セジュン

□素直になれなくて
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セフンは自分が担当する仕事を終えて教室に戻ってきた。正確に言うと終わってはいなかったがほっぽり出してきた。
校門のところでクラスの連中と店の宣伝をしていたのだが、なぜか自分だけ他校の女子生徒に囲まれてしまい、矢継ぎ早に質問され、きゃあきゃあ騒がれて手に負えなかったので適当なことを言って逃げてきた。どうも女子のテンションにはついていけない。隣にいた奴に彼女たちを押し付けてきたので悪いかとも思ったが、どうせそろそろ交代の時間だったし構わないだろうと開き直った。

カフェは女子達の言った人手が足りなくて困っているというのが嘘ではなくなってしまうほどに繁盛して、席は見事に満席になっていた。
だから人が忙しく立ち回る教室から客の男と一緒にジュンミョンが廊下に出て行ったことを、ジュンミョンを目で追っていたセフン以外の人間は気が付いてもいなかったかもしれない。

ジュンミョンと外部の人間らしい見知らぬ男は、人が混み合う教室の前の廊下で話し込んでいた。
相手の男は大学生くらいに見え、背が高くてスタイルも良い、まるでモデルのような奴だった。
セフンの居る場所からでは声までは聞こえないが、ジュンミョンのジェスチャーは道案内をしているように見えた。身振り手振りで、時に首を傾げたりしながら一生懸命に話すジュンミョンを、男は終始楽しそうに見ている。ジュンミョンは廊下の先に向けていた顔を男に戻して大きく頷く。どうやら道案内が終わったようだった。
すると、徐に男がジュンミョンの耳元へ顔を近づけた。右手を伸ばし、そっとジュンミョンの手に紙切れのようなものを握らせる。男がジュンミョンの反応を見るように下から顔を覗き込むと、ジュンミョンは顔をさぁっと赤らめ、戸惑うように俯いてしまった。男は満足そうに笑うと、固まったままのジュンミョンを残して颯爽と歩き去って行った。

男はただ道案内のお礼言っただけかもしれない。じゃあ、あのジュンミョンに握らせたものはなんだ?礼の品か?礼に紙切れを渡したっていうのか?
紙には男の連絡先が書かれていたのかもしれない。そもそも男はジュンミョンが男だということを知っていたのだろうか?いや、うちは女装カフェだと銘打っているのだからわかっているはずだ。じゃあ、アイツは男とわかってジュンミョンを口説いたのか。いや、まだ口説いたとは限らない。でも……ゴチャゴチャと考えていたのはコンマ数秒のことだった。体は即座に動いていた。
セフンはその足で教室に入るとチョ・ユリにジュンミョンの体調不良を伝え、ロッカーからジュンミョンの着替えの制服が入ったカバンを引っ掴んだ。後ろからチョ・ユリが喚いているが、無視して教室を飛び出す。

「ジュンミョナ!」

「セフナ?えっ、何!?」

セフンは教室に戻ろうとしていたジュンミョンの腕を掴んで廊下をズンズンと歩き出した。何の説明もされないまま唐突に引っ張って行かれて戸惑うジュンミョンを無視し早足に階段をのぼっていく。
上の階にあがると、今日は一切使われていないフロアは文化祭当日とは思えないほど、しんと静まり返っていた。
セフンは階段を上がってすぐの部屋にジュンミョンを連れて入ると、ぴしゃりと扉を閉めた。
昼間とはいえ、電気も付けずカーテンも閉め切られた部屋は薄暗く、全体がセピア色に色付いていた。

「ど、どうしたの?セフナ?」

「これ、お前の着替えだ。ユリには断ったから、もう女装はしなくていい」

そう言って、セフンはジュンミョンのカバンを持った右腕を乱暴に体の前へ突き出した。
ジュンミョンは僅かに目を見開いた後、項垂れて黙り込んでしまう。

「お前、女装するの嫌がってただろ?もう、それ脱いで着替えろよ」

ほらと、催促するようにカバンを差し出してもジュンミョンは一向に受け取ろうとしない。
セフンは急に気不味くなってジュンミョンの方を見れないでいると、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。

「そんなに嫌?こういう格好するの……」

思いもよらない言葉にセフンが顔を上げると、ジュンミョンはスカートの腿の辺りをぎゅっと握りしめて俯き、小さな唇は僅かに震えているようだった。

「セフナ、昔も言ってたもんね…僕が学芸会の代役でドレス着たとき、そんなもん着るなって———」

セフンはジュンミョンに言われて思い出した。
あれは小学5年生の時。学芸会でシンデレラの劇をやることになった。
劇の準備はクラスメイトが一丸となって順調に進んでいた。しかし、肝心のシンデレラ役の女の子が本番の5日前になってインフルエンザに罹ってしまったのだった。
インフルエンザになった場合、熱が下がった後も2日間は休まないといけないとされているので、本番にギリギリ間に合うかどうかわからなかった。そこで急遽代役を立てることになり、白羽の矢が立ったのが、裏方でありながら全てのセリフが頭に入っていたジュンミョンだった。それに加えて、ジュンミョンはシンデレラ役の女の子と身長体重にほとんど差がなく、衣装を新調しないで済むかもしれないというのも抜擢された大きな理由だった。

代役が決まってまず衣装合わせが行われた。
放課後、劇の練習のためにクラスの全員が残る体育館で、みんなの視線が舞台上に集まる。
間もなく舞台裏で衣装に着替えたジュンミョンがおずおずと舞台上に現れた。それを見た瞬間、その場にいる誰もが息を呑んだ。そこに可憐なお姫様がいたからだ。

ジュンミョンが着ていたのは、スカートが裾に向かって大きくふくらんだプリンセスラインの淡いブルーのドレスだった。腕はドレスと同色のサテンのグローブで覆われ、首元には黒のベロアリボンのチョーカーネックレスのビジューが煌めいている。丸みのあるパフスリーブや、たっぷりドレープのあるオーバースカートはいかにもお姫様らしく、胸元の白い花柄の刺繍や、裾に施されたシルバーのスパンコールはとても華やかだった。

ジュンミョンはみんなに注目されてそわそわと落ち着かない様子だった。
ふっくらと愛らしい頬がほんのり朱に染まり、視線はゆらゆらと不安げに泳ぐ。
クラスのみんなはというと、しばらく唖然としてその完璧なお姫様の姿に釘付けになっていた。
既製品の衣装のクオリティーとは関係なく、ジュンミョンだからお姫様に見えた。それくらいジュンミョンには凛とした気品のようなものすらあった。
とても少年とは思えなかった。いや、男とか女とかいう性別を超えて、ただただとびきり綺麗で可愛いかった。

そのあと、そのまま着替えずドレス姿で劇の練習は行われたのだが、ジュンミョンを前に王子役の男子はあからさまに緊張し、他の男子たちも終始そわそわと浮ついて落ち着かない様子だった。
それらの態度すべては、本来のシンデレラ役の女子にさえ見せたことのないものだった。

結局シンデレラ役の女の子は、解熱後の期間も含めてギリギリ学芸会当日に間に合い、ジュンミョンが代役を務めることはなかった。だからジュンミョンがドレスに袖を通したのはあの一度きりだ。

その一度きりとなった衣装合わせの日の帰り道、セフンは憮然として吐き捨てるようにジュンミョンに言ったのだ。「そんなもん着るな!」と。それから……


「———男のくせに女の格好なんかするんじゃねぇって……」

あの日の自分の声と、目の前のジュンミョンの声が重なる。

「女装…気持ち悪い……?」

あの日セフンは、どうしようもなくむしゃくしゃしていた。
みんながジュンミョンに見惚れていたから。ジュンミョンが誰かに盗られると思ったから……
幼いセフンはそんな感情を持て余してジュンミョンにキツくあたった。
きっとジュンミョンは、あの言葉でセフンに気持ち悪がられてると思ったのだろう。あんなこと微塵も思ってなかった。男のくせになんて思うはずがない。だってあのときいちばんジュンミョンのドレス姿を綺麗だと思っていたのは自分のはずなのだから。
もし男のくせにと非難されるならば、それを甘んじて受けないといけないのは自分だ。
こんなに同性のジュンミョンに惹かれている自分のはずだ。
俺は本当に馬鹿だ。全部、全部、ただの嫉妬のくせに……


「綺麗だ……」

「えっ……?」

意を決して口に出した本音は、情けないくらいか細い声音だった。一気に顔が熱くなる。元々薄暗い部屋だとはいえ、窓に背を向けていて良かった思った。きっと今自分は耳まで真っ赤に染まっている。

「……あのときのドレス姿も、今日のそれも、すごく、綺麗だ……」

子供の頃のセフンはいつもジュンミョンの気を引きたがった。自分を見て欲しいと思っていた。
けれどその術がわからず、おまけにジュンミョンと向き合うと心臓がバクバクとうるさくなって、気が付くといつも突き放したような口調になった。素直になれたためしなんてない。それは今でも同じだった。
本当はずっと優しくしたかった。こんな歯の浮くようなセリフだっていくらでも言ってやりたいと思うくらいに。

「えっと…っ、あの……」

「悪かった…気持ち悪いわけねぇよ…あんなこと言ったのは、あの日…みんながお前に見惚れてたもんだから、それで……」

「それって、もしかして……やきもち……?」

「……」

「セ、セフナ……?」

ジュンミョンは、小動物みたいにクリクリとした瞳を見開いてこちらを見上げてくる。
セフンはこの目に弱い。長い睫毛に縁取られた潤んだ瞳に心臓が射抜かれるような気分にさせられてしまう。射抜かれた心臓はのたくり、はち切れそうなほどバクバクと暴れ出す。
あぁーくそっ……!鎮まってくれよっ、俺の心臓……!


「そ、そうだよっ…!や、妬いてんだよ、俺はっ!」

もうやけくそだった。恥ずかしい。顔から火が出るっていうのはこういうことを言うんじゃないのだろうかと、セフンは思った。
でも、ちゃんと言いたかった。一度くらい素直になって自分の本当の気持ちを伝えたかった。

「今日だってそうだ……だから、着替えろなんて言ったんだ……ガキみたいってわかってるけど……それに、お前はそんな格好しなくたって……そのままで……誰よりも…綺麗だ……」

心臓がうるさい。顔が熱い。
ジュンミョンの顔をまともに見られなかった。

「……セフナ、あっち向いてて」

「え…?」

「いいからっ、早く!」

訳がわからず呆けている間に腕を掴まれ体を回転させられた。ついでに固く握りしめていた右手を解かれて着替えの入ったカバンももぎ取られる。
言われるまま黙って背中を向けていると、背後からかすかな衣擦れの音が聞こえてきて心臓がにわかに騒いだ。


「もういいよ、はいっ!」

固唾を呑んで立ち竦んでいたら、またふいに体を回転させられ元の向きに直された。
ジュンミョンはセーラー服を脱ぎ、本来の自分の制服に着がえていた。ウィッグも取り外されている。
化粧は無理矢理に擦り取ろうとしたのか、淡いピンクの口紅がにじんで広がっていた。

「ふぅーっ、やっと落ち着いた!スカート穿いてると足がスースーして変な感じだったんだ。へへっ」
ジュンミョンはくしゃっと破顔して言った。

「それに……セフンもそのままで綺麗って言ってくれたし…ね……」

そう言うと、ジュンミョンはモジモジと俯く。
セフンは徐に右腕を伸ばし、ジュンミョンの唇を親指でそっとなぞった。勝手に体が動いていた。

「セ、セフナ…っ!?」

「口紅ついてるぞ……」

ジュンミョンが小さく口を開け、間抜けな表情でこちらを見ている。つぶらな瞳と目が合った。一瞬の沈黙。それはまるで吸い寄せられるようだった。体がゆっくりとジュンミョンの唇へと傾いていく。

「お前らこんな所で何やってんだ!」

乱暴に扉が開かれ響き渡った野太い声に、瞬時に二人の体が飛び上がった。

「……いえっ!な、なにもっ!セフナ行こっ!」

「えっ、ちょ…っ、」

ジュンミョンはセフンの手を取って足早に歩き出す。呆けてる教師を横目に二人で部屋を飛び出した。



「……セフナ、よかったら今日僕と一緒に模擬店まわらない……?」

セフンの手を引いて階段を下り、こちらに背を向けていたジュンミョンが、ね?と、振り返る。セフンよりも下の段にいるジュンミョンはこちらを見上げ、セフンの手を握ったまま返事を待っている。

「お、おう……」

セフンは目のやり場に困った。気を抜くとどうしてもジュンミョンの唇に目がいってしまう。自分はさっきこの唇にキスしようとしていたのだ。
窓から明るい日差しが照らすこの場所では、先ほどの自分の大胆な行動がまるで夢のように感じられた。

「やった」

ジュンミョンは小声で呟くように言うと、またセフンに背中を向けて歩き出した。

「セフナ」

「ん?」

いつまでも繋がれたままの手が熱い。
照れくさくてずっと胸がこそばゆい。でも、離したくはなかった。

「僕もね、セフンのことすっごくカッコいいと思ってるよ……」

「へっ?あっ?おー…うん…、サンキュ……」

言ったあとジュンミョンが耳まで真っ赤に染めていたことをセフンは知らない。なぜなら、セフンもたじろいで顔を真っ赤にして俯いてしまったからだ。
そろって顔を真っ赤にした二人は、黙ってとぼとぼと歩いた。ゆっくり階段をおりる間、ふたりとも繋いだ手を離そうとはしなかった。

素直になれないシャイなセフンを、長い間ずっと好きでいてくれた人がすぐそばにいたということを、セフンが知るのはもう少しだけあとの話……


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