地獄への道は善意で舗装されている。
□恐怖を感じない人間は居ない。
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「どうして、インゲニウムが……」
「あー、それは……」
ちら、と飯田くんの方を見るインゲニウム。飯田くんは小さく咳払いをした。
「僕らは兄弟なんだ。だから個性も同じエンジンで……」
「そう、なんだ」
頭の整理が追いつかない。通り魔に襲われて飯田くんが来て、そりゃあそうだ。
ちょうどその時、パトカーがやってきた。警察の人とインゲニウムが少し話をして、私も警察の方へ行く、と伝えられる。
被害者として話さなければならないことがあるからだ。
「水無月君、本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ!」
そっと伸ばされた手を払うように、私は飯田くんから離れた。彼に迷惑をかけるわけにはいかないと思って。……いや、どうだろう。
母には警察から連絡がいった。ドラマで見るような取調室ではなく、もっと温かい雰囲気の部屋で、当時の状況を聞かれる。
けれど上手く言葉が出なかった。優しそうなおじさんが、ゆっくりでいいんだよ、と言ってくれたけど、そう言われるほど何も喋れなくて。
「あ、あの、女の、人って……」
私の言いたいことを汲み取ったように、少し待っててくれるかい、と言われた後、若いお姉さんが出てくる。
「ごめんね、男の人じゃ怖かったよね。自分のペースでいいから、私に話してほしいな」
女性に変わった途端、すんなりあれこれと話すことが出来た。同性だからじゃない。優しそうだからじゃない。ただ、男の人じゃないからだ。
「……ありがとう、つらいのに話してくれて。犯人は捕まえたから、安心してね」
外には母が真っ青な顔で立っていて、私を見た途端ぎゅう、と強い力で抱きしめてきた。
私よりも母の方が泣いているんじゃないか、っていうぐらい酷くて、思わず笑ってしまった。
「大丈夫、だから」
「だけど、怪我もしてるじゃない……!」
確かに怪我はしているけど、病院で手当はしてもらったし、それほど深くもないからじきに治るって言われたし。
そんなに心配するほどじゃない。
「ね、帰ろ」
仮にも犯罪者が居るこの場所に、あまり長居したくはない。
食欲はなかった。美味しそうな匂いがしても食べたいと思えない。だからすぐに部屋にこもった。
飯田くんから何件か連絡が来ていて、そのどれもが私を心配してくれているような内容だった。ありがとう、もう家に帰ってきたよ、と返事をしておく。
明日も学校がある。だけど明日は休んでも構わないだろうか。学校にも知らせは行ったらしいし、たぶん、いいよね。
行きたくないのだ。
行かなければ私がつらいのに。ただでさえ不利なんだから、これ以上遅れをとるわけにはいかないのに。
「どうしよう……」
ヒーローだったら、どうするんだろう。
もしも私がヒーローで、助ける力があるなら。
そのときは、敵に立ち向かえるのだろうか。誰かを守るために。
明日はどうするか決められないまま、いつの間にか意識を手放した。
次の日。私はインターホンの音で目が覚めた。もう学校が終わっている時間。結局休んでしまった。しかも寝すぎだ。
母は居ないようで、仕方なく玄関に向かい、ドアの小さな穴から外を覗く。
そこには制服姿の飯田くんと、私服のインゲニウムが立っていた。
「水無月君、大丈夫か?」
「飯田くん……ありがとう、大丈夫だよ」
学校は休んじゃったけど。相澤先生はなんて言うかな。
「インゲニウムも、一緒なんですね」
「突然ごめんね。様子を見に来たんだ。……やっぱり、つらいだろうから」
インゲニウムは真剣な顔で、でも優しく言葉を続けた。
「無理して学校に行く必要はないよ。傷は簡単に治らない。わざわざ怖い思いだってしなくていい」
「だけど、ヒーローに……」
「ヒーローがそんなにも強いものに見えるかい?」
インゲニウムは少し悲しそうに言った。
「ヒーローだから、ヒーローになりたいから……。向上心はいいことだけど、俺達だって人間なんだ。怖いし痛いし逃げたくなる」
君だって、まだ甘えてもいい歳なんだよ。
軽く頭を撫でられ、思わず私は涙を流した。母だって、きっと同じようなことを言ってくれたと思う。だけど、あの時助けにきてくれてヒーローが、実際、現場でも活躍しているような本物のヒーローがいう言葉には、重みがあった。
「ありがとうっ……ございます……っ……!」
しばらく私の背中をさすってくれてインゲニウムは、これからについて話し始めた。
「怖いだろうし、登下校は天哉としたらいい。天哉なら君を連れてエンジンで逃げられるしな!」
任せろ!という飯田くん。嬉しいようで、そうじゃないような気がした。
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