novel

□Episode3(3)
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 フィガロ城の兵舎の奥に作られている訓練場。普段は剣や槍の金属音で賑わうその場所で、静かな攻防が続いていた。
「……ッ!」
 マッシュが拳を軽く入れた瞬間、位置をずらしてかわしたグレシアがそのまま勢いを利用して体勢を崩しにかかる。その動きが見えたごくわずかな一瞬、マッシュが楽しそうに胸中で呟いた。
 思ったよりいい動きだ。自分が殴る力をそのまま利用してくるから体の大きさがあまりハンデにならない。リズム感もセンスもいい。
 グレシアの動きを見切ってかわしてから体を反転させて軽く蹴りを入れた。そのままガードされた両腕に入った脚に力を入れて蹴り飛ばす。
 踏ん張り切れずに後ろに飛ばされて体勢を崩し、肩で息をしている妹を見下ろしてマッシュは淡々と言った。
「ま、70点だな」
「…思ったより高得点だな。採点甘いんじゃないのか?」
 まだ息を切らしながら、それでも減らず口を叩いてくるグレシアを笑い飛ばしてマッシュは続けた。
「基礎鍛錬を毎日少しずつ、数年くらい続けてた…てとこか」
 驚いた顔でグレシアが叫ぶ。
「そんなことまでわかるの…ッ?!」
 がっはっは。と大きな声で笑い飛ばして兄は続けた。
「一回手合わせすりゃ大体の力量はわかる。お前、師匠は?」
「今はいない。昔、フィガロに滞在してた旅のモンクに習ったんだ。基礎だけ教えてもらって、そのあとまたすぐ旅に出ちゃったから…」
 ようやく息を整えて立ち上がったグレシアに、真面目な顔でマッシュが言った。
「…俺の見たところ基礎はほぼ身についてるから、そろそろその先のことを覚えてもいい頃だと思うぜ」
「ホントに…ッ?!」
「どうせお前のことだから、毎日これやれって師匠に言われたことをひたっすらそればっか続けてたんだろ?」
「…ご名答」
「ま、成果は認めてやるよ。いいぜ。そういうことなら、この先のことは俺が教えてやる。長い間一人で修行してたせいで変な癖がつきかかってるから、それも直してやる」
 嬉しそうに駆け寄ってきて礼を言う妹の頭に片手を載せて笑ってから、適当な場所に二人で並んで腰かけて、マッシュがグレシアを見下ろす。
「んで、なんでこんなことやり始めたんだ?」
「マッシュ兄がそれ訊く?」
 軽く笑っているグレシアに、マッシュは笑わなかった。
「俺とお前じゃ理由が違いすぎるだろ。お前には昔から親父や兄貴が入れ込むほどの頭があった。弓兵としての腕も超一級品だ。俺にはお前が苦労して格闘技覚えようとする理由が見当たらねぇ」
「…護身用ってとこかな。素手でも自分の身くらいは守れるようになっておきたい。どのみち至近距離から来られたら弓は使えないし」
 静かにマッシュが訊いた。
「……そう思うようになったきっかけは、その身体の傷と関係あんのか?」
「…やっぱ気づいてた? あの時」
 バレンの滝から上がって着替えていた時、マッシュは一度グレシアの身体を見ていた。バツが悪そうにグレシアが笑う。お互い相手の顔を見ずに正面を向いたまま、話し続けていた。
「まぁな。カイエンはともかく、俺はかなり近くで見たからな。心配すんな。…近くで見なきゃわかんねぇよ」
「…ありがとう。今まで訊かないでくれたことにも…」
 本当はずっと気になっていただろうに。視線を下げていると、横から珍しく低い声が聞こえてきた。
「……それ全部、戦闘でついた傷じゃねぇな。明らかに場所やつき方がおかしい」
 まっすぐ前を向いたまま、グレシアが穏やかな顔で頷いた。
「昔、暗殺未遂があったって話は…」
「…すまねぇ。ホントは聞いてた。当時たまたま山に籠っててな。俺が聞いたのは事件があった一年後だ」
 心配には違いなかった。しかし、当時はグレシアも既に回復していて、フィガロの記念コンサートで元気に歌っている姿を遠目に見たから城には戻らなかった。
「実はこれ、その時の…」
「おい」
 横を向いて、呆れた顔で睨んでいるマッシュと目が合って思わず苦い笑いが漏れる。苦笑しているグレシアにマッシュが固い声で言った。
「流石に俺でも嘘だってわかるぞ? 殺すつもりなら刺すとこそこじゃねぇだろ」
「あ、ああ。うん。まぁ…実際には、失血死しかかって…」
「はぁ?! ちょっと待てッ! お前それ暗殺未遂じゃなくて…」
「…うーんと…もうちょっと色々未遂?」
「もうその時点で未遂じゃねぇだろ…ったく…」
 昨日エドガーとグレシアが話していた自分への話とはこのことだったのかと知る。グレシアの暗殺未遂事件のことは知っていたからそのことだろうと予想はしていたが。
 何かを堪える様に目を閉じて、彼は言った。
「…話せよ。…聞くから」
「うん…」
 全て話した。最初から。
 自分が何をして、何をされて、生死の境をさ迷っている間に何が起きて、何を思って、そして目が覚めたのか。
 マッシュの方は一度も見なかった。けれど、俯いた顔に流れているものには気づいていた。
「ごめん…マッシュ兄…」
「…なんでお前が謝んだよ……」
「なんでかな…。ああ…そうか。違う。ありがとう。…いつも私のかわりに泣いてくれて」
 グレシア自身は、もうとうにこの件で流す涙は枯れ果てていた。だから、こんな穏やかな顔で話せる。決して傷が癒えたからではない。
「……ッ」
 乾いた表情で笑う妹の身体を抱き寄せて、回した片腕で頭を自分の身体に強く押し付けながら兄は言った。
「お前だって泣いてるだろ…ッ」
「? 私は泣いてないよ。兄貴」
 いつもと変わらないトーンで淡々と話すグレシアの耳元で、マッシュのちぎれそうな声がした。
「……泣いてる…ッ」
「………。…………そっか。みんなにはね、もう平気だって言ってるから。…秘密にしてね」
 小さい子供同士が内緒話をするような、そんな響きだった。
「ああ………でも俺にはもう隠すなよ…。やっぱ…俺は兄貴と違って耐えられそうにねぇ…ッ」
 抱きしめられている身体が暖かい。そうか。エドガーもやっぱり…そうなんだ。胸中呟いて、グレシアは小さな声で言った。
「…わかった。約束する…。これからは…マッシュ兄には何でも全部正直に言うよ」
 ぐっと腕に力を入れてから、マッシュははっきりと言った。

「約束だからな」





 
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