novel

□Episode4(2)
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 船の上で上機嫌のグレシアが綺麗な声で歌っていた前の夜、ベクタでは重い話が続いていた。
「……今の話は、俺もグレシアから聞いたわけじゃない。…あいつを刺した男から聞いた話だ。あいつは俺にも何も言わん。…こうなった後から考えれば、日常的に精神的な虐待を受けていた可能性もあるが…。それをグレシアから聞き出すのは不可能だろう」
「………」
 無表情に目を閉じて話を聞いているマッシュに、エドガーが続けた。
「俺がお前に話していなかったことはこれで全部だ。俺が…グレシアにしてしまったことは…これで全部かどうかわからんが。とにかく、お前が俺を殴りたければ好きにしていい。…罪には問わん」
 最後の一言に、ほんのわずかに自嘲するような冗談っぽい響きが混じっていた。
 しばらく黙っていた後、マッシュは低い声で呟いた。
「………俺だって同罪だろ」
「マッシュ…。城にいなかったお前に罪はない。俺に父上のかわりはできてもお前のかわりはこなせなかった」
「兄貴は兄貴だろ…ッ! 俺でも親父でもねぇッ!!」
「……ッ。…そうだな」
 穏やかな目でこちらを見ているエドガーに、マッシュは続けた。
「それに、グレシアがその男に依存した原因が親父や俺がいなくなったせいだってんなら、あいつをそんな風に甘やかして育てた責任は俺にだってある。…もちろん親父にも、兄貴にもな。でも兄貴一人でそれ全部を背負うのはどう考えたっておかしいだろ」
「そうかな。…俺はむしろ俺が厳しすぎたのかもしれないと考えていた。お前がいてくれた頃は親父や俺がいくら厳しくしてもお前がその後優しくしてやればそれでよかった。バランスが崩れたことが、一番の原因だったと思う」
「…すまねぇ。兄貴…」
 かすかに笑う声がした。
「なんでお前が俺に謝る?」
 苦笑しているエドガーに、マッシュが続けた。
「…この前十年ぶりにあいつを見た時、昔とは比べ物にならないくらいすげぇ立派になったって思った。ガキの頃の甘えっこがここまで毅然とした大人になんのかってくらい…でかく見えて…嬉しかった」
 まさかその陰にそこまで辛い出来事があったなんて思わなかった。苦労があったことくらいは察しがついたが。一体エドガー一人でどれほど苦労した? 事件後、グレシアを支えて、彼女があんな風に明るく笑えるようになるまで、どれほど…。
「だから、それでどうしてお前が謝る?」

「…一番つらかったの…ホントは兄貴だろ…ッ!!」

「……………」
 黙っているエドガーに、マッシュが続ける。
「…泣いてたんだろ? 当時あいつが怪我で寝てた時」
「……………」
「死ぬほど後悔して、死ぬほど辛い思いして、死ぬほど自分を責めて…ッ」
「……………」
「…それ全部誰にも言わずに今まで一人でしまい込んで生きてきたんだろ…」
 静かな空間に、時計の針の音だけが響く。
 エドガーが観念したような顔で呟いた。
「……よく…知ってるじゃないか」
 マッシュがエドガーにしか見せない表情で叫んだ。
「ったりまえだ…ッ。そのくらい…わかるに決まってんだろッ!」
 怒鳴り飛ばしてから、静かにマッシュは続けた。

「生まれる前から一緒にいたんだからよ…」

 不思議なもので、エドガーにもなんとなくマッシュの気持ちがわかるような、そんな気がした。
「…もっと早く、お前に話せば良かった」
「兄貴…」
「俺一人で済むなら、その方がいいと思っていた」
「なわけ……」
 遮るようにエドガーが続けた。
「俺がそんな考えだからグレシアがあんな風に全部背負い込む性格に育ったんだな。…お前を見ていてよくわかった。なぁ、マッシュ」
「…………」

「俺は………王になってもまだ、お前たちの兄でいられているか?」

 以前、マッシュに父親に恥じない王になれているかと聞いた時、彼は父は今頃鼻が高いだろうと答えてくれたが。その代償は大きかった。マッシュが気合いの入った顔で笑う。
「世界一の兄貴だよ。…俺にとっても、グレシアにとっても」
 子供の頃のような笑顔で言ったあと、恥ずかしそうに「いちいち言わせんな」と付け足すマッシュに軽く笑ってから、エドガーが低い声でまた話を戻した。
「マッシュ。一番つらいのは俺じゃない」
「…本人…か」
 頷いてからエドガーが続けた。
「開戦前の帝国からの縁談騒ぎで、じいや達の中には受けるしかないんじゃないかと考える者もいた。ばあやからは、別の相手と見合いさせて嫁がせてしまってはどうかとも言われたが…」
「…あり得ねぇ。ばあやはともかく、親父の仇と結婚させようとした奴がうちの内部にいたってか?」
 本気で怒っているマッシュを見てから、エドガーが淡々と言った。
「あいつのことだ。知らないふりをしていたが、ホントは全部聞こえてたんだろ。ある日突然、どうしてもダメそうなら帝国に嫁いでもいいと自分から俺に言い出した」
「はぁッ?!」
 更に怒っているマッシュに声を出して笑ってからエドガーが言った。
「とりあえず、最高の笑顔付きで頭の両サイドから拳をぐりぐり入れて数回謝らせてから小一時間説教しておいた」
「さっすが兄貴!」
 謎のノリで相槌を打ってからマッシュが静かに言った。
「…多分、その時一番ホッとしたのはグレシアだろうな」
「そうなのか?」
「……あいつ、表面には出さないけど今でも男は相当怖がってるぜ。多分、昔の相手から日常的に虐待されてたっていう兄貴の読みはあたってる」
「……………」
「大方、いつか兄貴に嫁いでくれって言われるのが怖くて自分から先に言い出したんだろ」
 なるほど。あたっているかもしれない。胸中呟いてエドガーは静かに苦笑した。この手の話になるとマッシュは本当に鋭い。思わず小さな笑いが口元からこぼれた。
「…馬鹿だな」
 怖かったのなら、そう言ってくれればよかったのに。
「んじゃ…また説教でもするか? 多分、喜ぶだけだろうが」
 ふわっと軽く笑ってエドガーが言った。

「説教は嫌いだ。…するのもされるのもな」



 
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