“文豪”たちとボク

□ボタンの掛け違い
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 何とか正気に返ってきて、ボクはやっと情けなく裏返った声を乱歩先生の御耳に晒すことが出来た。ああ、本当にこんな自分が嫌いだ。嫌いだ。救いは無いし、現状にうまく適応できないし、更にはこうして恥ばかり晒す。消えてなくなれば良いのに……!

「ヒェッ、その、師匠……えっと、近い、のですが……?」
「エエ、それが?」

 飄々と笑って、また乱歩先生はボクの顏をじぃ、と見てくる。止めて、待って、こんなボクを見ないで、ください。
 転生する前のお姿をボクは知っている。愛嬌があって、素敵な人だと思った。だが、前世は前世のようで、今の彼と前の彼の姿はかなり違っていた。エンターテイナーとしても……もしかしたら観賞用の人形としても中々に実用的だと思えるほど、端的に言って美形である。麗しい。
 それこそ、信仰している……させて頂いている身分を忘れて、見惚れてしまいそうになるくらいには美しい。端整で、嘆声が出てしまいそうだ。嗚呼、天は人に二物を与えず、とは嘘なのでしょうか……!
 魂を抜き取られそうと、本気でそう錯覚してしまいそうなほど、彼の容姿は麗しかった。ミステリアスで、謎に満ちていて。そして禁断の果実に手を伸ばしてしまったアダムとイヴのように彼に見惚れてしまうのだ。謎を前にしてしまうと、どうも惹かれてしまう。その謎を解き明かそうか、仕舞い込んでしまおうか、いっそ飲み込むのも好いかしらん? そう思って、手の平の上にそぅっと乗せては延々と愛でていたくなる。味は? 触感は。
 ――ああ、噛み砕してしまうのは勿体ないでしょう。しかし錆びれてしまうのはもっと勿体ないでしょう。どうしたら良いだろうか。そうして惹き付けては放って置かせない。そうした静かなる迫力と、溜息を吐きたくなる魅力とを兼ね備えた――
 もう! 言葉になんてしたくないのに、言語化したくないのに、この愚かな思考回路は次々と彼の容姿を褒め称えようとする! お前はいつもそうだ!! 以下略。
 そんなことをグルグルと考えているのを察したかしてないか。彼はフ、と笑いボクに言う。――その笑顔は面白いと、興味深いと思って下さっているそれだ。
 こんな愚かしいボクにも、一片の興味を抱いてくれるだなんて、本当に素敵な方だ。ねぇ、そうは思わない?

「貴女は本当に小柄ですねェ……ワタクシ、少々心配です」


 こんなに小さなアナタが、あの様な化け物と対峙するだなんて。


 そう続けられた言葉が、変に吐息と共に耳に入ってきて。思わずボクは、ここでようやく顏を袖で隠す事を思い至った。突飛な思考回路がようやく役に立った瞬間でもある。
 これ以上は無理だ。色々と無理である。声も良いし、顔も良いし、中身も素晴らしいし、欠点がどこにあろうと言うのか……!
 まぁ、よく考えてみたら欠点なんて無いのは当然である。実は意外に思われるかもしれないが、ボクは作家本人自体にはさして興味が湧かない。作家が紡いだ、生み出した物語。其方の方に俄然興味がある。だって、作家は物語を生み出す存在ですよ? ご本人のエピソードがいくら面白くたって、物語が面白くなければ意味がない。仕事を、責務を果たしていれば、中身は何だって良いのだ。
 そうしたところは昔から考え方が変わっていない。それは視力が弱かったから、外見に頓着していられずに身に着けた……人間の記号化の弊害なのか……ちょっとよく分からないが。
 それで、この乱歩先生は、ご本人でありながら、【彼】が遺した著作でもある。ボクはそちらに惹かれている。
 だから、もしも仮にこの人から【彼】が抜け出て、【彼】の著作の成分だけが残ったとして……恐らくは、ボクは信仰心を更に強固なものにするだろう。
 ボクが、空気を吸い込むのも億劫なほどにワクワクした、ドキドキした、感動した物語そのものになるのだから。――要するに、惚れた弱みと言う奴か、欠点も美点にしか見えなくなっているのだろう。盲目的なまでの信仰心だ。自分でも時折呆れて、辟易する。
 それにしても、そう褒められるとこの小柄な体も悪くないと思いそうで、思い上がりそうで怖い。これに関しては卑屈になりたい訳じゃない。体が小さいから本棚の上の方が届かなくて難儀しているのだ。実用的な理由で嫌だったりする。
 それはそれと、キツく目を閉じて、うつむいて。それから出来る限り袖で顏を隠す。本当に、その凪いだ空のような、宝石のような……そのような綺麗な瞳に見られたくない。囚われてしまう……何処へ?
 醜い自分を見られている恐怖か、それとも囚われそうと抱いた恐怖か。それに慄いていると、少し不機嫌そうな乱歩先生の声がボクに降り注ぐ。

「どうして顏を隠されるので? もっと見せて頂けないのですか?」
「――ヒェ……」

 麗人は怒らせてはならないのだ。経験則でそれを承知していたのもあるが、カミサマからの勅命にどうも逆らいきれずに、少し腕を下ろす。
 だが、どうも口元からは手が離せず、口元だけ両手の袖で隠しているという、変な姿勢になってしまう。いや、よくやるっちゃやるのだが。
 ――口元を隠すのは、心理学的には自分の正体を隠す為、だとか、無意識の防衛本能が働いているとか、嘘が露呈してしまう恐怖を和らげる為とか、色々あった気がした、なぁ。
 そこまでして、乱歩先生は焦れたか何かして更にボクへ顏を。近、付け……
 ――羞恥に耐えきれなくなったボクは、その場に崩れ落ちてしまった。
 
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