“文豪”たちとボク

□熱く甘いキスを五題
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「ボクは恋愛とか、そうしたモノから距離を取って生きてきました。ええ、今も思い出せるのは、その、そうした事を怖がっていながらも……狂おしく求めてもいた時期です。当時からボクの書く話は、その、恋愛というよりは執着がとても強いもので、えぇっと、その当時のボク自身も恋愛をしてみたいとは思っていましたが、よく分からなくて、だから怖くて、遠ざけていた時期で……ああ、すいません、ちょっと混乱してきました……」
「ゆっくりで構いませんよ。アナタが話したいと思った事を話されれば良いですから、慌てなくとも宜しい」

 童謡を語り聞かせるような柔らかい声に、緊張が解ける気がした。
 そうだ。言い難い事とは言え、言わなくとも良い事を言うのはオロカの極みである。彼の破壊神がこの場に居たらデコピンだけでは済まされなかっただろう。アブナイアブナイ。
 何とか言葉を捜していると、たっぷりの砂糖と、たっぷりのミルクを持って。師匠は机の上にそれらを置いていく。
 ――ああ、所作が美しい。浴衣姿ではあるが、エンターテイナーとしての所作や動きは忘れない。エンターテイナーの鑑だ。相当の覚悟がいるでしょう。辛い事もあるでしょう。それでも師匠はエンターテイナーとして必要とされているから、趣味と実益を兼ねて全力で振舞っている。
 素晴らしいと思わない?
 ボクにカップをサーヴする。赤い花がちょこんと描かれたそれは、気品の中にも可愛らしさを持っていた。こんなカップ使ってたんだ。それとも可愛らしい来客用かしら。
 あの先生方はマグを使っていそうな気もするが、どこまでも紳士的な師匠の事だ。先生方もちゃんと小さい大人として扱っているように見える。
 もう一度座礼をしたボクはカップを受け取る。そう。何も入っていないカップを。
 実はミルクティーには先にミルクを入れる派なのだ。ミルクインファースト。略してMIF派。正直ミルクインアフターでも構わないのだが、白が紅に染まりゆく情景が少しばかり面白い。それだけの理由だ。
 ふわっと広がる紅茶の様子を観察するのは、ちょっと飽きない。楽しい。物理法則はこれだから興味深い。
 カップに少し暖かいミルクを半分少ない程度に入れ、そこにまず砂糖を入れていく。ティースプーンで混ぜながらボクは話を続けた。

「……えっと、その、今書いている話で、珍しく普通の恋愛――定義を明確にしましょう。執着心や、独占欲が高じて相手を監禁だったり心中したりしない、そうした恋愛……そうした恋愛をさせる必要が、えっと、出て来てしまいまして……」
「なるほど。それで自らの経験にそれが無くて困っていたと」
「ッ、ですです!」

 流石は師匠。要領を得ないボクの話をこうも見事に、鮮やかに、論点整理をしてくれるとは!
 一種の感動さえ覚えて混ぜる手を止め、ボクは顔を上げた。少し顔が赤くなっているかしらん?
 正直、書くのは好きだが、話すのは苦手だ。話したい事がイメージで頭の中で揺蕩って、しかし中々実像を結ばない。
 だから気を付けて話している心算が言い間違えだったり、意識できない間違えだったりをしてしまう。或いは変な思い込み。気を付けているのだが、未だにそれは治っていない。辛い。
 つい、手の中のガムシロップのポーションを握り締めてしまっていた。そう。ガムシロップを入れているこのプラスチックって、ポーションって言うらしい。こう、ファンタジー世界を書き表している者としては、こう、積極的に使っていきたいとは思わないだろうか? ……誰に話しているのだろう。
 ともあれ、咄嗟にしてしまったとは言え、この行動ははしたないだろう。そう思うと羞恥から師匠の顔を見ていられなくて、カップに視線を落とす。ポーションを開けて、それをミルクに垂らす。
 三回もそれを繰り返してから、またティースプーンでそれをユルユルと混ぜていく。これ、怠ると後で酷い目に遭うんです。 

「……本当に、恋と言うのが、愛と言うのがよく分からないんです。……ボクの中には何かを好きだと思う感情は、恐らくちゃんと備わっているとは思うのですが……確証も無いですし、その……作品を少しでも読んでいただければ、その、分かると思うのですが……どうも、強い執着或いは独占欲が絡まないとダメで、更に相互依存の状態でないと、本当に筆が進まなくて……困っていまして……」
「フム……それは、なんとも難題ですねェ……」

 師匠が何事かを思案するような声を出した。エエ、まったくもって無理難題ですよ。
 <普通>、<常識>、それから<道徳>と思い込みに喧嘩を売って、それを作品に織り込んできたボクが。まさか<普通>に頭を悩ませる時が来るとは思わなかった。
 話の中では散々<普通>について考えて、考えて、考えたわけなのだが、こうしてみると恋愛に関しては考えてこなかった。ボクの身近には無かったモノだ。いい機会だとは思うが、ボクの嫌う同調圧力の息苦しさを思い出しそうで、独りで考えるのは非常に苦痛だ。
 いっそこんなものと答えを提示してくれれば良いのだが、恐らくそうはしてくれないだろう。何せ、師匠は「聞く」としか言っていない。悩みを解消するとは言っていない。そう言えば、だが。
 だが、師匠に話したおかげで少し論点が整理された気がする。大体、そうしたことが知りたければ、いくら理解できない事が分かり切っていてもそうした類いの作品を読み漁れば良いのだ。
 今更ながらに降って湧いた発想に呆れながらも、ボクは紅茶のポットに手を伸ばした。
 十二分にかき混ぜた白が、紅に浸食される。その様子が美しくて見惚れてしまう。
 指の付け根、手の甲でカップに軽く触れる。手袋がやや邪魔して分かりにくいが、恐らくは猫舌なボクでも飲める温度だろう。ボクは取っ手に指を通さず、摘まみ上げて紅茶を一口飲む。
 ――ああ、甘い。
 甘さにコッソリ表情を緩めてから、ボクは音をたてないようにカップをソーサーに置いた。

「……師匠に話していて、その、何となく自分の中で曖昧模糊はしていますが、何となくの解決策が見えてきたような気がします。えぇっと、その、ありがとうございます」
「オヤ、奇遇ですねぇ。ワタクシも実は一つほど解決策を見つけたのですが」

 師匠はストレートで紅茶を飲む。そう上品に笑う師匠が優雅に見えるのだから――浴衣に紅茶って組み合わせなのにも関わらず!――不可解である。
 ボクの思い付いた方法も、悪くは無いと思うが……先生の知恵をお借りするのも悪くはない気がする。先生、とは先に生きたと書く。先人とも言い換えて違いは無いだろう。
 ボクにはない素晴らしいアイディアが出るかもしれない。思わず首を傾げて師匠に訊ねていた。

「何でしょうか。参考までにお聞きしても、その、宜しいでしょうか?」
「ナニ、簡単ですよ」

 どこか意味深な笑顔を浮かべ直した師匠が立ち上がっては、机越しにボクとの距離を詰めてきた。
 急な師匠の動きに対応できないでいると、師匠はボクの顎をその長く美しい指で掬い上げては上を向かせた。
 僅かに見上げる形になった正面には、師匠の顔が。
 過去、類を見ないほどに鮮やかに、素早く師匠は――

「ワタクシが、アナタに恋の味を教えて差し上げましょう。どうです? 本を読むよりも恋が何なのかが理解できると思いますが」
「……?」

 一瞬だけ唇に触れたモノの正体が掴めずに、ボクは間抜けな面を晒してしまう。今、師匠はボクに何をした?
 師匠は楽しそうに笑った。悪戯をするより、トリックを披露するより、何より楽しそうな笑顔を見ていると、次第に現実を理解して……ボクは耳まで赤くしてしまった。



 嗚呼、おかしくなってしまいそうである。その瞳にボクが映し出されているだけでも、身を転がしたいほどの幸福が襲うと言うのに……もう、現実が処理できないボクの頭は、その提案にOui以外の答えを提示してくれなかった。
 
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