ボクの亡骸
□海の泡で溶け合って
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カキーン…
野球をする男子たちの、元気のいい音が夕方の教室まで届いてくる。
二人きりの静かな教室はあっという間にバットとボールとものすごい雄叫びで賑やかになっていく。
あぁ、うるさいなぁ。
せっかく彼女と二人っきりなんだから、もう少しこの空気に浸らせてくれよ。まったく。
「ね、ソニアさん一度国に帰るんだって」
さよがちょうど窓を閉めたボクにそう漏らす。
彼女は読書のためだけにつけていた眼鏡をしまい、分厚い本を机に置いた。
「でね、花村くんも実家でしばらく手伝いをして、あ、赤音ちゃんも里帰りして」
ここの学生のほとんどは夏休みには実家に帰り、体を休める。
だからこそ、この教室はこんなにも静かなのだ。
「狛枝くんは、帰るの?」
さよがパッと笑う。
だけどいつもボクに見せるような、嬉しいを全面に出したようなそれは微塵も気配を見せていなかった。
「ボクみたいなゴミクズには帰る場所なんて何処にもないんだよ」
君にはあるんだろうけど。
さよはそれを聞くとしばらくボクの顔を見上げて、「そっか」とかすれた声で言った。
それからボクの両手を強く握りしめた。
ボクとは違う、温かくて柔らかい手だ。
「なら今から暇だよね。そうだよね」
「うん」
「海。海に行こう」
「……うん?」
さよの突然の提案に目を白黒させる。
海っていっても、今は7月でまだ真夏には程遠い。
いや、そもそももう4時をまわっているから遊ぶには無理があるのではないか。
……と、そんなことを考えて「やっぱやめない?」と提案する気になったのは、日が沈む寸前の海を目の前にしたときだった。
人は皆こう言うだろう。
時既に遅し、と。
「あっははははは!!海だぁ!!」
さよは狂ったように笑うと、バシャバシャと濡れるのもお構いなしに海へ突進していった。
さすがに危ないと思いボクも彼女を追いかけたが
「うわぁ…」
思ったよりも冷たくて、二の腕に鳥肌がたった。
そんなボクとは対称的に、さよは膝上くらいまで海に浸からせて、笑っていた。
ボクは彼女の笑顔が好きだ。
朝焼けのような、はたまた一番星か。
なによりも尊い宝石のようにすら感じるのだ。
「すきありっ!!」
「んううう!?」
だぱぁぁん…
目の前がさよの色に染まる。
染まっていく。
ボクが彼女に飛びかかられて後方に倒れたと理解するまでそう時間はかからなかった。
口にめいいっぱい酸素をためて頬を膨らます彼女は、田中くんのハム…じゃなかった。
暗黒四天皇によく似ている。
なんて言ったら怒るだろうけど。
さよは酸素の足りないボクの唇に自身の唇を重ねると、ボクの口内にじっとりとした酸素が侵入してくる。
「ぷはっ」
二人で水面から顔をあげて、それから視線が絡み合う。
「あーあ、一緒になれなかったか」
さよが残念そうにそう言う。
さよは時々おかしなことを言う。
それがわざとなのかどうかはボクには分からないけど。
「あのまま溶け合って、ひとつになれればよかったのにね」
うん、ボクもそう思うよ。
心の中でそう言って、ぐっしょりと濡れた彼女を抱き締める。
そうしないと、泡になって消えてしまう。
そんな気がした。