ボクの亡骸

□わたしのおはなし
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いったい、“こまえだくん”が来なくなってからどのくらいの時間が経過した?



また来るから、と言った彼は、ざっと日記380ページがあくぐらい長く来ていなかった。
私は“こまえだくん”から貰った本を閉じて、彼のことを思い出さないように、
それでも少しだけ会えることを期待しながらベッドにもぐりこんだ。







私の記憶は、まだ不完全みたいだ。







“こまえだくん”はときどき私の知らない話をする。
約束したクリスマスの話や、まだ行っていないお祭り、それから“ぶんかさい”の話。
どれも私の知らないことばかりで、もしかしたら私は彼のことをずっと昔から知っていて、
だからそんなことを話すのかもしれない。
そして、私が思い出せなかったから、来なくなった。
そう考えるのが妥当だろう。






「さよちゃん、注射の時間よ」





女医である松原さんは重たそうな鞄を床に下ろすと、私の体を優しく揺すった。
どんなに辛くても起きなきゃいけない。
それが私の……

ふと、起こそうとして伸ばした腕が止まった。

今私、何て言おうとしたんだろう。
私の、何?
ベッドの中でぼぅっとしていると、松原さんは少しだけ掛け布団をまくった。



「なぁんだ、起きてるじゃない。だめよ、寝たふりは」



「……ごめんなさい」




松原さんは私が起きていることに安心し、柔らかい笑みを浮かべた。
…考えすぎか。
最近思い詰めているふしもあるし。
袖をまくって、松原さんのほうにつきだした。






注射をしている間、室内は静寂かつ無機質を連想させるような空気がはりつめている。
私は針を見つめたまま口を開いた。





「ねぇ、松原さん」




「なぁに」





彼女も針から目をはなさず口を開いた。






「こまえだくんって、誰だったんだろう」






「……」





松原さんは何も答えなかった。
ただニコニコと微笑んだまま、作業する手を止めない。





「私の何だったのかな」




「さぁ…なんだったんだろうね」





松原さんはすこしだけ悲しそうな表情をしてから、またいつもの笑顔に戻った。




「さ、お注射終わったよ」






「うん。松原さん、いつもありがとう」





「……ねぇ、さよちゃん」





本をとろうとして、呼び止められた。
振り向くと、先生は小さななにか……そう、例えるなら凹凸のない鍵のような。
目を凝らすと…ゆー…えすびー…、ゆーえすびーめもり。
そう書かれていた。
それを手に持って、私の首筋に指を這わせた。






「先生ね、さよちゃんのこと大好きよ」






がこん


首の後ろに小さな衝撃。
それから、脳ミソの中に流れ込んでくるなにか。
頭の中でビデオが再生されているような、不思議な感覚に目を白黒させた。
流れ込んできたのは間違えようのない白髪の青年…“こまえだくん”だ。
それから、全く知らなかったはずなのに溢れてくる名前や風景。





「迷っちゃだめよ。それが貴女の」






















ぱかん。






はっと、顔をあげる。
松原さんも、同じ方を見ていた。
酷く乾いた音だった。






「銃声……?」





松原さんが冷や汗を一筋流して、携帯のボタンをプッシュした。
次の瞬間。

ドアの方の壁がものすごい音を立てて崩れた。







「松原さん、あれ……なに…」






今まで経験したことのないような恐怖と困惑に呆然とする。
あの形に似た生き物は見たことがある。
首から下は違うけど、そうだ、熊。
熊に似ている。
熊はクチャクチャとなにかを咀嚼しながら目をギョロギョロさせ……私たちの方を向いた。






殺される。
本能的にそう悟り、強く目を瞑る。
お願い、誰か助けて…!







そう願ったのは、間違いだったのか。








短い悲鳴と、顔にかかる生暖かい液体。
今までに聞いたことのない気味悪い音をBGMに、そっと目を開く。








開かなきゃ、よかった。








「まつ、ばらさ…」







どさ




床に倒れこんだのは、首を無くした松原さんだった。
じゃあ、さっき頬についたのは。
荒くなっていく息と、目の前に広がる異様な光景。
熊はもう一度あたりを見回して、今度は私を見つめる。
恐怖に体が震える。
頭が逃げろと甲高い警告音を鳴らすが、そうは言っても体がうまく動かない。








熊が口の中のものを床に撒き散らす。
見たくなかった。
だけど、見てしまった。






「……は」







真っ赤でねばついた肉片と、……どこかで見た少女の頭を。












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