書籍

□Web拍手お礼2
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たったひとつ、ひとつだけの気持ちなんだろう。
けれど、それは、規則正しく並んだ罫線の間に浮かぶことはなかった。
筆の先は、文字を書くための墨が、役割を果たせずに乾いて逝ってしまうのが分かる。
それでも、筆をとる指先が動くことはなかった。

母は「駄目よ」、って言って私を咎める。
「素敵な人よ」、私はそう言ったけれど。

いつだって横顔ばかり。
ちゃんとこっちを向いてくれない。
いつの間にか、惹かれてた気持ち。
気をひこうとしたのは私の方だったのに。
罠にかかったのは、私の方だったみたい。

父にはね、まだ言ってないの。
どんな反応するのかな。
怒られるかな、それとも。

たったひとつだけの、ひとつだけの気持ちなのに、やっぱり手紙には書けなくて。
どんな言葉を使ったら、この気持ちがとどくのかな。
ねぇ、小説の神様、教えて。


「……それ、直接俺にきくのか?」


いつだって横顔ばかり。
こっちを向いてほしい。
私ばかりじゃないわ。
わざと、あなたに飛び込んで。
こんどこそは。



「志賀さんを虜にさせたいんです」



物書きの神様に、言葉じゃ勝てないのは分かってる。
けれど、私に振り向いたあなたの顔は、。


「ひとこと、言われなきゃ分からないぜ?」
「………すきです」

まっすぐに、私を見て。
ふわりと笑って。

それから、筆の先に言葉を選ぶみたいに黒色の墨を必要な分だけ付け足した。
それだけで書けるのだと確信をしているような、適量。
神様は、私から真っ白な便箋を1枚だけ奪って、躊躇いなく筆先をくっつける。

母の「駄目よ」っていう声が脳内に響き渡った。
私も、どこかで分かってたんだ。
でも、もう捕まっちゃったの。

「俺も、好きだ」
およそ、神様とは思えぬありきたりな文章が便箋に踊る。
たったひとつ、それさえも書けなかった私には、そのありきたりさえも輝いてみえた。

ペンを持つ彼の指先にそっと手をのばす。
触れた肌はあたたかくて、そっと握り返された力に、もう引き返せないよと笑った。

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