書籍
□第1夜
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「わたくしを、買っては頂けないでしょうか?」
赤色の二つの光が、身なりの綺麗な男を見上げている。
その光は、発した言葉の惨めさなど垣間も無く、強く強く己を持っていた。
身なりの綺麗な男は、その光を見下ろし、言葉なくその手を差しのべた。
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『2300、客が全て劇場に入ったことを確認』
夜。それは、悪魔でさえも寝入ってしまうであろう夜中に足をかけた時間帯。
月の光でさえも遠ざかり、地上はただただ暗闇に満ちていた。
そんな真っ暗な海の中をさ迷うがような暗く重く繁る地上が森の中に、それは煌々と己が存在を主張している。
森の深い深い奥、それは月の光を呑み込み、人工的な光をこれでもかと地上にはみ出させていた。
しかしながら、地上の月星と言うにはあまりに俗物で、空の上の神話に失礼と神が怒るというもの。
きらりきらりと派手喧しく騒ぐその光の正体はひとつ。
非文学的ないやらしい派手派手しさのある色味の巨大なテントを張り付け、光を灯し、やんややんやと、街中の人々を吸う、堕落。
移動型見世物小屋、『CIRCUS』。
それは最早、人間の所業ではない。
あるときは、人間を磔の的にしてナイフを投げ、またあるときは猛獣を操って火車に飛び込ませもする。
高い高い空に細い縄を着け、人間にその上を歩かせる。
一般の人間には到底出来ないであろう、死と隣り合わせの快楽がそこにはあるのだ。
街中の人間は、そんな、普段では味わうことなどない猥雑な感覚を見たさに毎夜、このテントの中へ金を落としていく。
『了解。予定通り2315より裏口から侵入する。各自、体勢を整えておけ』
そんな今宵も生死の悦楽に酔うテントの周囲には、派手派手しい喧騒とは裏腹な、闇夜に溶ける男たちの姿があった。
真っ暗なスーツを身に纏い、鼓膜には通信用の小型端末が埋もれている。
人間が人間の生命をないがしろにすることを楽しむ興行を、許さない集団がいた。
それは、この小屋とは大いに異なり、地上の月星のない暗闇でただ静かに、生きる人々を守る存在。
マフィア、『カミッロファミリー』その集団の、なおかつ精鋭たちが集まっているのである。
その名を知らぬ者がいるとするならば、それは遠い遠い他所の街から来たか、世を知らぬ阿呆だ。
カミッロファミリーは、マフィアでありながら、自らのシマである街を守る自警団でもあるのだ。
彼らの居る街の外れの森の深い深い場所に、この小屋がどこからかやってきたのだ。
街中の人々から情報を聞き出し、兄や父や恋人やらが毎夜そこに大量に金を使っては朝方に帰ってくるというたくさんの相談が舞い込んできたのである。
そもそも、彼らのシマで商売をするならば、その申請を申し立てなければならないのだ。
それすらない違法の商売、人間の所業でない興行。
これらを、ファミリーが見過ごすはずがないのだ。
『2315、行動開始!』
精鋭たちの通信端末に、ボスである男の声が響く。
瞬間、男たちは手にしたハンドガンを構え、派手派手しい裏口の扉をわざとらしく音を立てて壊した。
「!?」
開かれた扉の向こうには、出番を待っているのであろう、身体を露出した衣装を纏った小屋の団員たちが、驚いた様子で、黒服の男たちを見つめていた。
「カミッロファミリーだ。大人しくすれば命は保証しよう」
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『カミッロファミリー』、その名も役割も知っていたようで、団員たちは次々と抵抗することなく両手を縛られて連行されていった。
ただ、ひとりをのぞいて。
「っあ………!」
「大人しくしろ。お前の仲間は全員連行した。お前だけ居てもこの小屋は成立しないだろう」
猥雑な夢に眠っていた客を現実へと引き戻し、誰も居なくなったステージの上で。
冷たいアイスブルーに見下ろされる男がいた。
男は、美しく色の抜けた髪色と肌の、身なり綺麗なひとりの隣にうずくまり、悔しいがな、悲痛を漏らしている。
美しい身なりの綺麗な男こそ、街中を守るファミリーがボス、名を冠したカミッロその人であった。
カミッロは、たったひとりで抵抗をしたこの小屋の責任者らしい男の肩に銃弾を叩き込んだのだ。
男は、ひどく悔しそうに、流れる血を押さえながらもカミッロを見上げるが、助けなどはやってこないし、立ち上がる力もない。
「ボス」
「ああ。連れていけ」
やがて、カミッロのもとにやってきた精鋭たる部下の数人に指し押されながら、男は輝かしいステージの上からきえていった。
「………っあ、くそ、………っ、だけは………!」
意味にもならない、そんな、呟きを残して。
カミッロの耳にも、その声は聞こえていたが、言葉として理解できるものではなかったため、特に気にもしなかった。
どちらにせよ、事情聴取は明日からみっちり行うのだ。
そのときに、全て吐き出させれば良いのだ。
今夜、やるべきことは終わった。
あとは、明日、陽が昇ってから警察と協力して事情を明らかにするのみ。
最後に、テント内をもう一度見回ってから撤収しようと歩を進めた瞬間。
「………誰か、居るのですか」
それは、先ほどとは違い、確かに意味としてカミッロの耳に届いていた。
小さな、女の声。
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女の声がした方へと、ゆっくりと警戒しながら進んでいく。
ステージの裏側、見せ物の小道具や衣装などが所狭しと並ぶ、埃の啜れた空間。
立ち並ぶ背の高い棚たちの奥の奥に、それは合った。
天井まで届く、鉄格子。
それは先ほど、警察に渡した猛獣の檻と同じような、否、それ以上に頑丈な太さのそれの中に、居た。
血液の赤よりも赤く赤く、けれども決して下品でない色合いのワンピースを身に纏い、映える闇の黒髪は美しく、年頃の娘がその中に居たのだ。
娘は地べたに座り、鉄格子に繋がれた鎖で自由を奪われているようだった。
娘は、初めて見る黒いスーツの身なり綺麗なカミッロに驚く様子もなく、ただただ纏うワンピースと同じ赤い瞳で見上げていた。
カミッロは、意志のある赤いその光を向けられ、何も動けないでいた。
今すぐに繋がれた鎖を外して、娘を檻から出さなければならない。
ここに居る以上、娘が何者であろうとこの小屋の関係者だ。
連行した者たちと同じく、事情聴取をする必要がある。
けれど、カミッロは動けないでいた。
娘が、その一言を発するまでは。
「わたくしを、買っては頂けないでしょうか?」