幸運は勇敢な者を好む。

□呼吸困難の夜。
1ページ/1ページ






私は理解できなくて、何度も頭の中で繰り返した。好きな女、だって。彼は冗談を言うような人じゃなかった。嘘だって案外下手くそで、素直だと言えば聞こえはいいけれど、だからこそタチが悪いこともある。


「昔から言ってただろ、好きだって」
「前はそうでも今は……!」



……"昔"?以前のことを懐かしむほど、私たちに思い出なんてないはずでしょ、昔ってなんなの。ただクラスメイトだっただけの私たちに、何かそんなにも深い仲になることがあった?いいや無い。

彼はクラスの、学年の憧れで。私は光を浴びては濃くなりゆく影に過ぎない。紙一重でありながら交わることのない存在だからどうにか成り立っているんだ。なのに。



「……わかんないよ、昔のことなんか!好きとかそんな……約束のことだって知らないっ!」


だからもう、私にその話はしないで。出来ることなら貴方もそのことを忘れて。


「もう轟くんとは関わりたくない!」


はたと気づいたときには遅かった。バックスペースもデリートも存在しない。例え心にもないことだったとしても、口から出てしまったものは真実となり、消し去ることは出来ない。


「……お前……」
「ご、ごめっ……」


彼は眉をひそめてこちらを見ていた。その視線がとても恐ろしく感じる。謝ることも忘れ家を飛び出した。出来るだけ遠くに。彼も来ることができないほど遠くに。そう思っても、体力がそれを許さなかった。

はぁ、と肩で息をして走るのは諦めた。轟くんは来ていなさそうだ。あんなこと言ってしまえば当然か。



彼が来ていないと知ると、途端に油断してしまい、呑気に考え事を始めた。

どうしよう、荷物は置いて来てしまった。泊まるところもない。まさかこのまま路上で寝るわけにもいかないし。……この1週間、どれほど轟くんに甘えていたのか思い知らされる。


彼の家での生活は心地が良かった。付き合ってもいない男性の家に寝泊まりというのは、ふしだらなことだろうけど……轟くんだから安心できた。彼のでなければあのような生活感溢れる家に住まうことなんて出来ない。

例えばチャージズマなんて、プライベートなことはテレビで見る程度の情報しか持っていないし、突然家に招かれても困惑する。インゲニウムやデク、セロファン、ツクヨミ……誰であろうと。


轟くんだから、近くに居たいと思ってしまった。無性に心が疼いて、求めてしまった。この感情をどう表現すればいいのか分かっているつもり。だけど認めることはできない。だって、だって私は敵なんだから。許されるわけ、ないでしょ。


近くで野良猫がにゃあと鳴いた。目を合わせないように近付いて、そっと触れると、ごわごわした毛が絡みついた。猫に逃げる様子はなく、されるがまま。よく見るとその猫はオッドアイだった。以前どこかで猫はオッドアイが比較的多い、と聞いたことがあったような。いつだっただろうか。


……轟くんもオッドアイだ。綺麗なライトブルーと、ブラウン。全然違う色なのにどちらも吸い込まれるような錯覚に陥って、あの目に見つめられるだけで体が動かなくなってしまうような気がする。

だけど私はあの瞳が好きだ。中学生の頃はもっと鋭く恐怖さえ覚えたが、今は柔らかく温かみを帯びた眼差しとなっていて、安心する。だからこそ先程の眉をひそめた表情が、本当に嫌で仕方がなかった。


あぁどうしよう。謝らなければならないけれど、彼と会うなんてこれ以上ない拷問だ。私が悪いのだから彼にどれだけ叱責されようと自業自得なのに、とても耐えられない。


情けなくて涙を流しそうになったとき、猫が欠伸をして走り去った。あの子には帰る場所があるのだろうか。


「ひっ……!つめ、たっ……!」


立ち上がった私の体を覆ったたくさんの氷。動くこともままならず、以前もこんなことがあった、とぼんやり思い出した。


「探したぞ」


右腕に付着した氷も溶かさず、彼は私の前にやってきた。あのときもこうやって私の動きを封じた。溶かしてもらったら靴がべちゃべちゃになって、轟くんに少し怒ったら可愛らしくシュンとするものだから、思わず許してしまって……。


「氷、溶かしてよ……轟くんと関わりたくないって、言ったでしょ」
「俺は話してぇことがある」



話したって仕方ない。あんなことを言っておいて仲直りだとかなんだとか出来るとは思ってない。私は敵であることを打ち明けるつもりもないし、彼にそれを知られるなんて、死んでも嫌だ。彼にとって話すことがあっても、私にはないのだから、苦痛でしかない。



「俺は知ってる。隠さなくていいんだ」


何が、と小さく呟くと、彼は一呼吸置いて周りを見回した。そしてそっと口を開いた。




「お前が、敵組織に所属してるってことだ」












次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ