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□Web拍手2
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かちゃり、と扉の開く音がかすかに聞こえた。
ぐつぐつと煮込まれている食材の音の間をすり抜けて鼓膜に響いたその音に、私はひょっこりと顔を出す。
カウンターキッチンから音のした方へ視線を向けて、笑顔でいつもの言葉を口にする。

「おかえりなさい!」
「ただいま」

色彩の美しくぬけた髪色に、溶ける雪の瞳。
整いすぎている造形美をこちらにたたえながら、彼は私の言葉に優しく答えてくれた。
『おかえり』と『ただいま』。
それは、彼の帰る場所が私の居るところだという、証。
もう、このやりとりを何十回、何百回と繰り返したかは数え切れないが、それでも、今一瞬のやりとりを永遠に感じる。
そのくらいに、彼と繋いでいくひとつひとつは、何よりも大切な宝物たちだ。

彼が荷物を片付けに自室へ行く姿を見送って、私はやっていたことを再開する。
お鍋の中でぐつぐつとホワイトソースで煮込まれているお野菜やお肉たちの様子を見ながら、副食のサラダを盛り付ける。
彼が帰ってくる頃合に出来るようにしてあったのだが、少しばかり目論見が外れたようだ。
出来るまでにもう少し時間がかかってしまうから、先にお風呂に入ってもらおうか。
そんなことを考えながら、お鍋の途中経過を味見していると、部屋着に着替えた彼がこちらにやってきた。

「ごめんね。出来るまでもうちょっと時間かかっちゃう」
「問題ない。当初の予定より少し早く帰れたからな。お前の考えが外れたのだろう?」
「・・お見通しだったか」

私の思考は、彼にはいつも丸見えだ。
何だか恥ずかしくなって、『待ってる間にお風呂入ってきてもいいよ』と提案をしたのだが、『ここで見ている』、と返されてしまった。

ぐつぐつぐつ。とんとんとん。
食材たちに美味しさが染み渡っていく音と、サラダ用の野菜を切る音。
清らかな水流の透明な造形の彼には、何だか似合わぬ生活音だけが響く。
もともと彼は口数が多いわけじゃないし、静かな方をよく好む。
私も、言葉なくとも彼と隣り合っている時間がとても好きだ。


肘をついて、カウンター越しにアイスブルーの視線。
彼との静かな時間は好きだけれども、しかし、。
なんとなく静かに見つめられているだけだと、先ほどのこともあってか、だんだんと気恥ずかしくなってきた。
作業をしているかたわら、ちらりと彼の方を見やる。
すると、盗み見をしたつもりだったのに視線があってしまい、目を細めて優しげに微笑まれてしまう。
そうやって、テレビの向こう側では絶対にしない表情をされると、困る。
私が困ってしまうのを、彼は分かっているところが、さらに。


お鍋の様子を味見して、いつもの感覚に舌が納得をしたところでコンロの火を止めて。
・・本当は、お皿とか、食器もろもろ用意しなくちゃいけないんだけど。


瞼の裏側で、先ほどの彼の優しい微笑みが映っている。困る。
ずずず、と彼の視線に晒されたまま、無言で静かにキッチンからくるりと向こう側へ移動する。
すると、先ほどまでは肘をついているあたりまでしか見えなかった優雅な立ち姿がやってきて、瞼の裏側と相まって加速していく。

早くなっていく心臓に急かされるように、私は思いっきり真正面から彼に抱きついた。
彼との身長差は大きく、私の顔は彼の胸の下くらい。
鍛えられた彼のおなかに顔を埋めて、瞼の裏側にある笑顔に言葉をかける。

「かまってほしいならちゃんと言えばいいのに」
「・・お前から抱きついてきて何を言う」

言葉とは裏腹に、彼は私の背中に腕を回して、ぎゅっと抱き返してきた。
そのまま、身長差をなくすように私の首筋に額を当ててきて、攻めるようにぐりぐりと力を入れてくる。

彼とのひとつひとつの中で、ひとつずつ、溶けていく彼のこと。
口数少なくて、静かなところが好きで、けっこうわがままで、甘いものが好きなくせに、自分から甘えるのは苦手で。
私が彼の笑顔に弱いことを知っていて、かまってほしいときの必殺技。
何をしていたって、彼をかまわなくちゃいけなくなるから、困るのだ。

彼が首筋で動くたびに、さらさらと長い髪が当たってくすぐったい。
反射的に身体をよじれば、それさえも許さないとぎゅっと抱きしめられた腕の力が強くなる。
どこにも逃げないのに。本当に、可愛いひと。

「素直じゃないんだから」

私がそういって笑うと、彼は『・・うるさい』、と小さくそう言って、それでも私を離さない。
煮込んだシチューをあたため直しになってしまうけれど、彼をかまい倒すのが先だ。
ちゅ、と、私の首筋に額を当てている彼の耳元に唇を寄せて。
素直じゃないけれど、甘えたがりのいとしい彼と交わす、たくさんの宝物の中のひとつを重ねる。

「大好きだよ、カミュ」

すると、お返しとばかりに私の頬に口づけて、彼もまた、私とのひとつひとつを繋げてくれる。

「俺も、お前のことを愛おしいと感じている」

『ただいま』
『おかえり』
『大好き』
『愛してる』
きっとこれからも、たくさんたくさん、彼と交わしていく言葉たち。
いつもが何よりも大切で、永遠で。
この先の未来もずっと、この永遠をひとつずつ彼とつくっていけたら。

これからもずっと、そんな思いを心に秘めて、けれど素直じゃない彼への仕返しのように言葉にはしなくて。
私がそう笑うと、彼もつられたように笑って、もう一度、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。
彼には、全部、お見通しなのだ。
抱きしめあう体温から伝わる二人の未来の永遠にとても愛おしくなって、やっぱり彼にはかなわないと、思う彼への「大好き」を、再び言葉にした。

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