幸運は勇敢な者を好む。

□居酒屋にて。
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ガシャン!と盛大な音をたて、持っていた数個のグラスが割れた。まただ、一昨日も皿を割ってしまった。当然弁償はするが、それでも迷惑をかけたことに変わりはない。



「ごめんなさい!今片付けます……!」


大きな破片を拾っていった。中にはお客さんの足元にまで飛んでいったものもあり、優しい常連さんが拾ってくれた。このお店にはそもそも常連さんしか居ないのだけれど。今日も今日とて仕事終わりのサラリーマンの方々がお集まりだ。

大きな破片は新聞に包んでおく。細かいものはホウキで集めて捨てた。仮にもお食事中の室内。あまりホコリなどが舞い上がらないように気をつけて。


「咲涼ちゃん、大丈夫?怪我とかは?それに最近落ち着きがないみたいだけど。ソワソワしてて」
「え……そう、ですかね」


特に何かあるわけでもない。轟くんや麗日さんとLINEで話したり、時に男を引っ掛けては個性でささやかな情報を貰う。

女につられる男は、たいてい心の鍵はかけていない。下心は丸見えだし、読むまでもなく気持ち悪いことを考えている場合が多い。そんな人間相手に個性を使うのは容易いことだ。そりゃあ上手くいかないこともあるけれど。


まぁそんなことを繰り返す日々は続いた。いつもと変わらないような毎日だった。落ち着きがないとか、そんなこと言われるほど様子がおかしかっただろうか。


「ごめんなさい、気をつけます」
「無理しなくていいからね、何かあったらいいなよ」


もう咲涼ちゃんは私たちの娘みたいなもんだから!と笑った奥さん。客足も落ち着いてきたし、ちょっと休みなよ、とまで言われてしまった。


「じゃあ咲涼ちゃん、こっちおいでよー」


団体の常連さん。もはや顔馴染みとなった彼らは、すでにべろべろに酔っているみたいだった。居酒屋だから当然ではあるが、酒臭くて顔が真っ赤で、そのくせ「酔ってない」なんて言い張る酔っ払い。


「平田さん、奥さんに怒られたからお酒は控えるんじゃなかったんですか?加藤さんも9時には帰るんですよね、もうその9時になりますけど」


松島さんだってプリン体がやばいからビールは飲まないって言ってたのに。痛風になってもいいのか。具体的にどんな病気なのかは知らないけど、結構キツいらしいと聞いたことがある。関節が痛むとか何とか……ただ関節が痛むだけではないようだが。

まぁどんな病気になったって私が知ったことではない。こちらはこちらなりに普段から注意はしているつもりだし、それでもビールを飲むというなら病気になっても自業自得だ。



「みんな大人でしょ、有言実行してくださいよ!」
「そういう咲涼ちゃんは、恋人出来たのかぁ?」
「それは、"今年中を目標に"ですから!」



確かに以前「私!恋人作ります!」と言ったことはある。新年になり1ヶ月ほど経ってから、初めてみんながこの店に集まったとき。酔った勢いで今年の目標発表会が始まってしまって、そのときに流れで……。しかしあくまでも目標であって、絶対!とは言ってない。

真っ当に生きていない時点で恋人は望んでいないが、街中でカップルを見た時は人並みに羨ましい、と思ったりもする。当然だ、年頃の女の子だもの。"女の子"と言えるのかは別として。



ガラガラ、と控えめに開かれたお店の引き戸。こんな時間に来るなんて、はしご酒だろうか?と思いつつ顔を向けて、固まった。そこには轟くんが立っていたからだ。仕事帰りなのだろう、少しだけ疲れているようにも見える。


「合ってたか、良かった」
「来てくれたんだね!」


空いていた席に案内した。轟くんが席に座ってからもみんなの視線がこちらに向いていて、他のお客さんも店を切り盛りするご夫婦も、突然の来客に呆然としているようだった。



「俺、場違いだな」
「そんなことないよ!ただ、プロヒーローを生で見たら驚くでしょ?」



轟くんと久しぶりに会った時、私もかなり動揺した。不審者じみていたように思う。誰だってそうなるはずだ。それほどに凄いヒーローだもの、ショートは。


「そういうもんか」
「そういうもんだよ。ところで轟くん、何飲む?おつまみとか」
「男は焼酎だろ!」


横槍を入れる酔っ払いに「うるさいです!」と返し、轟くんに謝る。ここの人達は酔うとタチが悪くて嫌だ。せっかく轟くんが来てくれたのに、不快になったらどうするの。



「ごめんね、好きなの飲んで!」
「……じゃあ焼酎、ロック。銘柄とかは何でもいい、おすすめのやつ。つまみも水無月のおすすめくれ」


メニュー表を見ることもせず、轟くんは考えていたかのようにすらすらと言った。苦手な食べ物はないか聞くと、温かいそば、と答えた。おつまみに温かいそばを出すことはないから安心してほしい。他には特にないようで、この店の看板メニューを作ってもらおう、と思った。


「咲涼ちゃん、あれ、ショート……!?」
「そうです、私の、知り合いで。……サイン、聞いてみましょうか?」
「うそ、ありがとう!」


店長は思いがけない幸運、というように顔を明るくさせたが、話しかけてきた時点で「サインが欲しい!」みたいな顔をしていたので、どこか期待してたんでしょ、と言いたくなった。それなりに長い期間ここで働いてるのだから分かる。


「もらえなくても文句言わないでくださいね」


焼酎のロックなんて、私にはキツすぎて飲めないなぁ、とぼんやり考えながら、返事をした。








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