“文豪”たちとボク

□ボタンの掛け違い
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「……オヤ。危ない、危ない」

 意識を失ったらしいワタクシの助手を、地面へ激突する前に何とか抱き留めたワタクシは、こっそりと苦笑を漏らす。
 こうして壁を背にして彼女がワタクシと向き合った時間は一分弱程度で……平時の彼女からしてみれば<持った>方と言えそうです。が、何せワタクシは彼女に強い想いを寄せておりますので、この程度では物足りないとも思ってしまう。
 エエ、エンターテイナーとしての仮面の裏を彼女に示すのも実に楽しそうだ。いつか試してみましょうか。
 その時は今以上に退路を塞ぎましょう。彼女に完璧に白旗を上げさせるのです。そこまで追い詰めたなら、もしかしたら何かしら満たされるナニかもありそうだ。人として越える心算のない一線は御座いますが……ワタクシ自身が抱える衝動がどれほどのモノか。それはやはり気になる所です。エエ、エンターテイナーとしても。
 ――彼女に人見知りはされなくなったとは思いますが……やはりまだ、はにかみ屋、あるいは恥ずかしがり屋な一面でしかワタクシとは接しては頂けない。その事に、どこか悔しさを感じてしまうのです。
 エンターテイナーではありますが、ワタクシとて一人の男……イイエ、イイエ、一介の人間でありますから。
 ですので、苦笑の一つも零してしまうのは必然とも言える。

「……自分自身だと言うのに、妬いてしまいます、ね」

 そう、妬いてしまいそうになる。
 ワタクシは間違う事無く江戸川乱歩で御座います。しかし、それは彼女が求めて止まない【江戸川乱歩】とはやや違う。
 彼女が主に思いを寄せるのは、作品とそれを生み出した作者。つまり【江戸川乱歩】とラベリングされた作家で御座います。それは決してワタクシと言う「男」ではない。
 今のワタクシは江戸川乱歩でありながら、生前に遺した著作とも混じりあった、いわば偶像で御座います。しかも、彼女はワタクシ以外の作者も好きと言って憚らないのだから……少しは焦りもするでしょう。
 タチの悪い事に、彼も彼女へ並々ならぬ想いを抱いているのですから……エンターテイナーとして彼女を魅了しておくのは、エエ、新しいトリックを考案するより容易いでしょう。
 飽きる事無く、目を眩ませるようなトリックを仕掛けていれば良いのですから。彼女をワタクシへ繋ぎ止めておくならば、恐らくは苦には感じない。元より、それが他も魅了するのであるならば。
 しかし、「男」として彼女を振り向かせるのは、何より難しいとさえ思える。
 悔しさを感じると共に、気を失う前に見せたあの表情の数々を思い出し、ワタクシは何とか気を取り直す。嫌がられてはいない。それがワタクシに一縷の希望を抱かせる。
 彼女は気が弱いように見せて嫌な事に関しては過敏に反応する。嫌な事は嫌と言う事が出来る人ですから、全くの収穫が無かった訳でもない。
 ……これでも前世は妻帯者であったのに、この様な事で一喜一憂しているとは、いっそ滑稽にすら思えてしまいます。だが、この気持ちを嘘にすることも、出来なくなっていた。
 複雑な想いを持て余しつつ、噛み締めつつ、楽しみつつ彼女を横抱きに抱え上げた時。少し前から感じていた気配がワタクシへ声をかける。

「乱歩さん……程々になさってくださいよ」

 苦笑混じりの声に、ワタクシはわざと分からないフリをした。

「オヤ、貴女が仰ったのでしょう? 女性は壁ドンと顎クイに弱い……と。いつもの通りの、ちょっとした悪戯です」

 入れ知恵をした本人には、言われたくはない。言外にそうした意味合いを込めて言えば、司書さんは更に苦笑を深めた。
 司書さんはワタクシの愉快な悪戯仲間でありながら……同時に彼女の素晴らしき保護者でもある。精神が不安定な彼女を遠くから近くから見守る司書さんは、どうやら彼女に無意識レベルで信頼されているらしく……それにも多少妬いてしまう。
 彼女の一番になりたいと、何事でも一番になりたいと、獰猛な感情が囁いてくる。
 それを見透かしているかいないか。司書さんは釘を刺すようにワタクシに注意をなさる。

「彼女がどれ程貴方に心酔しているか、貴方もご存知かと思いますが」

 確かに、身を以て体験している。だからワタクシは司書さんを見ずに、言いながらその場を立ち去った。

「エエ、もちろんですよ。しかし、それは作り手としてのワタクシで御座います。ワタクシが求めて止まないのは、」


――「ワタクシ」自身に対する、ラウラの熱なのです。

 ワタクシは彼女を私室にまで運ぶことにした。





「あの様子だと、本当にどこまで理解されているのやら……」

 保護者として、悪戯仲間として、二人をそれなりに良く知る司書は独り言ちる。
 変な所で噛み合っていない。それでも破綻していないのだから実に不可解である。傍から見て首を傾げるほど不可解だ。
 芥川を見る太宰を見る芥川を見る時も、大体こうして不可解な気分にさせられるのだが……男女の情が絡んでいる、という意味ではこちらの方が複雑怪奇に見える。

「思っているより、難しい子でもないのに……本当に、どうしたものか……」

 どうも出来ない気がする。そこに結論が至れば、後はもう全部がどうでも良いような気がしてきて、司書は嘆息を吐いた。
 
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