novel

□Episode6(7)
1ページ/2ページ





 夏でも夜は少し冷える北の果て。
 虫が鳴く声だけが響く中、小屋の中でグレシアとダンカンが二人で紅茶を飲んでいた。
「ほう。なかなか良い香りじゃな」
「友人に貰ったハーブティーです。…良く眠れるようにと」
 グレシアの顔を一瞥して、ダンカンは低い声で言った。
「…おぬし、不思議な気をしておるの」
「格闘だけでなく、詩人の戦歌も気が命ですから…。上手く巡るよう、日々コントロールしているつもりです。…が、人は感情の生き物ですから…なかなか」
 とはいえグレシア自身、特にこの一年でかなり上手く感情をコントロールし、気を乱さずにいられるようになってきたと思っていたのだが。
 ファファファ…と、楽しそうに笑う声がした。
「日々是精進じゃ。よかろう。明日の早朝、わしときなさい。稽古をつけてやろう」
「ホントですか…ッ?!」
 思わず大きな声を出してしまったグレシアにダンカンがまた楽しそうに笑う。
「マッシュはまだ時間がかかりそうだからのぅ。…今夜は、マッシュと一緒に寝てやるといい。お互いよく眠れるじゃろうて」
 何もかも見透かしたようなダンカンに、苦笑してグレシアが頷く。





 一行がダンカンの小屋に着いたのが今朝のこと。
「おっしょうさま…よくご無事で……」
 ダンカンと再会するなり泣き出してしまったマッシュに、挨拶もそこそこにダンカンから最終奥義継承のための厳しい修行が与えられた。流石のマッシュといえど奥義会得の修行は一筋縄ではいかないらしく、彼は久しぶりに朝から本格的な修行に取り掛かった。マッシュの修行の手伝いをしているカイエンとガウをよそに、グレシアは小屋の中で食事の支度や部屋の掃除をして、夕食後に片付けも済んでようやく一息ついたのが今である。
 ちなみに、マッシュ達は外ももう暗いのに夕食を食べるとすぐにまた修行の続きに出て行ってしまった。
「でも、ここは本当にいいところですね。静かで、星も綺麗で、心が落ち着く。ここにいると、嫌なことも全部忘れられそうな気がする。…来てよかった」
 穏やかに呟いたグレシアを温かい目で見つめて、ダンカンが言った。
「それにしても、あの小さな女の子がまさかここまで成長しておるとはのぅ。…わしも歳を取るはずじゃ」
「小さなって…。城で最後にお会いしたのは父さんが亡くなった時だから…私が十五歳の時で…」
「ファファファ。細かいことは気にするでない。娘も息子もこんなに立派に育って…スチュアートが生きておったら、さぞ喜んだだろうにのぅ」
「…………」
 そうだろうか。…兄はともかく、文字通り身も心も傷だらけになった今の自分を父が見たら、嘆くことはあっても喜ぶことなどないのではないか。
 顔には一切出さずに穏やかな笑顔のまま、胸中複雑な思いをしているグレシアに、ダンカンは言った。

「グレシア。今の自分を否定するものではない。それは、己の弱さを助長する。精進や反省とは掛け離れた行為じゃ」

「………ッ!!」
 見ぬ…かれた? あのエドガーにさえ…最近は気づかれなくなってきていたのに…。
 もはや隠すことも諦めて愕然とした表情で自分を見つめているグレシアにダンカンが豪快に笑った。
「ファファファ。…まだまだ、修行が足らんのぅ」
 楽しそうに笑う顔に思わず苦笑が漏れた。
「…超能力者ですか。まったく…」
 あのマッシュが惚れこんだ師だけのことはある。





 翌朝早朝、グレシアは日が昇る前に起きて、まだ寝ているマッシュを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。
 小屋から少し離れたところにある滝で、ダンカンを待ちながら顔を洗う。少し冷たすぎる水が、心地いい。
「ファファファ。時間通りじゃな」
「師匠、ホントにいいんですか? 今はマッシュ兄を見てあげた方が…」
「…今はまだ、そっとしておいた方がいいじゃろう。技の何たるかを教えたとて、その極意はあの子が自力で掴まねばならん。ところでグレシア。昨日はよく眠れたか?」
「ええ。自分でも不思議なくらい」
「うむ。わしが昨夜そのように気を送っておいたからの」
「ええ…ッ?!」
「冗談じゃよ」
「…………」
 固まっているグレシアの前で豪快に声を上げて笑った後、彼は続けた。
「良いか? これからおぬしには精神統一の修行を課す。どうもおぬしの気のコントロールの仕方は歪んでおるようだからのぅ」
「歪んで…ますか?」
「自分で気が付いておらぬか。だが、歪んだ気はいつか歌にも影響する。よって…今からおぬしの歪んだ性根を叩きなおすッ!!」
「…お言葉ですが、何をもって歪んでいるとおっしゃっておられるのか…自分ではさっぱり…」
 顔には出していないが不満そうな心が手に取るようにわかる。…まるで、子供の頃のマッシュを見ているようだ。
 豪快に笑い飛ばしてダンカンが何言かグレシアに伝える。

 かくして、マッシュと共にグレシアにも厳しい修行の日々が始まった。





 グレシアを滝に残して一人で小屋に戻って、庭にいたガウに軽く稽古をつけてやってから、朝練から戻ってきたマッシュとカイエンと四人で朝食を食べる。
「グレシア殿はどうしたでござる?」
「ファファファ。あの子は特別メニューで一人だけ特訓じゃ」
「ガウガウ! グレシアだけ特別メニューの朝飯食べてるのか? ずるいぞ!」
 マッシュが楽しそうに笑いながら言った。
「そのメニューじゃねぇよ。修行のメニューだ。…しかし、朝飯にも戻ってこねぇとは…。おっしょうさま、いったいどんな修行を?」
 しかし、ダンカンはその質問には答えなかった。
「人の心配をしておる場合か。お前の修行はどうなっておる?」
 こうして食卓を囲んでいると本当に家族のようだった。食べた食器の片づけをカイエンとガウに頼んで、庭でマッシュの修行の成果を確認する。
「ふむ。僅か一日でここまで仕上げるとは…腕を上げたのぅ、マッシュ。よかろうッ! では次の修行じゃッ!」
「はいッ!!」





 朝食も食べずに滝に打たれながら、グレシアが一人で精神統一を続けていた。頭の中で、ダンカンの言葉がぐるぐると回り続ける。

 感情に逆らってはいけない。

 人の感情とは流れる滝のごとく、せき止めることも、まして逆流させることもできない。
 自分の感情を殺せば殺すほど、心は歪み、心の傷の回復からは遠ざかっていく。そんなことでは、一生かかっても暗い過去から抜け出せない…と。
「…………ッ」
 …わかっている。わかっているがこうもズバズバと言われて感情が逆立たないはずもない。
 押さえつけてはいけないのならいったいどうしろというのか。
 瞬間、全身を覆っていた気が乱れて滝の水圧をまともに受けてしまい、ばしゃっと体勢を崩す。
「あああああッ!! もう…ッ」
 びしょびしょになった顔に流れているものは滝の水だけであると信じたい。
『…おぬしが経験したことは、およそ心ある者には到底耐えられん程の出来事じゃったのだろう。それ故に、生きるためには心を殺すしかなかった。それはおぬしのせいではない。だが…』

『過去に囚われて心を殺し続けるのは、おぬし自身の弱さ故じゃ』

 逃げずに立ち向かう気になったら、一度手合わせしてやる。…と。
「なん……っで…。私…今まで立ち向かってきたじゃ…ないか…ッ」
 死にたくても耐えて、拷問のような夜にも毎晩耐えて、この前街中で一年前にガストラと一緒になって暴行していた元帝国兵達とすれ違った時だって、耐えて…。仲間の前ではいつも歌って…笑って…笑って……。
 笑って…?
「え……あれ……?」
 耐えて我慢して笑うのは…誰の為?
 たとえ日中抑えつけてコントロールしているつもりになったところで、夜にしわ寄せは来る。自分一人では抱えきれないほどのしわ寄せが…。…いったい…自分は何をしているのだろう。
「……ッ」
 慟哭が、滝の中を突き抜けるように響き渡った。





「そうですか…。グレシアが…」
 次の課題を申し渡したついでにマッシュと二人きりで話をする。
 何かを堪える様に目を閉じているマッシュに、悲しげな顔でダンカンが言った。
「可哀そうな子じゃ。…良くここまで自分の辛さも恨みも憎しみも一切口外することなく耐えたものよ。おそらくあれは、あの子を育てたスチュアートの責任だろうて」
 王宮は、自由に感情を出していては生き残れない。子供であろうと、笑いたいときに笑っただけで顰蹙を買うこともある。
「ですが父は…心の底ではグレシアが自分の意志で生きていくことを望んでいたようです。女性は城では自分の意志で生きられないと子供の頃から教えてきたのに…」
「それが親の愛情じゃよ。我が子を守るための…。しかし、親の愛情が子を歪めてしまうこともある…」
「しかし、俺や兄貴は…」
「馬鹿もん。お前やお前の兄は昔から好き勝手しておるではないか」
「え? あ、ああ…確かにそうですね…はい」
 十年も家を出て好きなことをさせてもらった手前、何も言えない。色々と苦労や制約は多いものの、自信家で説教嫌いでフィガロ一強い権力を十年間持って大概のことは周囲がみんな自分の命令通りに動いてくれていたエドガーも、それに関しては似たようなものだろう。…おかげで歪まずに済んだともいえる。
「それにしても…皇帝もむごいことをする……。さぞ苦しかったろうに……どうもあの子は人並外れて試練の多い人生を歩んでおるようじゃの」
 半分呆れたような、半分感心したような物言いに、マッシュが軽く笑って頭を下げる。
「助けになってやってください。俺は…今は自分のことで精いっぱいです」
「うむ」
 自分の修行に戻っていったマッシュを見送って、空を見上げる。
 少し雲が出てきたようだった。




 
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ