novel

□Episode1(5)
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 結局、エドガーの努力も空しくそれからもグレシアの状態は変わらず、男との関係はどんどん深みにはまっていく一方だった。何かと要求が増え、それに返せば返すほど優しくしてくれる代わりに、更に要求がくる。
 グレシアは好きな男に嫌われたくない気持ちだけで必死に尽くしていた。無茶な要求に閉口すれば君の愛情はその程度かと言われ、彼に見捨てられたくない一心で出来る限りの知恵を絞って無茶を可能にするたびにやはり君は素晴らしい、自分にとって必要な存在だ、愛していると手のひらを返される。それでもそのたびに嬉しくなる気持ちと充実している実感はあった。
 しかし、満たされる時間は一瞬で、その次に待っているものはその幸せを失うことへの不安だ。日々要求にこたえて男に尽くすことがそもそも愛情なのかどうなのか、彼女自身にも徐々にわからなくなっていた。
 ただただ愛してくれる人に尽くし続けることをグレシア本人は幸せだと言い続けていた。
 話を聞いていたロックが言った。
「…わかるよ。惚れた人に頼られたら、なんでもできるもんな」
 なんとなく覚えがあるのか、苦い顔で笑ってからエドガーが優しい声で訊いた。
「そっちの世界の俺は、なんて言ってた?」
 グレシアが穏やかな顔で答えた。
「いろいろ言ってたけど、最終的にエド兄が反対していた理由は一つだけだった」
 曰く。
『俺にはあいつと付き合っていてお前が幸せそうには見えない』
 それだけだった。
「エド兄が言うには『お前が幸せになれない恋には俺は賛成できない』ってことらしい。逆に私が幸せになれるならどんな相手だってかまわないとも言っていた」
 そんなことはない、彼といて充分幸せだといくら口で言ってもエドガーは納得しなかった。
 幸せそうに見えないというエドガーの言い分にもグレシアは当然納得できず、話は平行線をたどる一方だった。
 兄と口をきく時間が減り、反比例して彼と過ごす時間が増えていった。
「でも結局エド兄は正しかったんだ」
「え……?」
 思わず聞き返してしまったロックに、切ない笑顔で微笑んでから、グレシアは穏やかな表情で淡々と言った。

「実は、その人に殺されかけた」

「………………ッ!?」
「う……そだろ…?」
 思わず目をむいてしまったエドガーと、乾いた声を漏らして信じられないような目でこちらを見ているロックにグレシアは続けた。
「最初から向こうは暗殺目的で私に近づいてきただけだったらしい。父親が死んでエド兄が忙しくなってマッシュ兄が家からいなくなって寂しがってる私の心に付け込むのは、びっくりするほど簡単だったってさ。刺されて床の上で悶絶してる間に教えてくれたよ」
「……………それで?」
 ロックの声が、驚くほど低かった。
 エドガーは無表情に聞いていた。
「そのままだったら確実に死んでたと思う。心配してたまたまその夜に私の様子を見に来てくれたエド兄の存在が、唯一の誤算だったらしい。最近私とエド兄はどんどん気まずくなって距離が開いていく一方だったし、あまり話もしなくなっていってたから、まさか来ると思わなかったんだろうな。あとは…ごめん。よく覚えてない。気が付いたらこっちの世界にいた」
 いや、本当は少しだけ覚えている。
 ぐっしょりと服を濡らす血と、口の中に広がる鉄の味。冷えていく身体。
 そして、グレシアの体を抱き起こして必死に何か叫んでいたエドガーの顔。
『……エド兄…、………ごめん…』
 あの時、ちゃんと声に出せていただろうか?
 結局全部正しかったのはエドガーの方だった。世間知らずで馬鹿だったのは自分の方で。
 こちらの世界に来てから、正直本気でこのまま死んだ方がエドガーのためなんじゃないだろうかとさえ思う時もあった。
 だが。
「元の世界のエド兄は今ごろどうしてるんだろうって考えたら……さ。もしこのまま私が死んだら、どんな顔をするのかとか、マッシュ兄が帰ってきたときエド兄はどんな顔してそれを伝えるのかとか、聞いた方はどんな顔をするのかとか…考えれば考えるほど…ッ」
 今まで一度も見たことがないくらい、彼女の表情は重かった。
「今まで自分が死ぬことについて考えたことはあっても、死んだあと家族がどんな顔をするかなんか…リアルに考えたことなかった。こんなに……バツの悪い思い…するなんて………」
 ロックが静かに腕で顔をぬぐった。
 エドガーが静かに口を開く。
「…マッシュはともかく、俺の為に罪悪感を感じる必要はない。むしろ今俺が許せないのは何もできなかった向こうの世界の俺自身だ」
 ロックが叫んだ。
「違うだろッ!! 許せねぇのはその最低男だッ!! 謝ることなんか何もねぇよッ!! エドガーもッ! グレシアもッ!!」
 グレシアが淡々と言い返した。
「エド兄の忠告を無視してきたのは私だ。ずっと心配してくれてたのに、聞く耳持たなかった。…死んでも仕方ない。それに、ロックがそう言ってくれるのは嬉しいけど、相手の男は自分に惚れるよう強制してきたわけじゃない。私が一方的に被害者だと言うのは少し都合がよすぎる。そういう最低な男に惚れた私自身にもこの結果を招いた責任はあるってことだし、それに…」
「ふっざけんなッ!!」
「……ッ」
 グレシアの言葉をさえぎって全身の力を振り絞って叫んだあと、驚いて硬直しているグレシアにロックは続けた。

「惚れた相手に愛してるって言われて、なんでその言葉を疑わなきゃならねぇんだよッ!! アンタはただ惚れた男を一途に信じただけじゃねぇか…ッ! 今まで生きてきて一回も喧嘩したことがないくらい仲良かった兄貴が何言っても聞こえないくらい…ッ、ただ全力で人を愛しただけだろッ!! なんでそれで死ななきゃならねぇんだよッ!」

「………ッ」
 何か言い返そうとして失敗し、泣き出しそうな顔でうつむいてしまったグレシアに、エドガーが重い口を開いた。
「今の話の中で一つ、今の俺が答えてやれる質問がある」


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