ひどい病気には思い切った処置を。

□Love is blind.
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私は後悔していた。咲涼をNESTに連れてきたことをだ。仲間たちから彼女の様子を聞く限り、どうやら心配はなさそうだったが、環境の違う中、慣れない生活を続けるのは楽ではない。事実、彼女は熱を出してしまった。四十度近い、かなりの高熱だった。治った今でも油断はできない。いつまた倒れるか……。


咲涼を苦しませたのは私の責任だ。誰よりも気にかけなければならないのに、気付けなかった。


「“恋は盲目”という言葉を知っているか」


書類を届けに来たアイアンハイドが、不意にそんな言葉を投げかけてきた。私は軽く頷いて、「それがどうしたのだ」と返す。サインを書かなければならない書類も、確認しなければならない書類も、レノックスに渡さなければならない書類もたくさんあるというのに、作業は全く進まなかった。


「いや、まさにあんたのことだと思ってな」
「……そんなにも、か」
「あぁ」


確かに私は、彼女のことが愛しくてたまらない。いつも傍に居たいと思い、今は何をしているのだろうかと考える。柔らかい体をこの腕で抱きしめたい。さらりとした髪の毛を手に取り、幾度も彼女の名を呼びたい。そして彼女の声で私の名を呼んでほしい。願わくば、あの唇を、また、もう一度……。


「ち、ちがうっ!」


いきなり立ち上がった衝撃で机から書類がバラバラと流れ落ちた。床に散らばる紙と事態に追いつかないブレインサーキット。拾い集めなければ、と冷静に考えたのは、彼が「おいおい」と呆れ気味に溜め息をついてしゃがみ込んだときだった。

忘れようとした。だがメモリーから削除することができない。あのときの彼女の表情も、感触も、熱も。消し去るべきだと分かっているはずなのにしないのは、咲涼の言葉に期待してしまっているからだろうと思う。


しかし、果たして、真に受けてもいいのか。彼女からの好意があるとは思いたいが、それが恋や愛なのかと問われるとそう思えない。親しみの心がそうなのだと、彼女はきっと勘違いしている。

そもそも我々は種族が違い、生きる世界も、本来なら違うのだ。そこに恋愛感情が生まれるなんて……ありえない。

私も諦めるべきだったのだ。こんな熱情、覚えるべきではなかった。



「“恋は盲目”とは、欠点も可愛く見えてしまう、という意味が強いかもしれないが、あんたの場合は違う」
「……どういうことだ?」
「愛しすぎるあまり、あいつのことをきちんと見ていないんじゃないか?」
「そんなことは……」
「あるね。あんたは自分が思う以上にあいつを見ている。それはもう俺たちが冷やかしたくなるくらいに。だが……本質は見ることができていない」


立ち上がったアイアンハイドは乱雑に書類を置く。数枚の紙切れには折り目がついていた。それが重要なものだったら、と考えるだけの余裕は私にはない。


「まぁ、俺も水無月咲涼のことはよく分からない。だから偉そうな口はきけないがな」


それだけ言い残して、彼は立ち去った。扉の近くまで飛んでいた書類は、私にもアイアンハイドにも拾われることはなく、そのうえ彼に踏まれてしまったことでふにゃりとよれている。

私はしゃがみこんだ姿勢から動けなかった。やらなければならないことは分かる。時間は有限でないことも分かっている。しかし、私の身体は言うことを聞いてくれない。全身を縛り付けられたみたいに指の一本すらも動かず、静寂が私を包み込んだ。

次第に視界が歪んできたような気さえしてくる。踏まれてよれた紙切れも、床に転がったボールペンも、倒れて中身をぶちまけたゴミ箱も、全てが私を嘲笑っているかのようだった。なぜだ?なぜあれらが私のことをこんなにも嗤うのだ?私がいったい、何をしたんだ?


──いいや、何もしていなかった。彼女と話すことすらしていない。行動を起こさずしてお互いに分かり合えるはずなどないのに。我々は性別も年齢も種族すらも違うのだ。踏み出す勇気がなければ進むことはできない。それは当たり前のことだった。だが分かっていなかったのだ。数えきれないほどの年月を生きたはずの自分は、事実とは裏腹に、子供だった。






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