図書館と司書と文豪

□例えばこんな誘拐騒動
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「……んっ……?」
「目が覚めたか。気分はどうだ? 未だ吐きそうか?」
「森医師……」

 意識を取り戻した彼女の視界は、先ず白があった。天井の白だ。医務室は清潔第一であるから、どこもかしこも白で埋め尽くされている。
 一瞬だけ病院へいるのかとも思ったが、その瞬間に目に入ったのが眉間に皺を寄せた元・軍医だった。入院はしていないらしい。
 今だぼんやりとした心持で、彼女は答える。

「気持ち悪くは……無いのですけれど……あの、亂歩先生は?」

 江戸川がざっと見渡した範囲に居ない。故に尋ねれば深く息を吐いてから答えた。
 自分の身よりも先に助手を案ずるとは……!

「手続きを済ませる為に、織田と北原とで遅れて帰って来るそうだ。後で吉川に礼を言ってやれ。ここまで貴女を運んだのだから。」

 森は嘘を吐いていない。が、誘拐犯は其れこそ谷崎でさえ嫌がりそうな、凄惨で悲惨な目に遭っているだろう。覚醒したばかりの彼女にはそこまで思考が回らないが……惨状を思い、森は溜飲を下げる。
 未だぼんやりとした心境で、彼女は森と視線を合わせる。

「あの、ご迷惑をお掛けして……」
「迷惑。これがか。迷惑と思わせたと言うのなら、もう少しは身辺に気を付けたらどうだ。貴女は今や命を狙われる立場なのだぞ。今回は犯人が貴女の錬金術の腕前を狙った、不届き者だったから良かったものの……長時間埃まみれの場所に捕らわれていたから、咽喉が大変な事になっているし、これが拐ったのが暗殺者であったなら、疾うに死んでいたのだぞ。」

 森から小言を与えられる。尊敬する文豪から小言を貰えるのは、申し訳ないがそれだけで嬉しいし、突き放されていない事も示唆している。
 それだけで搔き毟る程の歓喜が襲うものだから、実に奇妙な顔になってしまっているだろう。

「聞いているのか!?」
「き、聞いていますよぅ……」

 案の定、森から雷を落とされる。
 その声を聞き付けたらしい谷崎が遣って来ては笑った。実は谷崎が一番最後に司書を見たのだ。今にも卒倒しそうな様子で司書を探し回っていた事を、森は知っている。

「あぁ、良かったです……」

 谷崎の一言から、彼にも心配をかけさせていたのだと知る月村は頭を下げることは出来ないが、謝罪は口にする。

「嗚呼……谷崎先生にも、ご迷惑を……」
「うふふ、別にあれ位は迷惑の範疇にも入らないです。」

 司書がはにかんではやや曖昧に応じる。
 妖しく笑う谷崎は、それを薬の影響と見ては森の方に寄ると、彼へ一言物申す。

「司書さんは起きたばかり。早々に怒鳴りつけては、抜け切っていない自白剤がどの様に作用するか……知れないのでは?」
「……声を荒上げる程、心配していた事が伝われば良い。」

 顔を更に顰めた森は其れだけを言うと、カルテに何事かを書き付ける。
 谷崎は其れを見ながら、もう一度笑うと、今度は司書に向き直る。

「もう少し休まれた方が宜しいと思いますよ。何せ、一度に大量の自白剤を摂取したのですから。貴女の体重も考えずに、ね。」
「か、考えなかったのは私では無いですよ……?」

 彼女が首を傾げると、谷崎は分かっていると言いたそうに頷く。
 ――俄かに、入口の方が騒がしい気がする。起き上がる気力も無かったが、彼女が入口の方へ頭を傾けてみると、新美や三好が横光に通行を遮られていた。月村の体に響くから……であろう。
 彼女は涙目の二人を見て、唇を震わせながら涙を落とした。
 ――嗚呼、心配されていた。なんと、なんと……!
 それを見て、文豪たちが固まる。見ればカルテを書いていた森は、危うく筆を落としかけていた。

「……どうされました?」

 やんわりと尋ねて来る谷崎。
 腕で涙を拭っては、言葉を探す司書。答えがどうにか出た様で、絞り出す様に答えた。

「怖かったけど……帰って来られたのだな、と……思うと、気が緩んで……」
「そうでしたか……」

 谷崎が彼女の頭を撫でる。その谷崎がちらりと入口の方へ視線を向ける。意図を察した三人が何処かへと去っていく。だが、彼女からは其れは見えなかった。
 深呼吸をしながら、彼女は言葉を選ぶ。

「本当に、安心しました……」





「……ほう?」

 司書が恐怖の反動とも言うべき安堵から涙を落としたと聞いて、仕置き途中だった三人の笑みが深まった。勿論嫌な方へ、である。
 声を発したのは江戸川の操作した携帯電話からの報告を受けた、北原だ。
 それに男たちが恐怖を感じるが、既に後の祭りだ。江戸川、織田、北原の三名は顔を見合わせて頷いた。それはそれは、しっかりと。
 三人の心は実に団結していた。仲良き事は麗しきかな。
 常から意見が合う事は珍しい三人だが、今回ばかりは事情が違う。三人の背後に見えるは、凶悪な顔をした鬼神。持っているのは金棒では無く、各々の得物だ。
 得物――江戸川は鞭。織田はナイフ。北原は二丁の拳銃――をそれぞれ構え直して、凶悪に笑んだ。

「さて、僕らの司書をよくも怖がらせてくれたね?」

 そう切り出すのは北原。山脈より高い自尊心――自信?――を得ている彼は、その内に入れる程に司書の事を気に入っていた。向学心に溢れている司書を、実に気に入っているのだ。
 彼女が恐怖の反動で落涙するのは、結果的に北原の自尊心に歯向かった事になる。

「わしらのお司書はんな? 普段は結構勝気なお嬢さんでなぁ。泣く事なんか滅多にあらへん。そんな気丈なお嬢さんを泣かしたお兄さんらに、因果応報ってもんを教えたるさかい。まっ、宜しゅう。」

 そう言ってナイフを鞘に納めたまま、ポンポンと手に当てる織田。彼が怒っている理由に関しては言わずもがな、だろう。
 司書を長い事支えている間に、情が湧いたと言えば追加の説明にはなるだろうか。

「さて、貴方たちで新しい〈仕掛け〉でも考案しますか。」

 締めの台詞を吐いたのは江戸川だった。
 ――結論から言えば、白昼から行われた誘拐騒動が真に終幕を迎えたのは、赤色が眩しい夕刻の頃であった。
 月村は江戸川の衣装がやや赤に染まっている事に、何処かで怪我をしたのかと顔を青くしたのは違う話である。
 
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