掌の小銭。

□4 [unknown]=自分
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「巻ちん、一緒に部活いこー」
「……」

颯爽と無視する私。
もう五月にもなり、職人技にすらなってきたんじゃなかろうか。
誰か私を誉めて!
わぁ、凄いね私!
ありがとう私! 愛してる!
うふふ、私も私が大好き!
そんな心境を一切表情に出さず、一年用の一階の女子トイレの窓から逃げ出す。
勿論荷物の中にローファーは入っている。
下駄箱に入れず、ビニール袋からバッグに直接ローファーを入れることがこの一ヶ月ですっかり習慣となった。
人目を避けながら小窓へよじ登り、そのまま一気に草むらへ降りる。
職員専用駐車場の真裏に出るこの窓からならば、人目を気にせず、防犯カメラにも写ることなく非常階段の脇を抜けて直ぐの第一体育館に入ることができる。
先輩方や同級生が来る前に最低限の仕事をこなして即座に帰宅。
これが私の一ヶ月で修得した逃げ技だった。
最低限やっておけば、先輩方も怒るに怒れまい!
雅子さんも一応は約束を守る私に口を出してはこないし、それなら顧問も私を怒れない。
しかもやり口が「最低限」というギリギリのラインだから皆さん私に着実にイライラしていただけているようで何よりです。
体育館用のモップはでかくて重く、その上掃除用具箱はどこからかカメムシのような異臭が漂ってくる。
大変不快なので、休みの日を見つけて一人大掃除大会を開催します! 賛成の人!
ハーイ!
賛成一票、反対零票、よし可決!
では本日の業務を最短かつ丁寧にこなしましょう!
ミーティング終了!

「モップよし! ゴム手よし! 防塵マスクよし! ごみ袋よし! バケツ及び雑巾よし! 脚立よし! 軍手よし!」

確認終了!
業務開始!
心の中で気合いを入れた私は大モップ二つの柄の先端を両手の中心に当て、バランスを取りながら一気に走り抜けた。
その物も大きく、摩擦も大きいこのモップ。
二つを同時に一人でかけるのはなかなか力と根気と器用さがいる。
その点、器用貧乏と父に揶揄され、喧嘩と逃走で体力も筋力もある私は何とか三週間かけて修得した。
モップをかけたら次はホールの端の部分を水拭きする。
それも最短で終わらせる頃にはちらほらと部室で着替え始めた部員どもの声が聞こえてくる。
雑巾を洗いながら洗い場を軽く洗って、ゴム手と雑巾を所定の位置に干す。
ダッシュでホール内の脚立へ戻り、壁側に収納されたバスケットゴールを脚立へ登って出し、ホールの奥まで行く。
脚立を一番右の用具入れに入れたら、ついでに中にあるゴミ箱の袋を入れ替えて、終わりだ。
ここまでやると、一部のバスケ部員たちとすれ違いになりそうだが、心配ご無用。
実は脚立を出すときに用具入れに私の鞄を放り入れているのだ。
あまり知られていないが、この用具入れ、内側からしか開かない窓があるのだ。
ギリギリ私の通れるその窓から、トイレの時と同じようにして出ると、裏山に繋がっているのだ。
しかもこの山のちょうど反対側に雅子さんの家がある。
そこまで辿り着けばこっちの勝ちである。
私万歳。かっこいい。

「あー、みっけた」
「なっ……!」

なんでここにいるんだよ、パープルヘアー=ジャイアント!?
そう叫びそうになったのを堪えつつ――私は鞄を相手に投げつけ、後ろを向いて駆け出した。

「だめだよ、雅子ちんが呼んでるからー」

だがしかし、私の首の後ろの襟には巨人の大きな手がしっかりと食い込んでいた!

「なんで!? なんでこの距離で手が届いちゃうの!? 手ぇ長すぎるでしょ!」
「まー、それもあってバスケやってるからね」
「意味がわからん! バスケとかほんと知らないし! 
嫌だ! 私は帰って孤独のグルメのDVDボックスを見るんだぁぁぁっ!」
「あ、それね。さっき監督から言われたけど、全部まとめて売ったってよ」

私の進行方向から現れた、先輩らしき泣き黒子の邪眼系美青年が衝撃の事実を告げた。
嘘だろ雅子さん。
私あれのために中学生活で貯めたほとんどの貯金、使ったって前に話したじゃねえか……しかも、私の部屋に巧妙に隠していたはずなのに……。

「う……嘘だ……そんな……私の、私の楽しみが……」
「だからほら、行こう?」
「…………」
「ダメだよ室ちん。巻ちんに聞こえてない」
「じゃあ仕方ないか……このまま監督の所へ連れていこう」
「りょーかーい」

混乱の最中にいた私が、巨人にお姫様だっこされて運ばれていたのを知ったのは、次の日のことだった。

※※※

「嘘に決まってるだろ」
「へぁっ!?」

目の前にいつのまにか現れた雅子さんを問い質したら、さらりとそんな言葉が返ってきた。

「お前の楽しみが消えれば、失意のどん底に落ちて動きは読みやすくなるだろうが、さすがに私もそこまで残酷じゃない。それに、自暴自棄になられても困る」

雅子さんが何を言いたいのかはわかった……だが、私は呆然としたままで暫く無心だった。

「私がお前を無理矢理連れてこさせたのは、お前に部員たちの練習を見せたくてな……なのに、巧いこと逃げられるから、連れてこさせたんだ」
「練習を……」

ボールを床に突く音と、男子生徒たちの野太い掛け声。
正直ちょっと、怖い。

「なあ……また、創らないのか?」

雅子さんは、「何を」とは明言しなかったが、私には伝わった。


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