セジュン

□オセロ
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3年前の引っ越しのとき、洋服や靴の類はよく使う物以外宿舎に置いたままにしてきた。必要ならまた買えばいいと思ったし、自分がちょくちょくメンバーに会いに宿舎を訪れることは目に見えていたので、どうしても必要なら来たときに探せばいいと思っていた。
けれど、これまでどうしても必要なんて物はほとんどなかった。それなのにひょんなことから3年前の冬に買った靴のことを思い出してどうしても履きたくなったのだった。

もう自分の部屋では無くなった宿舎の一室。扉を開くと今はもう誰も使っていないその部屋は、ベッドがひとつあるだけですっきりと片付いていた。
靴を探すついでに不用品も処分してしまおう。いいかげんここを物置き代わりに使わせてもらうのは申し訳なかった。
ゴミ袋を広げ、クローゼットの扉を開く。何から手をつけようか。目を縦横に走らせ、目についた物から手に取った。
ずっと面倒だと思っていたのが馬鹿らしくなるほど衣類の選別はあっという間に終わってしまい、次は上段に取りかかろうとセフンは薄暗い棚を見上げた。すると、その存在をすっかり忘れ去られてしまった懐かしい物が目に入った。

「オセロ……」

まだメンバー全員が宿舎暮らしだった頃、セフンたちは極力外出を控え家で出来る遊びを片っ端からやり尽くした時期があった。
あの頃、宿舎の場所を突き止めたサセンと呼ばれる悪質なファン達が宿舎の前を朝晩問わず張り込んでいるのが悩みの種だった。それでなくても芸能人である自分たちは一歩外に出れば衆目にさらされて落ち着かず、自然とスケジュール以外で外出することが減っていった。まぁいずれにしろ、まだ若い自分たちは事務所にしっかりと管理され行動を制限されていたので自由に外出は出来なかった。
それなら宿舎で遊べばいいじゃないか。
そんな理由で始めた遊びではあったが、メンバーみんな夢中になった。その遊びの種類は、いわゆるゲーム機やパソコンを使ったゲームもあったが、カードゲームやボードゲームもあった。

セフンは棚の上からその箱を下ろした。
箱の蓋には、黒色の線でマス目状に区切られた緑色の盤上に白と黒の石が整然と並べられた絵が描かれている。
白と黒。その2色の石を何気なく眺めていると頭の中に一人の人物が思い浮かんだ。

“너는 쉬우면서도 어렵고 어려우면서도 쉬운 사람인 것 같아”
お前は簡単そうだけど難しくて、難しいながらも簡単な人だと思う———マネージャーであるヨンミンはキム・ジュンミョンをそう形容した。

キム・ジュンミョンという人は、確固たる自信と野心、そして、その望みを叶えるため真摯に努力する忍耐と厳しさを持っている。

あれは怖かったな……セフンは遠い昔を思い出し思わず笑った。出会った頃、幼い自分を礼儀がなってないと叱りつけたジュンミョンの真剣な表情。あれはまだまともに話したこともない頃だった。練習室へ続く廊下で、目も見ずにいいかげんな挨拶をして横を通り過ぎたところを呼び止められた。振り返ると、そこにはお人形さんのような青年がいた。いま自分を呼び止めたのはこの人だろうか?と、ぽかんとしている間に彼はこちらへ近づいて来た。「ちゃんと挨拶しなきゃダメだろう」長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳に射すくめられて幼いセフンは面食らったのだった。あれから何度ジュンミョンに叱られたろう?時には些細なことから人として大切なことまで、数々の説教を受けてきたと思う。すごく真っ直ぐで清廉潔白な彼にとって、セフンのような末っ子らしい奔放な人間は目に余るものがあったのかもしれない。それでもセフンは、そんなジュンミョンに対して怒りを感じたことは一度もなかった。ジュンミョンが言うことは筋が通っていたし、何より彼はいつだって怒りをぶつけているわけではなく、ただ誠実に叱っているだけだったから。
彼は厳しいけれど、優しい。
いや、寧ろ本質は優しさなんだと思う。
それは相手のために自分を犠牲にしてしまうほどに優しい。
彼ならたとえ自分がボロボロの瀕死状態でも愛する人のためならそれを押して立ち上がり助けるんじゃないだろうか、なんてそんなことを考える。
彼は決して弱音を吐かない。
それは見ていてときおり痛々しいくらいに。抱きしめて、もういいよと言ってあげたい気持ちになるくらいに。
だけれども、その重責を耐える切ない背中はかっこ良くもあって。
いつもどっしりと立つ大木のようにメンバーを雨や日差しから守ってくれる頼もしい人。
かと思えば、ものすごく可愛らしい。
舞台裏でちょこちょこ走る姿とか、整えられた襟足と小さな後頭部とか。
ギョンスにブサイクと言われた、くしゃくしゃの笑顔とか。
それにちょっと抜けてるところもある。
何事においても全然器用じゃない。
ただ最終的には自らの努力で全て成し遂げてみせる人。
意外と俗っぽいところもある。
プライドが高くて、頑なところもある。
けれど、単純でわかりやすい。
面倒くさがりだったりもする。
それから本当はすごく寂しがり屋。
彼は厳しいけれど人を威圧するわけではないから、みんなにいじられる。
からかったときの反応が良いからみんなやめられない……弟たちを萎縮させない度量のある人。
容貌は言うまでもなく整っている。
そんな彼の美しい顔にある口元のほくろ。
セフンはそれに密かに愛着を持っていた。
メイクをすると隠れてしまうほどの薄いそれ。口周りのほくろは食に困らないとか言うんじゃなかっただろうか?それにしゃべりぼくろとも……セフンの口からフッと、笑う息がこぼれ、気付かず優しい表情になった。ジュンミョンにぴったりの名前だと思った。あの人は喋り出したら何時間でもしゃべれるんじゃないかと思うくらい話好きだ。いや、人が好きなのかもしれない。冗談も好きだ。
セフンはジュンミョンと話をするときジュンミョンの顔をこっそり隅々まで眺めまわした。いつも口元のほくろを見ると嬉しくなった。スホという鎧を脱いだ等身大のジュンミョンと対峙できている気がして嬉しかったのだ。一面、白く肌理のこまかい肌にあるそのほくろを不似合いと思う人もいるかもしれない。けれど、それだから良いとセフンは思っていた。まっさらな雪原にひとつだけ残された足跡のようなそれをいつも愛おしいと思っていた。それなのにその足跡は兵役期間中に消え去ってしまった。

「好きだったのにな……」

「好きだったら捨てなきゃいいだろう?」

いつの間にかオセロの箱とゴミ袋を手に立ち尽くしたセフンの背後にジュンミョンが立っていた。
まだ伸びきっていない短い前髪を払いながらジュンミョンが笑って言う。

「懐かしなそれ」

「うん」

返事をした後、セフンはまた手元の箱に目を落とした。白と黒の石を見つめる。

「久しぶりにやる?」

「ふっ、いいな。やろうか?」

なんとなくした提案にジュンミョンは笑顔でいいよと言ってくれた。
ほくろが消えてしまった寂しさは、その笑顔で霧散していった。

黒があって、白がある。
白があって、黒がある。
厳しいけれど、優しくて。
頑なだけれど、単純で。
頼もしいけれど、不器用で、寂しがり屋。
かっこいいけれど、すごく可愛い。
両方あって良い。
両方あるから良い。
どっちもあるからいいんじゃないか。


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