地獄への道は善意で舗装されている。
□恐ろしい、犯罪者へ向けて。
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職場体験3日目、夕方。私たちは保須市に来ていた。街に変わった様子はなく、至って平和に見えた。
ここでインゲニウムの惨状が起きてしまったのかと思うと、とても平常心ではいられそうになかったが、なんとか堪えた。
「大丈夫?具合が悪いのかい?」
「すみません……大丈夫です」
飯田くんの職場体験先はマニュアル事務所だと言っていた。具体的な住所は知らないけど、マニュアル事務所は保須にある。きっと飯田くんもそれを分かって選んだんじゃないだろうか。
マニュアルだってヒーロー殺しの事件を知らないはずがないし、パトロールもしているに違いない。もしかしたら会えるんじゃないか。
「もしも敵が現れて、俺に何かあったときは、君が逃げて他のヒーローの応援を呼んでほしい。決して君がどうにかしようとしなくていい。危険な真似はさせたくない」
「……分かりました」
だいぶ日が沈み、帰宅途中のサラリーマンが増えてきた。他にもバイト帰りなのか塾帰りなのか、リュックを背負った男の子や、合コンの話をするOLなど、街には色んな人が溢れている。
突如頭に響くような大きな音と共に、悲鳴が響いた。
「なんだ!?」
急いでそちらに向かうと、脳みそをさらけ出したような異常な生物が暴れ回っていた。まるで怪物だ。車はぺちゃんこ、標識はへし折れ道路も割れまくっている。そいつの近くには女の人が倒れていたが逃げる素振りがない。ただ、顔は恐怖しかなかった。こちらを見て助けて!と叫ぶ。
怪物が女性に1歩近づいた。
「『それ以上近づくとお前は体が動かなくなるぞ』!」
また1歩、足を踏み出す。しかし動きが止まる様子はなかった。シーソウルの言霊は届いていない。聞こえていないのか、もしくは理解することが出来ていないかだ。
「やめて!」
女性に手が伸びる。私はコンクリートを変形させ、2人の間に壁を作った。あんなに暴れる奴だ、これくらい簡単に壊せるはず。けれどとりあえず留まった。その隙にシーソウルが女性を連れ出し、私に押し付けた。
「君はこの人を連れて逃げろ。そして応援を呼べ。ここには戻るな」
「でも!」
「『いいから早く』!」
個性を使われた。私に逆らう術はない。女性を連れ、安全なところまで走った。その頃には個性の効果もきれていたが、応援に向かったプロヒーローからも来ちゃいけないと言われ、どちらにせよ向かえるはずもなかった。
怖い。足が震える。あの化け物はなんなんだ、人間じゃない。さっきは理解が追いつかず咄嗟に行動できたけど、今は無理だ。動けない。
騒ぎは次第に大きくなり、悲鳴や衝撃音などが絶え間なく鳴っていた。
こわい、とにかく離れたい。その一心で、私は遠ざかるように走った。いくつかのビルを通り過ぎたとき、何か話し声が聞こえた。思わず立ち止まってしまう。
だってそれは、飯田くんの声だったから。間違えることはない。毎日のように聞いている彼の声を、間違えるなんてこと……。
だけど自信は持てなかった。その声は悲痛に満ちていて、飯田くんとはまるで別人ようで。苦しさや悔しさ、怒り、色んな感情がごちゃごちゃになったみたいな、聞いたことの無い声だったから。
「兄さんは僕のヒーローだ……僕に夢を抱かせてくれた立派なヒーローだッ!殺してやるッ!」
思わず路地へ飛び込んだ。そこには倒れ込み肩を刺されている飯田くんと、プロヒーローと思われる人物、それから……間違いない、ヒーロー殺し・ステインが居た。相手が刃物を持ってると知って一瞬体が強ばる。でも止まれない。
「飯田くんから、離れて!」
「またガキか」
地面を先程と同じく壁のように変形した。ステインは距離をとり、面倒くさそうに私に目線をやった。
「なぜ、水無月君が……!」
「ただの、偶然だよ。話し声聞こえて……行かなきゃ、助けなきゃって、思った」
「さっきからそこで立ち聞きしてた奴か……」
ステインは長いため息をつく。
バレて、いたんだ。これからどうすればいい?呑気に立ち聞きなんかしていたから、プロヒーローなんて呼べていない。何より、皆さっきの化け物のところに行っているはずだ。
「飯田くん、動ける?」
「君は逃げろ!関係ないだろ!」
「いいから答えて!」
「っ……無理、だ」
飯田くんならエンジンでどうにかなると思ったが、無理そうだ。私なんかじゃ退けることも出来ないだろう。今まで何人も殺しているやつを相手に、どれだけ時間稼ぎできるか。
「俺にはそいつらを殺す義務がある。女だろうと子供だろうと、邪魔をするなら粛清の対象になるが……」
「ここで逃げればヒーローにはなれない!……それに!」
なにより、飯田くんは「殺してやる」と言ってしまった。ヒーローが「殺す」なんて、許されることじゃない。気に入らない者を消していくだけなら、結局それは犯罪者と同じだから。
だけど本当の飯田くんはそんな人じゃないでしょ。お兄さんの事件が、つらいだけなんでしょ。道を正してやるのだってヒーローのお仕事だって言ってたもん、私は飯田くんのために戦おう。
「飯田くんに『殺してやる』なんて言わせた奴を、私は、許すことは出来ないの」