夢に溺れる。
□幕間
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「おかあさん
わたしにおかあさんはいませんが、わたしはおかあさんになったことがあります。
おとうさんも、まだそのときわたしのことをおかあさんだとおもっていました。
だから、わたしはおとうさんがだいすきです。
おとうさんのかんがえていることはまだみえないけど、おかあさんのきおくはうまれたときからみているので、もうぜんぶおぼえました。
わたしはまえ、おかあさんだったから、ほいくしだったおかあさんとおなじで、ちいさな子どもたちがすきです。
なぜなら、ほいくしさんというのは、いろいろなちいさいこのおかあさんになっていてあげるしごとだからです。
だから、わたしはおかあさんにもなれるしこどもにもなれます。
けど、おかあさんはこどもをうむとしんでしまうほどいたくていたくてたまらないし、ので、わたしはしばらくほんもののおかあさんにはなれないだろうなとおもいました。
でも、おかあさんというのは、じぶんのこどもをまもることができるひとがなれるとおとうさんにおしえてもらいました。
だから、わたしはおかあさんになるならしょうとくんのおかあさんになりたいです。
なぜかというと、しょうとくんとしょうとくんのおかあさんがまいにちたいへんだといっていたからです。
わたしは、わたしのおかあさんで、ほかのいろんなこどもたちのおかあさんをしていたこともあるので、しょうとくんをまもることもできます。
わたしは、ほんとうは、しょうとくんだけじゃなくて、わたしのまわりのいろんなひとのおかあさんになれたらいいなとおもいました。」
「あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」 マタイによる福音書5章44節より