novel

□Episode1(1)
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 夢の中のようだった。
 気が付くと普段は絶対に横にはならない、硬い床の上に倒れていた。
 幼いころベッドの上で経験した、あの生暖かい液体で服がぐっしょり濡れている不快感。しかし、今体を濡らしているものは。
 不思議と床に接している体は生暖かく感じるのに、体が内側から冷えてくるように寒気を感じる。
 自分の意志では一切動かない体を抱きかかえるように起こして、よく見知った顔が何か叫んでいた。
 何も聞こえない。
 だがぼんやりと視界に入るその表情が、何故か、泣きそうに見えた。

「……、………めん…」

 うまく声が出たかどうかはもう覚えていない。





「特異点って知ってるか?」
 行きつけのパブで人差し指を振りながら得意げに語る自称トレジャーハンターの青年に、カウンターの中の女が苦笑しながら返す。
「ロック、アンタまたわけのわからない単語調べてんのかい?」
「わけのわかんない単語って…」
「だってさぁ…この前来た時は死者が生き返る賢者の石に、その前は…なんだっけ? 世界に88か所ある遺跡を逆の順序で回るなんとかって儀式。んで、その前はネクロマンサーとかいう黄泉がえりの…」
 呆れた顔で語る女に、グラスに口をつけながらロックが言った。
「あー…その辺は…もういいや。うん。ダメだったことは忘れようぜ。俺は未来に生きる男だ」
「過去の女の為に生きてる男の間違いだろうに」
「そ、そうともいうな」
 あっはっは…と乾いた笑いが漏れる。
 その姿から、彼がまだあきらめる気がないことを痛感し、女は心の中でため息をついた。
 この男が辛そうな素振り一つ見せずに明るく振舞いながら恋人の為に必死に動いていることは少し前から知っている。
 女は少し優しい口調で訊いた。
「それで? 何なの、その特異点ってやつ」
「よくぞ聞いてくれた」
「自分で振っといてよく言うよ」
 無視してロックは自慢げに続けた。
「特異点ってのはだなぁ…。大けがとかで死にかけた人間が何日かしてから意識が戻ることがあるだろ? 実はさ、あの間意識は体から離れて別の世界に召喚されてるって話だ。本とかでよく出てくるだろ? 死んだと思ったら異世界に召喚された! ってやつさ」
「なんだよ…もったいつけといて。そりゃただのファンタジー小説じゃないか」
「違うってッ! もっとちゃんとした本で読んだんだよッ! いいか? そういう死にかけてる人間が、特異点になって元の世界そっくりの別の世界に召喚されて、そこで召喚された目的を果たすと元の世界に帰って生き返れるんだ」
 大けがをして意識不明になっている人間はそもそもまだ死んでいないのではないかと女は思ったが、黙っておいてやることにした。
 調子づいたままロックは続けた。
「元の世界と召喚された世界の違いは、特異点となっている本人が存在するかしないかだけ。つまり、もともと生まれなかったかすでに死んでるか何かでそいつがいない世界ってことだな。んで、特異点はみんな自分のいない世界で自分の存在と自分が呼び出された理由ついて考えるんだ。で、そこで『やっぱりロックには私がいないと! 私、元の世界に帰るわ! ロックが待ってるの!』ってなって目的を達成して元の世界に帰って目が覚めてめでたしめでたし…ていう…」
「はいはいはいはい。途中から完全にアンタの願望じゃないか。大体、そんな世界があるなら臨死体験した奴がもっと色々話してるだろ」
「いや…そこは…ほら、元の世界に帰ったら異世界での記憶はなくなるっていう…」
「ご都合主義的な奴ね。まぁ、たまにはそういう妄想すんのもいいんじゃないかい?」
 ただ目が覚めない恋人の顔を見続けるのなら、どこか別の世界で楽しく生きている姿を想像する方が…まだ気も楽になるかもしれない。
「だから、妄想じゃないって」
「はいはい」
 まったく信じていない様子の女に、口をとがらせるロック。少し酒が回ってきたのかカウンターに顔をつけて小さな声でロックは言った。
「特異点が現れる夜はさ、今日みたいな新月の日なんだってさ。突然空から降ってくるのに、怪我一つしないんだぜ? んで、周りの人が大慌てで『空から人が…』」
 そこまで話した瞬間だった。
 外の木が大きく揺れる音が聞こえた次の瞬間、ドサッ!! と何かが地面に落ちる音が騒がしいパブの中に響く。
 ガバッと上半身を起こしたロックとカウンターの中の女の目が合った。
「今の…聞こえ…」
 女が言い終える前にパブの入り口から男の叫び声が響き渡る。
「大変だッ!! 空から女の子がッ!!!」
 カウンターから出ようとしながら女が見ると、すでにロックは店の外に飛び出していた。
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