無く、寧ろスリリングと言った方が近い代物である。
 ともあれ、書架が迷路を形成している室内。案内無しではさぞかし不便だろうとは思ったが、声の主は断った。

「いや、良い。慣れている。どの辺りにいる?」
「窓際さ。開けてある。……そう言えばキミはこう言うのに一番慣れていそうだったね。失礼をば。」

 思想には賛同しかねるが、彼だって物語としては随分と面白い物を残してくれた。……今は色について協議している場合でもない。天宮はそう判断して、カップを取り換えようと席を立った。
 天宮は紅茶党である。だからお茶会は自分を含め四人の人間と開ける様にカップを用意している。生憎と、先程四つ使ってしまったから、新たに用意せねばならない。
 カップはポットとセットで用意してある。この場合のポットは、シュガーポットとミルクポットも含む。だから、天宮は全ての陶器を重曹が溶けた水に沈めながら新しいセットを出す必要があった。
 幸い、紅茶を心から愛している為に、この作業は苦ではない。だが、客を待たせる、と言うのはやや気がかりだった。
 振り返らずに彼がテーブルまでやって来た事を悟る。

「掛けていてくれて良いよ。申し訳ないね。少し前まで居たお客さんのお相手をしていたら、新しく用意する事を失念してしまった。せっかく話を早めに切り上げたのに、これでは無意味だね。」
「……あんた、オレが来る事を知っていたみたいな口振りだな。」

 彼――小林の一言に、天宮は「んふふ」と笑う。笑う門には福来る、だ。笑う事には何の悪意があるとも思わないが、相手がそう受け取るとも限らない。
 未だ立ったままの小林は、睨む様な顔をして天宮を見ていた。天宮は其れを正しく把握しながら、しかし常の態度を崩さなかった。

「何が可笑しい。」
――先程はウヴァだったから。ヌワラエリヤでも、ラプサンスーチョンでも……ああ、矢張りディンブラが良いか知らん?

 天宮は茶葉を決めてから応えた。

「強いて言うのであれば……無意味を有意味へと変換しようとするその姿勢が。」
「無意味を? 答える心算は無い、と言う事か。」
「正にその通り。だが、お茶会は諍い合う物では無いからね。答えられる事には応えよう、が正解だよ。」

 我ながらどちらかと言えば挑発的な事を言った気もする。だが、天宮はいつもいつもこの様な言い回しをする。呆れようが、致し方ない事実では無かろうか。
 御伽噺のチェシャ猫の様な天宮に、やや毒気が抜かれたか呆れたか、小林はここでようやく席に着いた。

「――さて、もうしばらく待って欲しい。もう少し時間を頂ければ、どちらかと言うと最上の美味しさに近付けるのだが。」
「別に構わない。急いでる訳でも無いから。」

 小林はそう答えるなり窓の外を静かに見始めた。
 何処か熱血漢である菊池には無い静けさを持っている。菊池は炎その物の様に思えるが、この青年は燃える氷の様で……天宮には好ましく映った。
 勿論菊池を嫌っている訳では無い。嫌っていたのなら紅茶は振舞わない。だが、今の様にやや疲れた天宮にとって、この静けさは美しい物に思えるだけなのだ。

「――さて、淹れ終わったよ。お待たせして申し訳ないね。」
「そんなに待っては無いが……ありがとう。」

 カップを受け取り、小さく低頭する小林。今回のカップは、天宮のお気に入りの一つでもある、青い模様が入ったものだ。これで紅茶を振舞う人は、〈彼〉しかいない。
 それを知らないであろう小林は戸惑いながら天宮を見る。

「何かね?」
「いや……これには飲み方と言うのがあるのだろう?」
「ああ、そんな事? レモンがお好みだったら、レモンを一瞬浮かべるのも良いだろう。そのままが良いのであったら、それも良いよ。此奴の飲み方は人によって様々だ。」

 そう言いながら、天宮は紅茶にミルクを垂らし、砂糖を大量に入れる。其れからそう言えばと気付いた。
 この青年。外見からして似合わない気もするが、おはぎを大量に食べる事が好きなのだった。だが、紅茶に和菓子と言うのも合うのだろうか。一応ミルクティー用にやや渋く淹れてあるから、全く合わない訳はなさそうだが……
 外見で人を判断するのは宜しくないか、と天宮は思考を打ち切り、改めて目の前の青年を見る。

「私の気が利かなくて悪かったね。おはぎが好きなのだっけ。確か貰って持て余した分があるから……食べるかい? 食べるなら、その紅茶は何も入れない方が良い。」
「……食べる。」

 小林は頷いた。
 
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ