鬼の居ぬ間に

□百鬼昼行
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どこからともなく感じる突き刺さるような視線に気付き、藤(ふじ)は溜息をつきつつ諦めたように歩を進める。
生まれ育った町でさえこの有様なのだから、藤は未だかつて生家の界隈から出られずにいた。
別に気にしなければいいと言われればそれまでなのだが、誰が好奇の中にも好色の色が混じったその視線を気にしないで居られようか。
しかも、好色の目は男女問わず、どちらからも向けられるものだから藤は何とも居心地が悪い。

『おお、相変わらずだなあ』
「黙れ。今話し掛けるな」

へいへいと頭を掻きながら自分の後ろを歩く大男を見向きもせず、藤は小声で冷たくそう言い放った。
言われた男は特に気にする風もなく、暢気に鼻唄なんぞ歌いながら藤の後ろを着いて来る。

藤はこの界隈では老舗で有名な呉服問屋、藤吉屋の跡取りでありながら店の手伝いもせず、日がな一日遊びほうけていた。
……表向きは。
少なくとも世間の目には、そう映っている。
派手な女物の打掛を羽織った奇抜なファッションの藤は、江戸時代当時、傾(かぶ)き者と呼ばれていた今で言う原宿や渋谷の個性的なファッションをした若者の一人で、一部の若者には羨望の眼差しで見られるが世間的には爪弾きものだ。
おまけに藤の見た目が一般的な人(ひと)とは違った見た目だったものだから、期せずして注目を浴びてしまうのだった。

藤は生まれつき輝くような白い肌をしており、その白さは肌色だけに留まらず、腰まで垂らされて無造作に一つに束ねられた髪や体毛にまで及んでいた。
今でこそ銀髪と呼ばれるそれも当時は白髪だと馬鹿にされ、色素の薄さから白子と呼ばれ揶揄されていた。
色素が薄い瞳は光の加減で不気味に赤く光るものだから、鬼子だと恐れられることもある。

藤自身は化粧無しで女形が務まる程に見目好い若者で、若い娘と擦れ違う度、藤は娘が通り過ぎた後ろで感嘆の溜息を聞いた。
それは若い娘だけに留まらず男からも同様で、藤は普段は出来るだけ表には出ず、自室に引き篭って暮らしている。

なら、傾(かぶ)かなければいいのにとお思いだろうが、藤が傾いているのには藤なりの理由があった。
大人しくしていても肌と髪の色で目立ってしまう藤は、敢えてもっと傾くことで近寄り難い雰囲気を醸し出しているのだ。
実際、藤は滅多に外出しないのにも関わらず藤吉屋の放蕩息子だと噂され、好奇の目を向けられるも無遠慮に藤に近付く者は誰もいなかった。

それから暫くして無人の神社の境内に着き、藤は初めて大男を振り返った。

「紅蓮(ぐれん)、外では話し掛けるなといつも言ってるだろう」
「わりい、わりい。つい、な」

男は口ではそう言いつつもまるで悪びれた様子はなく、頭を掻きながらだらし無くへらへらと笑っている。
男は格好こそそこらの若者と変わりはないが、真っ赤な髪で覆われた頭の登頂部から二本、にょっきりと大きな角(つの)が生えていた。
大きな口から覗く白い歯は二本だけが不自然に長く、それは口を閉じると下唇から上唇に向けて伸びている牙だと解る。

大男は一般的に鬼と呼ばれている妖怪で、藤には男の姿が見えていた。
言い換えると藤は大男が見えている唯一の人間で、だから人前で男と話せなかったのだ。

「わりいわりい。これからは気をつけるから機嫌直せよ、な?」

馴れ馴れしく肩を抱いて来る赤鬼、紅蓮の手を叩(はた)き落とし、藤は神社の境内の石段に腰掛けた。


 

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