セジュン

□無題
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病室で過ごすようになってから自分の人生を振り返ることが多くなった。
EXOのリーダーとして世界中を飛びまわり仕事に忙殺されていたのは、もう遠い過去の話だ。


私は37歳のときに8歳下の女性と結婚し、38歳で娘が生まれた。
その娘も今年で30歳になり、もう二人の子供の母親になっている。

孫は上の子が3歳の女の子で、下の子が1歳の男の子。
二人とも女の子であってももちろん嬉しかったのだが、私自身が男兄弟の中で育ち息子も欲しいと思っていたので、男の子が生まれたと聞いた時はやはり嬉しかった。
孫は二人とも目の中へ入れても痛くないほどに可愛い。

未だに不思議に思う。娘が生まれたのがまるで昨日のことのようなのに彼女が二人の子供の母親だなんて、と。
しかし、彼女の彼らを見つめる目は間違いなく母親のそれであり、そんな娘を見ていると時折私は目頭が熱くなってしまうことがあるのだった。

娘は休日に孫達を連れて病院に来てくれ、日々の細々とした世話は毎日妻が来てやってくれている。とても助かっているし、実は人一倍寂しがりな自分にとって毎日誰かが来てくれることは大変有り難いことであった。
さらに有難いことには娘と妻以外にも事務所の関係者や俳優の先輩、後輩、友人、学生時代からの友人……と沢山の人が私を訪ねて来てくれる。そして、その中でも家族に次いで見舞ってくれるのは、やはりメンバー達であった。

当たり前のことだが、私がもうこんな年なのだからメンバー達もそれは同じである。
ジョンデを除くメンバーはだいたい一様に30代で所帯を持った。(その中で一番結婚が早かったのはジョンインだった。唯一ミンソクが42歳の時に20歳年下の女性と結婚し、チャニョルは34歳のときに一度目の結婚、39歳のときに二度目の結婚をした。レイは41歳のときに離婚後再婚はせず、現在も独身である)今や皆、子や孫を持つ身だ。

EXOというグループはとても幸せなことに9人からメンバーが減ることもなく、解散という形をとることもなかった。
それぞれが俳優や歌手としてソロ活動、飲食店の経営(これはもちろんギョンスの店である。ソウル市内にあるその店は現在も営業中だが、ギョンスが厨房に立つことはもうほとんどなく、店は社員にまかせて本人は奥さんと一緒にのんびり田舎で暮らしている。社員のほとんどは売れない後輩の俳優や、道半ばで芸能界を辞めていった仲間たちだ。この店が出来てからはEXOで集まるのは決まってギョンスの店で、コンサートの打ち上げなども行った)、会社経営(私自身芸能事務所を立ち上げ、歌手の育成に力を入れた)などと精力的に活動する中でもEXOであり続けた。
そして、最も有難いことは年齢を重ねてもステージに立つ機会を与えていただけたことだ。
さすがに激しいパフォーマンスは年長組のメンバーが40代前半くらいまでであったが、それ以降も定期的にEXOの名を冠して活動することが出来た。
若い頃に言っていた歳をとってもEXOでいたいという夢は叶えられたのだった—————



病室の窓から夕日が差し込み始めた。
妻は先程、引き上げていった。
彼女はいつも私の夕食前には帰っていき、娘の家で夕食を摂る。なので私は、妻に孫へ土産を買って行ってもらおうと金を渡すのだが、それが毎度のことなので彼女に少し呆れられてしまっているのだった。

妻が帰ってしまうと、耳が痛く感じるほどあたりが静かになる。
誰もいないひとりきりの部屋。
私は目を閉じ息を吐きってから、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
私の体も、この部屋も、目に映る全てがみるみるうちに夕日で赤く染まっていくのを、ぼんやりと眺める。
窓の外に目を遣ると、茜色の空を鳥達が夕陽に向かって羽ばたいていった。

今日も、そろそろあいつが来る頃だ。
私は左胸に手を当てた。衰弱しているはずの心臓がにわかに力を持ち高鳴りはじめる。トクトクトクトク…それは私がまだ生きている証であり、彼への気持ちが今も昔も変わらない証でもある。

私にはわかっている。
自分の寿命がもう長くはないということを。
そのことを彼が知っているということを。
あの透き通った嘘のつけない優しさで満ちた瞳が、私を一生懸命に見つめるから手に取るようにわかってしまう。
でも、彼はそのことについて何も言わない。
そして、私も何も言わない。
ただ、残されたかけがないのない日々を穏やかに二人で過ごすだけである。


コンコンと、小気味よく扉がノックされる。
滑るように開かれた扉の隙間から、待ち焦がれた人物の顔が覗いた。目が合うとニコっと笑うその顔に胸がきゅっと甘やかに疼いた。

「ヒョン」

毎日この時間にセフンは私の元を訪ねてくる。
セフンも私が結婚して程なく結婚し、結婚から2年後に男の子を、それから3年後には女の子をもうけた。
長男はもう結婚して息子がいる。長女のスエも先日彼氏がセフンのところへ結婚の申し込みをしに来たそうだ。
セフンはその時のことを話してくれた。回想しながら「いや、本当まいった」と苦笑し、額に手を当て大きく嘆息する姿が見ていておかしかった。セフンは彼と娘の前で父親として厳しい顔つきをしながらも内心ではそわそわと浮き足立ってとてもじゃないが落ち着かなかったらしい。私はそのときのセフンの姿がありありと浮かぶようで話を聞いているあいだ終始笑みが絶えなかった。

娘が結婚することになったと話すセフンは、とても幸せだと言った。しかし、顔には寂しいともはっきり書いてあって、私は彼が娘と過ごした日々を想った。
彼は娘を心から愛していた。
今でも赤ん坊の娘を胸に抱きながら蕩けるような笑みを浮かべていたセフンがついこの間のことのように思い出される。
慈悲深く、愛情深い、彼の元に生まれた彼女は幸せだったに違いない。


セフンは本当に優しい男だ。
昔セフンが自分の長所はお人好しなところ、短所もお人好しなところと言っていたがそれは言い得て妙だったのではないかと思う。
セフンはどんな人間であろうとその大きな懐に受け入れる。
彼のその行いによって数えきれない人たちが安らぎを受け取ったにちがいなかった。
セフン自身はそのことで痛い目にも遭ったそうだが、それでも決してその性質を変えようとはしなかった。彼はいつも全ての人を許していた。

「本当によかったな、スエ(守愛)ちゃん」

「うん……」

私はまじまじと目の前の男を見つめた。
年齢を感じさせるのは霜のおりた髪や、笑うと深くなる目尻の皺ぐらいなもので、シミもほとんどない肌は艶やかで若々しい。
体型もスリムなまま。トレーニングでもしているのか筋肉も著しく落ちたりしていない。
それに加えて、年齢を重ねた渋さや貫禄があるのだから男としての魅力がまだ存分にある。老い方にも彼の生き方が表れている気がする。

私は改めて、この男を年端も行かない子供の頃から知っているのだと思うと、一人感慨深い気持ちになった。それだけ長い間、彼を見つめていられたこと。彼と一緒に過ごせたこと。何よりも彼に出会えたこと……それは私にとって感謝してても感謝しきれないくらいに幸福なことであった。

私は本当に恵まれていると思う。
助け、助けられ、愛し、愛され、
今まで出会った全ての人達に感謝している。

とりわけ私の妻には感謝している。

本来の彼女であれば、夕食時はもちろん面会時間が終わるまで甲斐甲斐しく私の世話をしてくれていただろうに、そんな彼女が夕食前には必ず帰って行く……私はその真意に気が付いていた。

セフンと過ごすこの最後の日々は彼女からの贈り物なのだ。

妻は決して口にしない。けれど、敏い彼女には全て分かっていたのだろう。私がセフンに向ける愛を—————



夕食を食べ終わると、セフンがお茶を淹れてくれた。菊花茶だった。横には棗が添えられている。私が先日入院生活で読書をすることが増え目が疲れると、何気なく言ったことを覚えていてくれたのだろう。

淡い黄色の水面から薫る、爽やかな花の香り。
口に含むと、ほんのりとした苦みと甘みが口の中に心地良く広がった。
今日もたくさん他愛ない話をして、たくさん笑い合った。セフンといると楽しくてあっという間に時間が過ぎていく。
満たされた気持ちのなかで温かな茶を飲み下す。顔を上げると、湯気の向こうにこちらをひたと見つめるふたつの瞳があった。
私もその瞳の深淵を覗きこむようにして見つめる。

なんて優しい目をしているんだろうか……
私はこの目がとても好きだ。
彼の純粋な心が映し出されたような、この目が。

ああ、ひたすら……お前が大切で愛おしいよ……
ただ……ただ、それだけだ……

私は言葉にはしないまま、ただ彼を見つめていた。
セフンもただ黙って大きな手で優しく頭を撫で続けてくれた。





程良く腹が満たされると、ジュンミョンに眠気が襲ってきた。
手元にあった花の香りが離れていくのを感じながらも睡魔に逆らえず体がベッドに沈んでいく。

セフンはジュンミョンの手から取ったティーカップをサイドテーブルに置き、ベッドのリクライニングボタンを押した。
ほどなくして聞こえてきた寝息を耳にしながらベッド横の椅子にそっと腰を下ろす。すると足に何かが触れた。ちょうど膝頭のところにジュンミョンの手が布団からはみ出していた。
筋張った枝のようにか細い手。
セフンは今にも壊れてしまいそうなその手をそっと握り、手の甲を親指でゆっくりさすった。

ジュンミョンはもう長くない、そう彼の妻から知らされたのは二週間ほど前のことだった。
彼女から時間をつくってほしいと言われ喫茶店で落ち合ったあの日、彼女は夫の余命宣告を受けた直後だったと思われたが、決して取り乱すことなく気丈にセフンに言った。
夫と最後の時間を過ごしてあげてほしい、彼にはあなたが必要なんです、と—————



ジュンミョニヒョン。
僕達は本当に素敵な女性と結婚することが出来たんだね。
残された貴重な時間を僕に譲ってくれるヒョンの奥さんと、全て分かった上で僕を送り出してくれる僕の妻。
本当に僕達は幸せ者だよ……ねぇ、そうでしょ(그치)?

随分と痩せほそってしまったジュンミョンの寝顔を見つめながら、心の中で問いかけた。
年齢よりもずっと若く見えていたジュンミョンも、病に伏してからはぐっと老け込んでしまったのだった。
セフンはそっとその痩せた頬を撫でた。

「ヒョン……」

昔セフンは、ジュンミョンに「LAに住もう」と言ったことがあった。
それに対してジュンミョンは「俺は住むよ。会いたくなったらいつでも遊びに来い」と答えた。
そうじゃない、そうじゃなくて……セフンは言いかけてそのまま言葉を飲み込んだ。言えなかった言葉は、永遠に胸の奥へと仕舞われたままになった。

本当はあのときセフンは“一緒に住もう”と言おうとしたのだった。

夜は一緒に眠りについて、朝目覚めたら自分の隣にジュンミョンがいる。
それが当たり前のことのように思えたし、何よりそれはセフンがいちばん望んでいることであった。

セフンは今の人生をとても幸せだと思っている。
良き妻と可愛い二人の子供たち、みんな心から愛している。
ただ人生に“もしも”があるのだとしたら……
ひとつ屋根の下でジュンミョンと暮らす、彼と家族になる人生があったのだとしたらと考える……それは紛れもなく、この上ない幸せなことに違いなかった。


「愛してるよ……」

あたたかい涙が頬をつたう。
目の前にあるジュンミョンの安らかな寝顔はまるで微笑んでいるように見えた。




それから約1ヶ月後のある朝、ジュンミョンは家族が見守る中で静かに息を引き取った。
セフンは亡くなるまでの間、毎日ジュンミョンの元を訪れた。そして毎日色んな話をした。
それはまるで何十年も昔、宿舎で一緒に暮らしていた頃が蘇ったかのようだった。
まだ若かったあの頃、二人はどんなに忙しくても寝る前に話すことを欠かさなかった。
泣いて、笑って、励まし合って……お互いの心の奥にあるいちばん大切な場所に何度も触れた。心のうちのありとあらゆることを話し優しい安らぎに包まれる、二人だけの大切な時間。
残されたわずかな時間のなかで、二人はまたあの頃のような幸せな時間を持つことが出来たのだった。



———訃報を知らせる着信が鳴ったのは、静かで穏やかな朝のことだった。
セフンは電話を切ると、空を仰いだ。
初夏らしい澄み渡った真っ青な空が、信じられないほど美しかった。

高い高い空。
彼はあの青空の上で待っていてくれる。
あの優しい微笑みを浮かべて自分を出迎えてくれる。
それからはずっとあなたのことだけを見つめて、
あなたのことだけを考える。
そうしてまた他愛のない話をして笑い合うんだ。
あの青い空の上の永遠のなかで。


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