“文豪”たちとボク

□熱く甘いキスを五題
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 ――ああ、どうしよう。
 ボクは思わず廊下の真ん中で頭を抱えそうになった。
 それもこれもルイーズとナイトがなんか今までとは違う恋愛をし始めようとしたからだ。あの二人が、まさか<普通の>恋愛をしようとするとは思わなかった。特にルイーズ。あいつ、薄々思っていたが存外に照れ屋だよな。本当に困った。
 いつもと違うから、本当に色々と勝手が違い過ぎる。特にルイーズ。あんな行動をするとは思わなかった。ってかどうしてこう、もう、ツッコミ所しかない。
 正直言って、ボクは恋愛を知らない。今のボクは、自分の著作と恋愛と言う概念に罪悪感と恐怖と過剰な憧憬を抱いていた自分の記憶とで構成されている。
 つまり、ボクはそうしたいわゆる<普通の>恋愛を知らない。そもそも、ボクはどの作品でも真っ向から「普通」と言う概念に喧嘩を売ってきた。普通とは何ぞ。常識とは何ぞ。幼い頃からそれらに喧嘩を売ってきたのだから当然とも言えよう。
 普通とは。常識とは。ボクは未だにそれらに屈したとは考えていない。だから筆を執っているのだが。
 とはいえ、「恋を知りたい」とか言った、こんな恥ずかしい事を誰に相談すれば良いのか、それの見当もつかない。どうしろと。
 司書さんに聞いたって、十中八九「先生は先生の恋愛観を著せば良いと思いますよ」とかしか答えない。止めてくれ。何だか今回は監禁心中エトセトラが関わらない予感しかしないのだ。
 ――でもナイトはある意味いつも通り、ルイーズに信仰心も寄せているから……もう、これ本当にどうなるのだろうか。いつも衝動の儘に話を書いているのがバレバレである。……嗚呼、恥ずかしい!
 悶々と、グルグルとそうした事を考えていると、いつの間にかにちょっとした迷子になっていた。
 ボクは頭の中で地図を作るのは壊滅的にできないタチなのである。道案内なんか、口頭ではまずできない。この角をこう曲がればこんな感じがするから、雰囲気曲がって……みたいな。
 ざっくりとした地理感覚で何とか生きていられたのだから……こう、技術の発達ってすごいとは思わない?
 どうやらボクの部屋からは、大分かけ離れたところにいるらしいところまでは把握した。ボクは“文豪”唯一の女であるから、扱いが少し違うのだ。
 七十後半人は“文豪”が転生しても受け入れられるようにと、“文豪”居住区はそうして設計されている。しかし、ボクというイレギュラーを男連中の中に放り込んでは置けない、とのことで、ボクは潜書室だとかがある棟で余っていた部屋をなんとも、まぁ私室に改造してもらって、そこで寝起きしている。
 正直言って一人は寂しいくらいに広いのだが……まぁ、司書さんの命令とあらば従うより他はない。寂しいのを堪えて、ボクは一人だけ他の人と離れたところで寝起きしているのが現状だ。閑話休題。
 で、今ボクが居るのは“文豪”居住区、らしい。全く深く考えすぎにも程がある。さっさとお風呂入って、打開案を考えねば。
 踵を返そうとした瞬間、ボクの視界の端に影が差した。予感に、慌てて動作を停止させれば、そこには尊敬し、崇拝し、敬愛しているエンターテイナーが。
 お風呂上りらしい。髪がしっとりと濡れていて、首筋に貼り付いている所とか、いつもとは違った意味で視線を惹く。余り見ない、浴衣姿で迷い込んだことへの徒労感をも忘れてボクは声を発していた。
 いや、多分こうして理屈で考えるよりも先に声が出ていたとは思うが……

「……師匠」
「おっと……驚かせようと思いましたのに。それよりも先に気付かれてしまうとは、アナタも成長されましたねェ」
「し、師匠が驚かせる時は、もっと凄い事をなさいます、よぅ……」

 物書きにあるまじき語彙力の無さだ。もっと凄い事とは何ぞや。この人がする、凄い事とは。想像すらも出来ない。この人ならば想像の範囲外の事も易々と成し遂げるのは、それは物語の前提として良いのだが、それにしたって物書き失格ではなかろうか。
 物書きに失格したボクの存在価値は無いに等しい! 嗚呼、もう、こう、熔けて消えてしまいたい……
 ちょっとした自己嫌悪に陥っていれば、師匠はクフクフと笑う。慌てたボクがそんなに面白かったのだろうか。それにしてもそうして穏やかに笑っている声は、耳に心地好い。いつまでも聞いていたいような気もする。
 聞き惚れていたら、師匠が当然の質問をボクに投げかけてきた。

「このような時分に、こちらにどのような用事が? それにそのように眉間に皺を寄せて歩いているだなんて……何事かお悩みで? ワタクシで良ければ話し相手になりましょう」

 どこかで聞いたような言い回しに、ちょっと色々と抜かれる毒気が。今思ったが、師匠はあの胡散臭い賢者が、こう、似合う気がする。あ、いい意味で。
 それにしてもこう、どうやって話せばいいのか。そもそも話すべきか。色々と逡巡する思考とは裏腹に、口は勝手に回るのだから恨めしい。

「な、悩みと言うほど切実では無いのですが……えぇっと、その……」
「言いにくい、とあらば無理におっしゃらなくとも結構ですよ。しかし可愛い助手が眉間に皺まで寄せて悩んでいる所を放って置く事が、ワタクシにはできないと言うだけなので。……ワタクシで良ければお聞きしますよ?」
「……師匠がおっしゃられるのなら、お言葉に甘えまして。ただ、その……廊下ではしにくいなぁ、と……」
「ほほぅ……ではワタクシの部屋に参りましょう。ここからですともっとも近いので」

 師匠はボクの答えに珍しそうな顔を見せた。ボクは思わず師匠とお揃いの片眼鏡をそぅっと触りながら、踵を返す師匠を追った。
 いつかに引きずり込まれた坂口先生の部屋とは大違いで、整理癖が発揮された綺麗な部屋だ。本から小物から整理整頓されており、机の上も実に綺麗なモノ。わぁ、ボクの部屋とは大違い!
 ボク、とにかくベッドの上に色々と物を置く習性が転生後も抜けなくて、ベッドの上にはメモ帳と、シャーペンと、それから幾つかの本が常に置いてある。ベッドサイドテーブルの上は、魔法瓶が一つ。ボクが淹れたミルクティーを入れてあるの。
 支給されたノートパソコンもベッドの上に置いてあるから、非番の日はお風呂とお手洗いとミルクティー補給以外、ベッドから一歩も動かないって事もざらにある。局所的に散らかしてしまうのだ……つい。
 でも鏡が多かったり、マジックの道具が置いてあったり、或いはパズルが散見されたり、謎の鍵束であったり、物は多かった。流石は師匠。
 ……でも、そのマネキンをマント掛け、帽子掛けにするのは止めた方が良い気がします。心臓に悪い。
 師匠の私室には書き物机の他に、来客を想定された机と椅子があった。そこに座るように促されたから大人しく座ると、師匠はキッチンに立った。
 キッチンと言ってもあまり大きくない。風邪をひいた時でも困らないように、軽食を作れる程度の、こじんまりとしたキッチンだ。
 まさか、紅茶を用意なさっているのだろうか? 師匠が? ボクの為に?
 師匠が、あの大乱歩がボクに紅茶を。待ってくれ、申し訳なさと言うか、その、緊張が、そのね? ボクは腰を浮かせながら師匠に声をかける。

「しっ、師匠? 紅茶ならボクが淹れます……」
「イイエ、今はワタクシに淹れさせて下さい」

 有無を言わせない声の、静かなる迫力に負けたボクはそのまま椅子に逆戻りした。うぅ……矢張り相談相手を師匠に選んだのは間違いだったのでしょうか……
 でも、こんな事を相談できる人に心当たりがない。三好先生なんかは結構親身になってくれそうだけど……なんだか申し訳ない。かといって無頼派の先生方にそうだんするのも、こう、生前を思うと何かイヤだ。
 唐突に襲って来た申し訳無さと衝動の儘にボクは、ボクへ背を向けている師匠に座礼を一つする。こうしたのは気持ちが重要ですから。例い見えていなくともするべきでしょう。誰に言っているのだろう。ボクは。

「うぅ……有り難うございます」
「困った時はお互い様と言うではありませんか。構いませんよ」

 崇拝する者が自分の為に紅茶を淹れてくれる。この、幸福はどう例えれば良いだろうか。
 フワフワとした感覚は、しかしこれから相談する事を思うと急に醒めるようだ。――元々、どうしてもこうして面と向かって頼ると言うのは、あまり得意ではない。罪悪感と羞恥に耐えきれない。でも知らぬ内に迷惑を掛けるのは得意だ。あまり褒められた特技でも無いが。
 ともあれ、こうしたのは少し耐えがたい。だが、相談しないとダメだ。話が進みませんもの!
 冗談はさておいて、多分これは話を書く上でいつかはぶつかった壁だ。むしろ師匠が相手で良かったと思おう。
 師匠は探偵小説を書く上で、必要な常識は持っている。もしかしたら有益なアドヴァイスをくれるかもしれない。
 前向きに、前向きに考えるべきだ。だから、師匠がボクを見ていない間に切り出してしまえ。ボクは意を決して話を切り出した。

「……えっと、その、ボクは恋愛とか、よく分からないんです……よぅ」
「――ほほぅ。それをワタクシに訊ねますか? ワタクシの著作を読んでいないとは言わせませんが」
「ぶ、無頼派の先生方に相談するよりも、大分マシだと思います……!」

 思わず反論すれば、師匠は「それもそうですねェ」と納得された。
 無頼派の先生方の生前は……いや、生前もかなり女性に人気が出る人たちだった。織田先生はそれでも奥さんを大事になさる方だったとは言うが……まぁ、大分アレ。
 無頼派の先生方の、その、女性関係は大分……酷い、と言えば良いだろうか。そうだったと聞き及んでいる。
 正直作家に求めているのは面白い物語であるから、特に深く突っ込んで調べなかったが、それで良かったとも思っている。
 それでも漏れ聞こえるアレソレがあるのだから、相当だったのだろう。それを思うと本当に無頼派の先生方には相談できない事である。
 その点、師匠は著作こそ……ほら、あれ。特に例の坂とか。そもそも「エロ・グロ・ナンセンス」をこう、主題? としていたりするけど……と、ともあれアレではあるが、あまり調べてはいなくとも、無頼派の先生方とはだいぶ違って女性関係は何も聞かない。クナーベが云々はカウント外だろう。カウント外だ。黙れ黙れ。
 改めて思うと確かにこう、相談相手に師匠を選べて良かったと思う。不幸中の幸いであるが、こう、火中の栗を拾わせる助手って大分ダメなのでは……?
 今しがた発生した疑念をなんとか振り払いながら、ボクはしどろもどろになりながらもなんとか言葉にしていく。伝われば良いのですが。
 
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