陰日向

□平穏の消失
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自分は愛されて生まれてきた。
優しい母親に頼れる父親。兄弟はいなかったがそれでも溢れるほどの愛情を注がれて満たされた生活を送ってきた。
血だらけの家に帰る前のこの時までは。

「お母さん?お父さん?」

学校から帰ると家の鍵が空いていた。
シュビラの恩恵を受けている市民では鍵が空いていた程度では恐怖なんて感情は湧いてこない。
家の中に入って初めて部屋の残酷な惨状を確認した。

「何これ」

皮が剥がれている、人のようなもの。頭が二つ、互いの違う体にすげ替えられて飾られている。
表面はまるでプラスチックのような肌触り。触ってからやっと、自分が触れていた物の気持ち悪さに気づき、急いでトイレに向かった。

「おえっ...」

息を荒らげて部屋の隅に蹲った。震える手を懸命に動かし公安局に通報すると少ししてからサイレンの音が耳に入った。

「今回は自宅か」

「大丈夫か?サイコパス色相は...」

眼鏡を曇らせた公安局監視官の顔がことさらに嫌だった事だけ覚えている。
自分はもう善良な一般市民ではなくなってしまったのだ。

「潜在犯...」

隔離施設の真っ白い部屋でポツリと呟いた言葉は自分の今の現状を示していた。
暫くして自宅にいた皮なしの遺体が両親であることを知った。それが巷を賑わせている標本事件である事も。
隔離施設で過ごす日々は退屈で窮屈で。シュビラの恩恵と両親の愛情を存分に浴びた彼女はサイコパスの上昇具合から、もう社会復帰は出来ないだろう。
と、思われていた。
しかし以外にもあっさりと。短期入院しただけかのように在眞は退院した。本来の父母よりも少し年の離れた夫婦に養女として迎え入れられ、また外の世界で生きていくことを社会に許されたのだ。

「大変だったね。さぁ、これからここが君の家だ」

「私達のことはお父さんお母さんだと思ってくれていいのよ」

優しい老夫婦は在眞をとても可愛がってくれた。遅れていた勉学に励み新たな幸せな形を手に入れた在眞の目の前に、ある男が姿を現した。

「おっと...」

歩きながら電子書籍を見ていた在眞は人にぶつかった。色素の薄い瞳に真っ白い髪の毛。綺麗な容姿に思わず見とれてしまう。

「歩きながらの使用は危ないよ」

「あ、ごめんなさい」

「それは...」

端末に顔を近づける男。読み途中の書籍を見ると興味を持っているようだ。

「これを読むのは初めてかな?」

「そうですけど...」

「僕はそれの原本を持っていてね。君がよければ是非紙の本で読んでほしいのだけれど...」

そこからはトントン拍子だった。
槙島聖護と名乗ったその人と在眞はこの出来事から度々合うようになった。彼は沢山のことを教えてくれた。
勉学のことや本の事、在眞自信も槙島聖護に心を開き始めていた。

「勉強遅れている理由とか、聞かないから言うんですけど」

「うん?」

気を使ってくれていたのか、家庭の事情や過去を詮索しない彼に自分の過去を打ち明ける決心をした。
事件のことや自分が潜在犯になっていたこと、老夫婦に引き取られたことを話した。槙島は至って真面目に、親身に聞いている。ように見えた。

「その言い方、実に興味深いね。君は思ってもいない感情を表に出すのが上手い」

「え?」

それまで接していたのとはまるで違う。表情は何も変わっていない。しかし何故だか先ほどとは雰囲気が変わっている。
それと相まって疑問に思ったのは自分がが思ってもいない感情を出していると言った事。

「ここ数日、君を観察していたんだ。あの日部屋から2人の男が出てきていた事に気づいていたのに君は公安に何も説明しなかった」

訳が分からないと焦る在眞を尻目に足を組んでいる槙島が否応にも憎らしく見える。

「暖かい家庭、奇跡的な社会復帰。他人はよくても自分自身を騙すことはそう簡単ではない」

「何が、言いたいんですか」

周りの音がスローモーションでぼんやりと槙島の声の淵をなぞるように聞こえてくる。
冷静を保っている在眞の額に汗が浮かんだ。

「僕から見たら君の家庭は円満とは言い難い。標本事件が世間に取り沙汰されるようになって被害者の社会的特徴が両親と酷似していたにも関わらず君はいつも通り生活していた」

手が震える。
槙島の言っている事が分からない筈なのに、理解出来ない筈なのに、まるで悪い事が見つかったかのように鼓動が早まる。

「皮を剥いだ遺体を触って、尚且つサイコパスが好転したなんて普通じゃあない。君は...」

こうなる事を望んでいたのだろう。
父親が汚職に手を染めている事、母親が不倫相手と夜を過ごしている事も在眞は知っていた。知っていて普通の少女を演じきっていた。両親が殺されてもそれ相応の対処で社会に復帰した。
全てを見て見ぬふりをして他人を騙し、自分を騙していたその事実を目の前の男は見抜いて見せた。
口の乾きと鼓動が在眞の思考を特別鈍らせた。それは即ち槙島聖護の言葉の肯定を意味する。

「騙し通せるなんて思っていませんでした」

視線を落とした在眞は汗ばんだ両手を握りしめ膝の上に置いている。

「私は周りの環境とサイコパスが比例しないんです。誘拐とかされたこともあったんですけど、色相全く濁らなくて」

「確かにそんなことを話している時でさえ色相はあまり曇っていないようだ」

「自分自身を他人事だとでも思っているんでしょうかね」

「なるほど、僕とは多少違うようだ」

考えた槙島の仕草。面白い玩具を見つけた無邪気な子供の様子が表情から垣間見える。

「両親の復讐は考えてい無さそうだから...そうだな、今の安寧を壊したら流石に恨んでくれるかな?」

綺麗な顔から出た言葉の意味を理解できないほど在眞は馬鹿ではなかった。
勉強を教えてくれていた親切なお兄さんが実は両親を殺していた。その人物が今何故か自分の目の前にいる。

「嫌だと、言うべきなんでしょうけど」

困った様に頬をかく在眞の表情は勉強が分からない時と全く同じだった。

「正直な所、どう反応していいか分かりません」

「なるほどな。君を引き取った老夫婦を殺しても、君はきっと悲しい顔をしながら頭の中では遅れた勉学の事を考えるのだろうね」

そう言うと槙島はスマホを取り出し誰かに電話をかけ始めた。思っていたのと違ったとか予想より面白い玩具だとかを誰かに言っていた。
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