novel

□Episode6(9)
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 泣きたいときは、泣けばいい。
 過去、グレシアにそう言ってくれた人は誰と誰だっただろう。
 泣きたいときに泣いていては生きていけないと教えてくれたのは父親だった。
 強くなりなさい。と。
 その教えに従って今まで生きてきた。
 けれど。
 エドガーが、マッシュが……そしてレオが、泣いている自分に寄り添ってくれたから、泣きたいときでも耐えて生きていられる。
 この矛盾。
 王族としての尊厳も人としての尊厳も全て無くしてボロボロになった身体を、彼らは抱きしめてくれた。
 だから自分の身体と…男性を心底嫌いにならずに済んだ。
 辛くてたまらなかった夜も、越えてこられた。
 受け入れてくれる彼らがいたから、こんな身体でもまだ幸せになれると知った。
 なればこそ。心に、自分を認める勇気と相手を許す強さを。
 
 穏やかに微笑んで瞑想しているグレシアの顔を、透明な雫が音もなく伝って落ちていった。





 朝露が光る早朝。精神統一中のグレシアを見つけて、マッシュがニヤリと笑う。
「随分、レベルが上がったんじゃねぇか?」
 ゴゴが来てから早一週間。ガウやカイエンも共に修行してレベルは上がっていたが、マッシュとグレシアの成長速度は異常だった。
 隣に座ってきたマッシュに、そっと細く目を開けてグレシアが呟く。
「…この感じ、前にも覚えがある」
「ほう」
「世界が崩壊した後に、こっちの世界に戻ってきたあの時の気持ち…」
 この世界の全ての物が、心の中を通り抜けていくあの感じ。
 悲しさも憎しみも理不尽さも自身への嫌悪もすべてが溶けて、心が…限りなく透明になっていく。
 二人で並んで座ったまま、目を閉じる。
 遠くからその様子を見つめていたダンカンが呟いた。
「よくぞ会得した。…それこそが明鏡止水、クリアマインドじゃ」
「明鏡止水…。ついに、あの二人がその境地までたどり着いたでござるな」
 隣に立つカイエンに、ダンカンが頷いて言った。
「明鏡止水…されどこの拳は烈火の如く。今のマッシュなら、最終試練をたやすく超えられよう」





 エドガーの執務室で、乾いた風に揺られてカーテンが揺れていた。
「…………終わった…」
 コツ。ペンをそっとペン立てにさして爽やかな顔でエドガーが笑う。
 横でリルムの出したグレシアがスッと消えていって、ソファーに座った不満そうなリルムがぼやいた。
「自分一人で終わらせたみたいな言い方しないでよね」
「ああ。リルムのおかげだ。すまないな。消えるたびに何度もスケッチしてもらって」
 笑顔でリルムの頭を撫でるエドガーに、黙って撫でられながらリルムが少し自慢げに言った。
「ふっふっふ。例の教団もリルムの大活躍でぶっ潰したし、ご褒美に何もらおっかなぁ〜」
「ああ。何でも言ってくれていいぞ。俺に用意できるものなら…」
 その時、執務室のドアを軽くノックする音が響き、入ってきた男とエドガーが少し話した後、エドガーがリルムを振り返って言った。
「すまない、リルム。まだあと少しだけ仕事が残っているんだ。後でまた話そう。何が欲しいか、考えておいてくれ」
 いつもと変わらない笑顔でそれだけ言って出て行ったエドガーだったが、リルムは無人になった部屋で小さくつぶやいた。
「…大人って、大変だね」





 エドガーが真剣な顔で呟いた。
「…セリスは、まだ大丈夫そうだな」
 ロックが笑って返す。
「ああ。俺も驚いたぜ。まさかみんながあそこまでセリスを応援してくれるなんて」
 セリスが法廷で証言し始めて今日で三日目。
 ロックの予想に反して、町の人々の反応は温かかった。むろん、セリスの将軍としての今までの行いを許せない者もまだいたが、それ以上に今までの彼女の境遇に同情する者や、皇帝の行いにこそ怒りを覚える者が多く、自分の過去を包み隠さずすべて打ち明けたセリスに好感を持つ者が次々と現れ、次第に彼女を応援する声が多く上がっていった。
 結局、グレシアの為に勇気を出して法廷に立ったセリスを責める人間はどこにもいなかった。むしろ、今まで悪い噂だけが横行していた中で、本当のセリスの姿を知っている者などいなかったのである。
 法廷で自分に甘えることなく毅然と話す彼女の潔さに、多くの者の中で彼女の印象が変わっていった。
「そうか…。セリスが少しでも辛そうにしていたらすぐにでも手を引かせるつもりだったが…。やはり、彼女は強いな」
 感心しているエドガーにロックがごく小さな声で言った。
「………さんきゅ」
「ん? 何がだ?」
「やっぱお前が正しかったって話だよ。エドガー。俺はセリスが傷つくんじゃないかってそればっか心配してたけど、セリス、前よりずっと明るい顔してる。何かが吹っ切れたみたいで…さ。…過去と向き合う…か。俺もしっかり守んなきゃな。…セリスを」
 はっはっはと楽しそうに笑ってエドガーが言った。
「なら、セリスより強くなることだ。彼女より弱い者が彼女を守ることはできん」
「へいへい。お前は厳しいな、ほんっと。…ありがとよ」
 軽くエドガーの片手をパシッと叩いてロックが笑う。





 明かりの少ない特別な取調室の前で、エドガーが軽く息をつく。…以前、この部屋に入った時はかつての親友…グレシアの恋人だった男と話して結局話は決裂してしまったが。
 前に立っていた騎士が部屋のドアを開けて通してくれる。エドガーが中に入ると同時に礼をする何人かの騎士の前を通って、そっと椅子に座る。
 対面に座った青年はエドガーの顔を見ようともせずにうつむいたまま呟いた。
「…………死刑にしてください」
 ふぅ。軽く息をついてエドガーが訊いた。
「名は?」
「ギャレットです」
「君は、自首してきたと聞いているが。今まではどこにいたんだ?」
 エドガーの口調は穏やかだった。
 一度もエドガーの顔を見ないまま、ギャレットがぼそぼそと呟いた。
「…世界が崩壊してからはずっと、ツェンの診療所で雇ってもらってました。治癒魔法が…得意で。でも昔帝国にいた頃の仲間が、捕まったって聞いて…それで…」
「自分だけ隠れているのが嫌だった、と」
 困ったような顔でエドガーが息をつく。彼の存在はまだセリス達にも話していないが。これは…扱いが難しい。
 ふとエドガーが見ると、正面の青年が泣いていた。
「……あれから…ッ、毎晩あの時の夢ばかり見て…眠れないんです…ッ。泣いて助けてくれと言っている相手に…俺は……ッ」
「…何をした?」
 冷たい目で訊いたエドガーに、彼はすべて語った。親衛隊所属の治癒兵として、暴行や拷問で彼女の意識が飛ぶたびに魔法で怪我を治したこと。口外しないように自分も暴行に加わるよう強制されたこと。
「すべて自分の命惜しさにやっていました。…治す度に彼女がどんどん精神的に衰弱していく様子を見ていながら…それでも…やり続けました…」
「それを告白しに来た…か。いい度胸だ」
 若干怒りを抑えているエドガーにギャレットが恐る恐る顔を上げる。
「………」
「君に、一つ訊きたい」
「なんですか…?」
「家族はいるか?」
「両親は子供頃に他界しました。それからは、妹と二人で…」
「…私にも妹がいる。君もよく知っていると思うが」
「…………。…死刑にしてください」
「謝る気はないのか?」
 エドガーの厳しい声が飛ぶ。
 返ってくる声は…すでに死んでいた。
「謝って済むことではありません…」
「…死ねば済むとでも?」
「…………」
「それで君が死んだ後、妹はどうなる?」
「…………」
 何も答えない相手にエドガーが天井を見上げて軽く息をつく。憔悴しきった目の前の彼がどれほど自分の罪を悔いているのかはわかる。再犯の可能性もまずないだろう。…ならば彼がエドガーに泣いて詫びて妹を一人にはできないから死刑にはしないでくれと縋りつくならまだ道はある…が。こうも自殺志願一色でこられるとエドガーにできることはなくなってしまう。
 まったく…困ったものだ。ここにマッシュがいたら間違いなく彼を全力で一発殴ってそのあと助命していただろう。
 だが…残念なことにエドガーは男性相手にそこまでの優しさを持ち合わせてはいない。
 王は立ち上がり、背を向けて冷たい目でチラリと振り返って言い放った。
「…では、望み通りに」
 直後、扉の閉まる冷たい音が響いた。





 無事、夢幻闘舞を会得し、ゴゴに真似られる前に倒したことで最終試練を突破したマッシュと、いつでも自分の意志でクリアマインドの境地に達することができるようになったグレシアがダンカンに頭を下げる。
「お世話になりました」
「うむ。辛い修行に耐え、よくぞ明鏡止水の境地に到達した…。グレシアよ、その心を忘れるでないぞ。人の心とは移ろい迷いやすいもの。これからもマッシュの元でよく修行に励むのじゃ」
「はい。本当に…ありがとうございました」
 満足気に頷いてから、ダンカンがマッシュを見て言った。
「マッシュよ…。もうお前に教えることは何もない。ゆけッ! ケフカをぶちのめしてやるのじゃッ!!」
 気合いの入った返事が、小屋に響く。
 ダンカンに別れを告げて、待っていたカイエンとガウと合流すると、何故かゴゴが一緒に旅支度を整えて待っていた。
「なんだぁ? お前も一緒に行くのか?」
「がっはっはっは! 細かいことは気にすんなッ!」
「俺のマネすんじゃねぇッ!」
 カイエンが呆れた声で呟いた。
「さっきから何を話しかけてもこの調子でござる」
「拙者は物まねしであるゆえ、それは致し方ないでござるよ」
「だからッ! 拙者のマネをするなと何度言えばわかるでござるッ!」
 ガウが楽しそうに叫んだ。
「ガウガウッ! お前、面白いッ」
「ガウガウッ! お前、面白いッ」
 ガウと一緒になってはしゃいでいるゴゴに、グレシアが訊いた。
「本当にいいのか? 世界を救う旅に片足突っ込むことになるけど」
 ふっと笑って、ゴゴが言った。
「そうか。世界を救おうとしているのか。では、俺も世界を救うという物まねをしてみるとしよう」
 呆れたように絶句した後、グレシアが楽しそうに笑う。
 マッシュがしみじみと呟いた。
「また変な仲間が増えちまったぜ…」



 
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