novel

□Episode7(1)
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 フィガロ城には今日もマッシュの威勢のいい声が響く。
 稽古場から聞こえてくる騎士たちの悲鳴を苦笑して聞きながら、グレシアがそっと執務室の窓を閉めた。本当は、フィガロは暑い日が多いからあまり窓は閉めたくないのだが。
 再び机に向かって頬杖をついて書面と向かい始めたグレシアに、部屋の掃除をしていた男が訊く。
「…どうして…助けたんですか?」
 無言で仕事を続けているグレシアにギャレットが諦めて部屋を出ようとした時だった。
「助かったと思ってるのか?」
 静かな声に、振り向く。
 宣言通り、グレシアはギャレットを文字通り馬車馬のようにこき使っていた。そして、彼は不満一つ言わず、城の雑用を山のようにこなし、その合間に医務室の仕事まで自主的に手伝っていた。
 城の人々は最初こそ白い目で見ていたものの、無言でひたすら働く彼に段々と優しくなり始める者が出だしていた。それでも彼は笑顔一つ見せず、ただ不愛想に働き続けていた。
「命は…助かったと思っています」
「命は…か。生きるってなんだろうな」
 あくまで目は書面から上げず、独り言のようにグレシアは続けた。
「昔、思った。監禁されて道具のように弄ばれながら、これは生きていると言えるのかどうか。…って」
 彼がグレシアの下で働くようになって数週間。グレシアがギャレットにこんなにたくさん話したのはこれが初めてだった。
 ギャレットが訊いた。
「……死にたいとは?」
「何度も思ったよ。でもやめた」
「…………強いんですね。俺は…弱い」
「…………」
「弱いから…自殺しようとして、それでも怖くて自分じゃ死ねなくて……苦しくてどうしようもなくて…死刑になろうと、思いました」
 冷たい目でグレシアが言った。
「手が止まってる」
 無言で仕事に戻った彼に、自分は手を止めてグレシアは再び大きな声の独り言を続けた。
「…運が良かった。…いや、それだけじゃないけど…とにかく、運が良かった」
「運……」
 手を動かしながら答えた男に、グレシアが続ける。
「たまたまいい親といい兄貴に恵まれた。父の形見と兄貴の存在がなければとっくに死んでたと思う。君と比べて私が特別強かったわけじゃない」
「…………」
「自殺する人としない人の差なんてそんなものさ。別に死なないやつが特別強いわけじゃない。自殺する人間が…弱いわけでもない」
 部屋の空気が淀んで、少し暑くなり始めていた。外の太陽が、閉めてあるカーテン越しに室内を照らす。窓を開けずにグレシアは淡々と続けた。
「人生の中で絶望しかなくて、プライドも、人としての尊厳も、今までの自分の全てを奪われてなくして壊されて、未来にも希望なんてこれっぽっちも持てなくて、もう本当に死んでしまいたいと思うような時期なんて、案外経験者は多い。特にこんなご時世じゃなおさらだ。自殺してしまう人たちはきっと…本当にたまたま…偶然その瞬間に針が振り切れて逝ってしまっただけなんだ。ただ偶然…その瞬間に何かがひっかかって針が振り切れなかった人間が運良く生き延びる。そうして死ななかった人間が、一年後には思いがけずその時よりずっと希望が見えていることだってある。一時の思い込みで死んでしまうなんてもったいない…とは、助かった人間だからこそ言えることで、実際に今絶望が全てで楽になりたいと願う人間には何も響かないだろうけれど」
 育ての親であったシドに死なれて投身自殺を図ったセリスも同じだ。あの時、死ぬつもりで飛び降りても運が良くて偶然死ななかった。だから…今こうして皆と笑っていられる。ロックと、幸せでいられる。無論、辛いことも多かっただろうし彼女が歯を食いしばって乗り越えたことも多いだろうが。
「…私が振り切れそうになっていた君の針をあの瞬間止めたことで、君はまだ生きている」
「…………」
「それを運が良かったと考えるか悪かったと考えるかは知らない。ただ、君にはそれを考える時間がある」
 時間だけが…大量にある。
 考え、悩み、苦しむための時間が。
 そしてその先に何があるかさえ見えない真っ暗な道が。
 そっと窓を開けて、グレシアが初めてギャレットに小さく笑った。

「あとは自分で考えろ」

 窓から気持ちのいい風が舞い込んで、窓際に座っているグレシアの髪を撫でる。
 机の上で、書類の重石にしているガラスの虹の置物が太陽の光を受けて、パラパラと端が舞い上がっている紙にカラフルな光を落としていた。
「…………はい」
 泣きそうになりながら、小さな声で。
 それでもはっきりと返事をした男の脇を通り抜けて、グレシアは部屋から出て行った。





 稽古場でマッシュに倒された大量の騎士や兵を見て、グレシアが苦笑する。
「…マッシュ兄、まさか一人で全員相手してたの? 朝からずっと…?」
 グレシアは朝から自分の執務室で仕事していたが、その間ずっと戦っていたのだとしたらマッシュの持久力は千人前だ。
「がっはっはっは! 今回は相手が多くてなかなか骨が折れたぜ」
「どういうこと? なんで対戦相手がそんなに多いのさ」
 すると、同じく執務室から出てきたばかりらしいエドガーが何人かの部下連れで通りすがりに笑う。
「知らなかったのか? グレシア。そこで倒れている者たちは皆、お前の交際申し込み希望者だ」
「………はい?」
 思わず目が点になるグレシア。何事もなかったかのように部下と話しながら行ってしまうエドガー。
 マッシュが楽しそうに笑いながら言った。
「ちなみに俺に勝ったら兄貴と戦う権利が手に入って、兄貴に勝ったらお前に手紙を送る権利が手に入るんだそうだ」
「ち…ちょっと待て…ッ! それって昔エド兄が言ってた方針ってやつだよなッ?!」
「だな」
「い、いやいやいやいや。おかしいってッ!! それは私が好きになった人を連れてきたらの話だろッ?! なんか順番が逆になってないッ?! なんでそれが私に交際を申し込むための条件みたいになってんのッ?!」
 脇に置いてあった上着をバサッと肩に担いで歩きながらマッシュが笑う。
「いや、それがよ。一年前のレオの一件で兄貴がそういう条件を出したって話が騎士連中に広まっちまってな。んで、騎士連中の間では俺たちを倒せば堂々とお前に交際を申し込めるって事で、今まで諦めてた奴らに火が付いたんだとよ。ま、俺としちゃ手合わせする相手が多いのは歓迎だけどな。うちの騎士連中はどいつも手強いからな…いい修行になるぜ」
 不敵に笑っているマッシュに呆れた声でグレシアが言う。
「…………ありがたいこと…なのかな。もう、そういう話は一切ないかと思ってたんだけど」
 十六の時に決まりかけた縁談がすったもんだの末に消えて以来、恋人ができたと思ったら暗殺事件に発展するわ、その後来た縁談はことごとくエドガーが跳ね返すわですっかり婚期を逃してしまっていた。それでも縁談話は尽きなかったが、帝国の皇帝からの縁談話が出始めてからは他の話はほとんど来なくなってしまっていた。
 そこに例の誘拐監禁事件である。
 もう嫁の貰い手なんてつかないだろうと陰で嘲笑する人々もいるくらいだ。修道院にでもいれられるんじゃないかという噂話もある。…無論、グレシア自身は気にも留めていなかったし、今の彼女には神に仕えて祈って暮らすより、エドガーに仕えてこなさなければならない仕事が山のようにあるから、現実的に考えれば到底そんな事には成り得ないのだが。それにしても嫁に貰いたいと言ってくる男がいるとは思わなかった。
 少し真面目な声でマッシュが言った。
「連中は本気だぜ。元々お前に惚れてる奴は多かったらしいが、この前のギャレットの一件もあってかうちの騎士連中は本気でお前に惚れこんでるみてぇだ。貰い手が付かねぇから貰ってやろうなんて奴は一人もいねぇよ。どいつもこいつも、みんな惚れたお前を命がけで幸せにしたいって奴ばっかだ。…戦った俺にはわかる」
 エドガーやロックならまだしも、マッシュがここまでストレートに愛を語るとは思っていなかったのか、珍しく少し顔を赤くしながら表情を誤魔化すようにグレシアが怪訝そうな顔を作って言い返す。
「そ…そこまでして手紙を送って交際を申し込んだところで、私がノーって言ったらそこまでなんだよ…? 彼らはそれを理不尽すぎるとは思わないのか?」
 少し考えてから、マッシュがニカッと笑って言い放った。
「んな心配いらねぇよ。俺は負けねぇから」
 絶賛天然モード発動中のマッシュに、今度こそグレシアの叫び声が響いた。
「だぁから…順番が逆だーーッ!」





 平和なフィガロ城とは裏腹に、各地でケフカの気まぐれな裁きの光による被害が相次いでいた。未だ復興が続くフィガロでそれらの被害への対応もしなければならないエドガーとグレシアの仕事は減ることがない。
 最近ではマッシュが手伝うことも多かったが、彼らフィガロの人間だけでなく他の仲間たちもよく手伝ってくれていた。
 元々ロックは情報収集面でエドガーに協力していたが、セッツァーが飛空艇を出してくれるおかげで情報収集力が飛躍的にあがっている。元帝国からフィガロに入った兵士連中をまとめてケフカの災害対策隊として指揮を執ってくれているセリスや、カイエンをはじめとする元他国の将軍たちの協力も大きい。ちなみにリルムがスケッチで出したエドガーやグレシアを公務に使用するのは、子供に働かせていたことがばあやにバレてしまい、小一時間説教されたうえで全面禁止となってしまった。






 
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