図書館と司書と文豪

□例えばこんな来訪者
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 天宮の手付きは実に丁寧で正確で優しかった。
 迷い無い動きに半ば見蕩れていると、天宮が顏を上げる事無く男に言う。

「再三言う様に、人々の記憶から文学作品が失われつつある。貴方の持っていたコレも、いつかは忘れ去られるだろう。それでも司書さんなんかは忙しい合間を縫って読んでいる様だけど……まぁ、短時間で読みきれる物じゃない。人間の人生はあまりにも短すぎるからね。」

 体感時間にして五分かそこらは――実際はそこまで経過はしていないが――黙って見蕩れていたから、急に話しかけられ、男は対応に困る。
 しかし、天宮は独り言の心算だった様で話を続けた。

「敵との戦闘で、時折この本の様に頁が千切れていたりなんだりと、色々と分からなくなってしまう場合もまぁ存在する。つまりは膨大な数の本を、その全てを一言一句余さず記憶している必要がある。幸い、どうやら著者の皆さんが所持しているのは、一番最初に世に出た話らしいが……念には念を、だな。つまり、この補修作業が出来るのは私しか居ない、と言うわけだ。」
「通りで手慣れてる訳だ。全然分からねぇな。」
「んふふ。お褒めに預かり、恐悦至極。……どうだい? 大分直っては来たが。」

 笑い声を漏らしたと思えば、直ぐにその笑いは気配を消す。天宮はアイツの苦手とするタイプだろう、と男は勝手に見当をつける。……それは強ち間違いでも無い所が流石と言うべきか。
 男は自身を気遣う声に、チラチラと自分の体を見下ろして、肩を回したり首を回したりしては首を傾げる。

「まぁ、軽くはなってきた、か。」
「良かった。後少しだけ時間を頂こう。もう少しで終わるから。」

 綺麗で鮮やかな手付きが、後少しで見られなくなってしまう。男はその事に少しだけ残念を覚えていたが、致し方あるまい。
 ――嗚呼。終わってしまった。

「……却説、この本は貴方へ御返ししよう。全く、いくら此処が狭間とは言え、迷子になる阿呆が何処に居る?」
「ここに。」

 ふん、と詰まらなさそうに鼻を鳴らした天宮は、それでも軽口を言う様に気軽に男へ言った。

「乱歩先生への話のネタにしてやろう。何だかんだとあの人は貴方を気にしているからね。」

 その名前が出た瞬間に、男の顏が分かりやすく歪み、天宮の細やかな意趣返しは成功した。
 んふふ、と櫻の花びらが散る様に笑いながら、天宮は男の頭をゆうるりと撫でる。

「――御休み。まだ貴方は起きるべきでは無いよ。」

 ……その場に残された天宮は、深く息を吐いた。その瞬間だ。
 廊下が若干騒がしくなった。有害書へ潜書していた面々が帰ってきたのだろう。

「天宮さん?」
「準備は出来ているよ。さて、取り敢えず誰から直すのかな?」

 月村に声をかけられ、天宮は振り返った。
 今までに無い事――帰ってきて、もう既に補修の準備を終えている事――に訝しげな表情をしたが……その前に補習である。
 今回の潜書は、未熟な人の育成を目的としている。助手である江戸川は十分強いが……まぁ、他の面々の万が一に備えて共に潜書しているのだ。そう司書が言っていた。
 当の江戸川は一番傷が浅い様だった。それでも三分の一近くも削られていれば、司書が心配しない訳がない。心配そうな司書の為か元々の性質の所為か、怪訝そうな顏は直ぐに消して、江戸川は三好を前に出す。

「彼ですよ。」
「おん。りょーかい。」





 補修中。江戸川は天宮へ疑問をぶつけた。

「三好君の前に何方を補修されていたので?」

 それは世間話であったかもしれないし、好奇心であったかもしれない。
 エンターテイナーたれと自らに課す江戸川にとって、周囲から様々なトリックのヒントを得んとアンテナを巡らせている。だからでも無いが、天宮は補修の手を一旦止めて、他の誰より思い入れのある本を撫でる。
 それくらいの間を開けてから、漸く口を開いた。

「櫻の下で見えるモノ……かな。」
「ほう? 櫻。」

 興味を惹かれたらしい江戸川が、静かな興奮を湛えた声で天宮へ続きを促す。
 だが天宮は実に子供に見える仕草で、唇に指をあてるとウィンクをひとつしてから補修へと戻った。
 ――あの青色は、確かに櫻の下でしか見えないでしょう。咲いている櫻は実に赤くて、より空の青が際立つのですから……。
 
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