novel
□Episode2(5)
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カイエンとシャドウから少し離れた場所で、マッシュが静かに言った。
「随分慣れてるじゃねぇか」
先ほどの車両の切り離しの件だ。
「……実家に機械がたくさんあるんだ」
グレシアの言葉をマッシュは軽く微笑んで静かに聞いていた。何も言わないマッシュにグレシアは続けた。
「その…つまり、兄さんと、それから亡くなった父が機械好きで…」
一体自分は誰に何を話しているのだろう。
バツが悪そうに黙ってしまったグレシアの顔をじっと眺めながら、マッシュは言った。
「それで?」
「…それで私も…昔から機械いじりが得意で…」
どんどん声が消えていくグレシアに、頭を掻きながら困ったような顔で笑ってマッシュは言った。
「悪ぃ。こんなところに呼び出してアンタをいじめたいわけじゃないんだ。ただ、最近家族を亡くしたばかりのカイエンさんの前ではどうしても訊きづらくてさ」
「何を訊きたいんだ…。幽霊かって質問なら答えられないよ」
硬い表情のグレシアに、マッシュは静かに訊いた。
「アンタ、フルネームは?」
空気が固まったような気がした。
「………ッ。教え…られない」
動揺しきった顔でなんとかそれだけ言ったグレシアに、切なく微笑んでマッシュは言った。
「…そうか。悪かったな。訊きたかったのはそれだけだ。戻ろう」
「あ……」
あっさりと背を向けたマッシュに、思わずグレシアが何か言いかけて言葉に詰まる。
何かに気づいていたわけではないのか?
もしそうならと思ってあんな話をしたのに、いざ名前を訊かれたら名乗れなくて…。グレシアの中で黒い靄が濃くなっていく。名乗れない理由はシンプルだ。拒絶されるのが怖い。見ず知らずの人間にいきなり家族だと言われて信じるわけがない。嘘をついていると一旦言われればここで血筋を証明する方法は何もない。しかし…。
「待って…ッ!」
「ん…?」
何事もなかったかのような顔で振り返ったマッシュに、グレシアは言った。
「信じてくれないかもしれないけど…私の名前は……」
もういい。全部言ってしまおう。それで信じなければもうそれでいい。殴りたければ殴れ。
何かを振り切るように決心した顔でグレシアが口を開きかけた時だった。
「信じるよ」
ああ。そうだった。この人は…そういう人だった。何も不安になることなんてなかった。グレシアは小さく頷いてから、名乗った。
マッシュは笑顔で返した。
「……ッ! やっぱりそうか! 最初から言えよ。ったく…いつ言ってくれるのかと思ってたぜ」
嬉しそうに語るマッシュに固まるグレシア。
「う…そ…信じた? いや…驚かない…のか?」
混乱しているグレシアにマッシュは優しく言った。
「さっきは悪かったな。考えてみりゃ、お前が誰か訊く前にまず俺自身の話をしねぇとな。俺には兄貴が一人いるんだが、その兄貴が数年前にとんでもない発表をしてな。…どうやら俺には二十五年前に死んだ妹がいたらしい。薄情なもんだよな。ずっとそれを知らずに生きてきたんだから」
「……それって…」
サウスフィガロで最後に眠る前にロックが言った言葉が脳裏によみがえる。
『エドガーはあの後お前のこと…』
公表…したんだ。その存在を。名前を。
こんな単純なことに何故気づかなかった? ロックがあんなにわかりやすいヒントをくれていたのに…!
つまりグレシアはもうこの世界においても存在しない人間ではなかったのである。故人ではあるにしろ、名前は公表されているのだから名乗れば通じる名前になってしまっていたのだ。
自分の存在しない世界に、存在を作ってくれた。エドガーが。
「名前を聞いた時にちょっと気になったんで、どこかで会ったかって訊いたらあの返事だろ? 見た目も似てるしもしかするとって思ってたんだ」
「マッシュ兄……」
感動して思わずグレシアが何か言いかけた瞬間だった。
笑顔のままマッシュは言った。
「魔列車でまさか死んだ妹の幽霊に会えるとはなぁ」
「え」
ピシ…と感動的な背景に亀裂が走る音がする。
「あ、心配すんなよ。カイエンさんには幽霊だってことは言わねぇから」
「え……あ、ああ……。ありがとう。マッシュ兄…」
そう。そうだった。この人は……鋭いようでいてたまにこういう天然な人だった。胸中絶句するグレシア。
エドガーと違って小細工を好まない真面目で一本気質な性格のためよく勘違いされがちだが、マッシュは単純馬鹿ではない。人間関係が複雑な環境で育ったためか場の空気も読めるし、何より人の心の機敏には鋭い。本人が豪快な性格に憧れているため出したがらないだけで、むしろ頭は良い方なのだ。にもかかわらず、何故か稀にエドガーでさえ絶句するような信じられない天然ボケを発動してしまう。
「マッシュ兄かぁ……悪くねぇな」
言葉とは裏腹に頭の中がすっかり花畑になっているマッシュは笑顔で続けた。
「なぁ、一つ頼みがあるんだけどよ」
仕方ない。マッシュにそんな幸せそうな顔をされては何も言えない。もう今は幽霊でいい。
特異点だのなんだのと今のマッシュに長々と説明する気にもなれず、グレシアは苦笑して優しく訊いた。
「何?」
「兄貴って呼んでくれ」
「…………………」
この花畑め。胸中毒づきながらも小さな声でグレシアは言ってやった。
「………あにき」
「もっかいッ!」
「………………あにき」
「もっかいッ!」
「…………………………………」
小学生のようなやり取りはその後グレシアがキレるまで続いた。