倉庫
□盗人と旅人と、王様と旅人たち。
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偽札の国
夏と秋の境の季節。海岸近くの森の中を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が砂利道を爽快に駆け抜けていく。
海辺独特の木々は、密集とは言えないギリギリの密度で生えており、人の手が入っていることを想像させる。遠くから聞こえる車の走行音は、この道を通る者に、この先にある大きな国の存在を知らしめていた。
森を吹き抜ける涼し気な潮風が、まだ年若いモトラドの主の、黒いジャケットをはためかせる。
黒のジャケットは太いベルトによって腰の位置で締められている。右腿にはリボルバータイプのハンド・パースエイダー(パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)のホルスターがあった。腰の後ろにも、もう一丁自動式をつけていた。
見事な秋晴れの空の元、うっすらとした雲とともに調子っぱずれで歌ともいえない陽気な歌声が流れていく。
「きょ、う、は〜、おっひさっまが〜、きっれいっだな〜」
「……エルメス、君には太陽が見えるのかい?」
「見えてるよー、キノ。サイドミラーに映ってるからね!」
「ふぅん」
キノと呼ばれた運転手が、モトラドに生返事を返す。
エルメスと呼ばれたモトラドは、その反応を気にも留めず、またとても気分のよさそうな声で歌い始めた。なんとなく、キノがエルメスのサイドミラーに目を向けると、そこには、森の入口から覗く波が、きらきらと水面に太陽の光を揺蕩わせていた。
日の差す方角を探すと、丁度進行方向の左斜め後ろから赤くなりつつある光が木漏れ日となりキノやエルメスに当たっていた。もう日が暮れ始めていることにキノは少しだけ驚く。
しまった、これでは早めに寝床を確保しなくてはならない。しかし、これから向かう予定の国まではまだ少しかかる予定だ。
「ねえ、エルメス」
「あっキノ!前から何か飛んできたよ!?」
「え……うわっ」
顔面に向かって飛んできたそれを、キノは反射で掴んだ。
一瞬、ハンドルが砂利の凹凸に取られ、エルメスが跳ねる。
「うわあっ!?いきなり離さないでよ、まったくもう!」
「ごめんって。……紙?」
掴んだ拍子にぐしゃりと潰れたそれを、減速しながら透かして見る。
「10,000」の文字と、見覚えのない人物の肖像が大きく印刷された、長方形の紙片……否、紙幣だ。
「よっ、と。えーっと?ふむふむ」
「どう?キノ。なにか面白いことでもわかった?」
エルメスから降りたキノが、改めてその紙幣を観察する。
「このお金、次に行く国の紙幣だね。国の名前が記されてる」
「へえ!やったね、キノ。“嫁に癌を盗られる”、だ!」
「……“鬼に瘤を盗られる”?」
「そうそれ」
「けどこれ……」
「なあに?」
エルメスはキノの中途半端な言葉に疑問を提示したが、キノはその疑問に答えることはせず、しばらく紙幣を見て考え込んでから小さく首を振った。
「いや、なんでもないよ」
「そっか」
キノは紙幣をポケットへ無造作に詰め込むと、気を取り直してエルメスに跨る。
早く進まないと、日が暮れてまた野宿する羽目になる。ここらで夜を明かすには、場所的にも季節的にも風が寒すぎるし、なにより風呂に入らない生活はもう今日で六日目、洗濯もかなり溜まっている。
なんとしても、日が暮れる前に到着したかったキノは、凹凸の激しい砂利道をスピードを上げながら駆けていった。
夜。何とか目的の国の入国審査を受けるキノに、入国審査官の一人が「すいません」と、問いかけた。
「はい、なんでしょうか」
「その、大変恥ずかしながら、先刻、この国一大きなカジノを賊が襲って逃走していまったのです」
「ほうほう、それでそれで?」
エルメスが相槌を打った。相棒の存在を、先程までの審査中に知っていた審査官は、気にすることなく話を続ける。
「この国の警察も誠心誠意捜索中なのですが、何せ相手は世紀の大泥棒・アルセーヌルパンの孫を名乗るルパン三世でして、なかなかどうして手掛かりがないのです。ですので、何か手掛かりや目撃情報などございましたら教えていただきたいのですが……」
物凄く申し訳なさそうに申し出る審査官に、エルメスが「それって」と言いかけた。しかし、キノがそれを、彼から見えないように片手で制す。
「――ごめんなさい、分からないです。生憎と、ボクたちは森の方の小道を進んできたので、手掛かりらしい手掛かりは持ち合わせてないんです」
「そうそう。なーんにも知らない」
エルメスが何かを言おうとしたことに気づかなかったのか、審査官は少し気落ちしたようなそぶりを見せつつキノたちに礼をした。
「そうですか……。ご協力、ありがとうございます。
どうぞ、我が国の文化をお楽しみください」
「それほどでも」「いえいえ〜」
手渡された入国許可証をバッグに詰め込んだキノは、エルメスを押して門をくぐっていった。
宿についてようやく六日ぶりの入浴を終えたキノが、『森の人』と呼ぶパースエイダーの手入れをしてると、「ねえ、キノ」とエルメスが問いかけた。
「なんだい、エルメス」
「なんでさっき、“手掛かりを知らない”って答えたの?森の中で拾ったお金、たぶんその泥棒が落としていったやつだよね?」
「多分じゃなくても、そうだと思うよ。他にも何枚か拾ったしね」
そう言って、キノは壁に掛けたジャケットのポケットから、丸まった十枚ほどの紙幣をごそごそと取り出す。
広げられたそれらに書かれたそれらには、全てに「10,000」の数字が書かれていた。
「ワオ!キノ、お金持ちじゃん!」
「これが全部本物なら、ね」
キノはそう答えながら、今度はバッグのポケットから二枚の紙幣を取り出した。
その二枚とも、先程キノが取り出した十枚と同じ数字と人物が描かれている。
「これ、さっき入国するときに両替した分だよね?」
「そうだね。こっちは使える」
そう言ってキノは、二枚の方をベッドに丁寧に置いた。
「けど、こっちは使えない」
今度は、十枚の丸めた紙幣を乱雑に置く。
「んん?そっちとこっちとじゃ、どう違うの?」
「こっちは本物で、こっちは偽物なんだ」
つまり偽札だよ、と言って、キノは二枚の方を丁寧に鞄に戻してから、再び『森の人』の手入れに戻る。
しかし、エルメスはまだその言葉に納得がいかないようで、「でもさ、」と言葉をつづけた。
「これは泥棒の落とし物なんでしょ?だったらつまり、そのアセロラなんちゃらって泥棒は、偽札をわざわざ盗んでいったってことなのかい?」
「多分、途中で気づいて捨てていったんじゃないかな。新聞によると、襲われたのは国営カジノらしいから、きっとこの国のほとんどお金が偽札かもしれない」
「国営カジノに偽札かぁ、あんまりいい感じはしないね」
そうだね、とキノは頷いた。
「師匠に聞いたことがあるんだ。とある国の政府が、他国の経済を操作するために精巧な偽札を作ることで有名だってね」
「ふうん。奇特な国もあったものだね」
「昔は、本物よりも精緻に作られていて、称賛に値するものだって言われていたそうだけど……最近はそうでもないようだね」
キノによれば、偽物の印刷はどうにも雑で、ともすれば鑑定眼なんてものがなくても、よくよく見ればわかるほどに作りが雑……らしい。
もちろん、エルメスにはベッドまで歩くための足も、偽札を持ち上げるための手も無いため、比べることなど不可能だったが。
『森の人』の手入れを終えたキノは、偽札を鞄の反対側のポケットにしまってから電気を消した。
「明日も早いからね。寝坊しないでよ、エルメス」
「わかった。お休み、キノ」
「お休み、エルメス」
そして時刻は、闇に潜むことを本領とする者たちのためのモノに移り変わっていく……。