“文豪”たちとボク

□熱く甘いキスを五題
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反論さえ飲み込んで





 
 そうしてボクは「恋の味を知る為に」やや強引な気もするが師匠とお付き合いすることになった。こう、あの、アレ。申し訳ないと言うべきか、その現状が理解できないと言うべきか。正直受け入れられないと言うか。
 でも考えてみよう。割り切ってしまえば良いのだ。師匠はあくまでもボクに恋を教える為に、一時的に……こいびと関係になってくれるのだ。……あれ、ご迷惑ではなかろうか。不安にもなる。だって、カミサマと人が恋人関係になるなんて、神代にも聞いた事はない、気がする。
 どうも胸が苦しくって、どうしたら良いか困る。嗚呼、早く恋とは何ぞや、愛とは何ぞやを見つけねば。

白鷺舞い 包む大空広く しかして冷たく暗い……
「嗚呼、ダメだ。詩の気分じゃあない!」

 詩が今、詠えない。だが、それはボクの本業では無いから、さして何も思わないが……少しの危機感はある。何だろうか。こうした嫌な予感は良く当たる。嫌な事に。嫌な予感なんて当てたくも無いのだが、当たるモノは当たるのだ。
 このまま詠えなくなったら……恐らくは。予想された未来が非常に笑い話でなくて、焦燥に駆られる。焦りは禁物でしょうか。でもボクはソレしか無いのです。
 嘆くボクの声が聞こえたのだろう。向こうから白秋先生がやってきた。

「どうしたのだい? やけに困窮しているようだけど」
「えぇっと、ちょっと詩が詠えなくなりまして……多分、軽度のスランプでしょう。その……お気になさらず……」
「ふむ……君が詠えないのはちょっと大変だね」

 白秋先生は、ボクの尊敬する詩人の一人だ。詩人として尊敬しているのは、北原先生と中原先生のみ、と言っても過言ではない。小説家として尊敬しているのは坂口先生のみだが。閑話休題。
 白秋先生は、ボクの詩を「それはそれで良い」と評価してくださっている、とてもとてもありがたぁいお方だ。拝んでも拝みきれない。ボクの詩を評価してくださるとは……
 それはそれで良い、とはこの先生にしてはかなり褒めている方だとは思わないだろうか。北原先生が詠っていた時代と、ボクが気紛れに詠っていた時代は、かなり違う。それも加味した言葉だ。そして、ボクは小説が本業である。小説家にしては面白い詩を詠うじゃないか。そうした評価だ。手厳しい。……今のボクは大変不本意ながら詩人として転生しているから。こう、自嘲と共に、もっとこの人に有無を言わさずに高評価を下して貰える詩を詠わねば、とも思う。
 その裏側を承知している事を、北原先生は承知している。本当に……そうしたところが尊敬するべき人である。高い霊峰が如き御仁である。そんな人がボクを気に掛けて下さっているので、襟を正すが如くしゃんとした態度で、いたいなぁ……

「何かあったね。困っているのなら僕に遠慮なく言えばいい。力になってやらなくもないのだよ」
「えぇっと、自分でもよく分からないんです……こう、雲が掛かったように晴れないのです。心が。そのような状態で詩を詠う気にはなれなくて、それでも言葉を追い求めてしまうのです」
「……ほぅ? その雲の色は何色をしているのだい?」
「全天にかかってはいるけれど、しかし太陽が透けているのか、重苦しくないがそれでも白と言い難いあの色……でしょうか……?」
「つまりは明るい灰色、と」
「そうとも言えましょう……か」

 明るい灰色。明るい灰色……何だか違う気もするが、今は此れで通してしまおう。言葉を与えられたら、それに帰属してしまうから。言霊と言うのはだからこんなにも恐ろしい。
 それにしても、あの人が曇り……それはあってはならない。でも、詠おうとすると、どうも昨日の夜の事を思い出してしまう。この思いを詩にしたいのだから当然だ。
 フゥ、と溜息にならないように息を吐くと、北原先生がからかうような表情をした。

「――まるで、恋をした女学生みたいじゃあないか」
「へ?」

 言われたことが一瞬だけ理解できずに、北原先生に首を傾げて見せる。ボクが、恋を?
 北原先生のからかうような表情はどこかレアリティが高い。そうした表情でも気品を感じさせるのだから、本当に参考にさせてもらおう。さて、この表情をなんと表現すれば良いのだろうか。静かなる悪戯心を湛えた瞳が、って感じかなぁ。
 そんな呑気な事を思っていると、北原先生が言った。

「恋も知らぬ乙女が、恋を知った瞬間に立ち会ったその男は……さぞかし幸福だろうね。その男に泣かされるようなことがあったら遠慮なく言ってくれたまえ。この僕が直々に説教してやろう」
「えっと……ありがとうございます」

 反応が取り難くて、ペコリと頭を下げる。すると、北原先生はひらりと手を振って立ち去った。
 ……本当に先生は優しい方だ。ボクが紫煙を不得手としている事を覚えていてくれているのだから。紫煙の香りは好きだが、かといって煙自体はあまり得意ではない。嫌な事を思い出す。
 でも、ここに転生してきてから煙草が身近にあるようになった。そろそろ作品の小道具に使ってもいいかもしれない。今までは喫煙者を出して来なかったから、良いかも。そうとなれば喫煙者を観察しなければ。
 煙か。思い付いたボクは口遊む。

紫煙たなびく アナタの遠くに私が一人 苦いも辛いも 薄れて消えて
「……師匠も、吸う方だったなぁ」

 あまり近くには寄れないが、師匠が煙草をお吸いになられる姿を幾度か見かけている。
 ――マントを外して、ジャケットを腕にかけて、そうして壁に寄りかかって素手の方の人差し指と中指で煙草を挟んで、少し陰のある表情で、ちょっと俯いて、そうして深く息を吐くのだ。
 そうした姿にニヒルを感じてしまう。甘く胸を締め付ける。デカダン……退廃的ではない、気がする。しかし背徳的とも違う。うん、煙草をお吸いになられる師匠は、ニヒルを感じさせる。
 ニヒルとは、虚無である。虚無だ。エンターテイナーとしての笑顔を一時的に脱ぎ捨てて、そうして本来ならば命を縮めるだけの行為を繰り返す。
 ボクは<虚無>に惹かれやすい性質を持っている。でなければ誰が自殺など。死ぬ前の記憶はあいにくと持っていなかったが、睡眠薬の大量摂取は実は一回だけやった事がある。転生してから、ではない。する前に、密やかなる自殺未遂で。

紫煙たなびく アナタの遠くに私が一人 苦いも辛いも 薄れて消えて
私怨まつろう 私の近くにアナタが一人 甘いも辛いも 霞んで呑んで
思淵うつろう アナタと私の隔たり一つ すいも甘いも 融けて手放す
「……詠えた……」

 先程まで悩み倒していたのは何だったのだろうか。正にピタリと言い表せたでは無いか。やったじゃん。詠えたことを喜んで、北原先生を追って、それでお聞かせしては礼を言うべきだろう。言うべきなのだろうね。
 でも、どうしてだか寂しさが襲い掛かってきて、ボクは自室の方へ足を向けた。いつもの発作だろう。虚無に惹かれるタチで、それを好んでもいるが……近付きすぎると体に毒になる。
 視界の端で赤い着物が揺れている。曼珠沙華のようなアカ。青い蝶に、黄色い帯。白い肌に、おかっぱ頭の――女の子が、こちらを見て笑っている。
 鬱蒼と笑って、彼女はアチラ側へボクを誘う。生前からボクに付き纏うストーカーだ。だが、これはボクにしか見えていない。嗚呼、視界の端からチリチリと赤に染まる。赤は嫌いだ。何より嫌いだ。囚われる。
 同じ囚われるのであれば、ボクはあの青に囚われたい。晴れ渡った空のような、或いはブルートパーズのような、あの青に。
 
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