短編

□グッバイさよならここまでだ。
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それは彼にとって、暑い暑い真夏の中の、ほんの1ページっきりの思い出にすぎないのだ。







「狛枝くん。元気?」




私がそういうと、彼、狛枝凪斗はぱぁっとその顔を輝かせて私に向き直る。
それから雪によく似たフワフワの髪を揺らしながら
「もちろん、綾樫さんに気を使ってもらえるなんてなんて幸運なんだろうね!」と、彼が言う。
そう、この狛枝凪斗のことなんて、私はとうの昔に知り尽くしてしまっているのだ。
だから彼が次に何て言うのか、それでどの色のマグカップを手に取るのか。
私はそれらを簡単に予測できてしまう。






「ね、綾樫さん。ボク紅茶でもいれてくるよ」






ほらね、やっぱり。
狛枝凪斗は立ち上がるとキッチンの方へ歩いていき、しばらくすると青とミルキーピンクのマグカップを手にそろりそろりと
緊迫した表情で帰ってくる。





「はい、おまたせ。不味かったら捨ててね」



「狛枝くんがいれてくれたんでしょ。なら美味しいよ」



「あはは、ボクって好かれてるのかな。……いや、おこがましいね」







他愛のない話をしてから、私たちは図書館へと向かう。
狛枝凪斗はここの図書館の「徳川家の埋蔵金」という本が気に入っているらしい。
さんざん迷ったあげく、最後は必ずこの本を右手に持って帰ってくる。
男の子って、本当に面白い。
狛枝凪斗は私の正面の席に座ると、その本を広げて興味深そうに文章を舐めるように読んでいく。






(……あ、綺麗)






鼻がすっと筋が通っていて高く、肌は真っ白で透き通っているかのよう。
緑色のくりくりとした丸い目も少し浮き出た鎖骨も度々動く薄い唇も。








「全部、好きなのになぁ」








彼には聞こえないように小さく呟き、嘲るように笑った。
そう、この物語は最初から終わってしまっているのだ。







「ねぇ、綾樫さん。好き。…ボク君のことが好きみたい」


突然立ち止まった狛枝凪斗は夕日をバックにそう言った。
その目は真っ直ぐで、真剣だった。
私は不安そうな彼の手をそっと優しく、壊してしまわないように握り、「私も同じだよ」と言う。
すると彼からふっと不安の色が抜け落ちて、代わりに頬に桃色が浮き上がる。
そう、私は彼が大好きだ。
大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで……大好き。
















……そう言い聞かせないと、私が壊れてしまうから。











花火に海に買い物に映画。
やりたいことを二人で思いっきりぶちまけた。
今日は二人でネズミー城へ足を向けた。






「へぇ、ここってこんなに広いんだね」






狛枝凪斗が楽しそうに天井を見上げながら奥へと進んで行く。
至るところに張り巡らされたステンドグラス達が、日の光を吸っては吐いて、このお城のなかで呼吸を繰り返す。









「綾樫さん、こっちおいで」









ちょうど曲がり角のところで彼が私に手招きをする。
イタズラか、私を抱き締めるか。
彼と言えばこの二択のうちどちらかだと推測できる。
少し駆け足に彼のもとへ急ぐと、目の前が白いもので覆われる。







「狛枝、くん?」





「やっぱり、こうすると花嫁さんみたいだ」





「……!」







狛枝凪斗はそう言うと、レースカーテンの上から私を強く抱き締めた。
太陽の光とはまた違う、じわじわとからだの内側へと侵食していくかのような温もり。






「……ごめん、泣かないで」






「謝らないでよ」








気付けばボタボタと熱いなにかがほほを伝い、彼の
胸に染みを作っていっていた。
別に私は狛枝凪斗に謝ってほしいわけではないのだ。
ただ、ただ、現実にささやかなお願いを一つだけ受け入れてほしいだけなのだ。









「はやく、おきてよ。寂しいよ」












次の瞬間、私の前からすべてが消え去った。元の寂しい漆黒の画面。
虚無の世界。
そこにふっと白いものが浮きあがる。
ウサミだ。










「まだこのバグは解消されてないようでちゅ。あとどのくらいかかるか……」






「別にいいよ。私は私の出来ることをするだけだよ」






涙をぬぐい、まだ温かい掌を唇によせる。






「でちゅけど……さよちゃん、もうこれで238452回目になりまちゅ。先生はさよちゃんに緊急脱出をおすすめしまちゅが……」







私はウサミを持ち上げると、少しだけ力をいれてだきしめた。
それは所詮ぬいぐるみで、温かさもなにも無いけど。









「ありがとう、でもここで逃げたら狛枝くん、起きなくなっちゃうよ。だから、いいの。諦めない」






「さよちゃん……」









ウサミはつぶらな瞳を揺らし、それから溢れ出そうなそれをグッとこらえた。
きっと、先生だから、だろう。










「行ってくるね」








ウサミを降ろすと、私は目を閉じた。
落ちていく。深淵の闇へと。
真夏のあの日へと。
不安はない。
だって、目をさませばそこにはもう狛枝凪斗がいるのだから。



















  








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