novel

□Episode7(6)
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 一行がドマ城の視察を終え、久しぶりのフィガロ城に戻ると、また再び仕事の山が待っていた。
 グレシアが自分の執務室で仕事を片付けながら合間に仲のいい騎士から話を聞く。
「……ギャレットが?」
「俺たちも意外だったんですが…。どうやら彼は、医療技術だけで皇帝の親衛隊に入ったわけじゃなかったようです」
 元々剣の腕が立つ帝国兵士で中隊長クラスくらいまでは剣の腕だけで昇進していたらしい。魔導実験部隊に特別手当がもらえるという理由で自ら志願し、魔導の力を修行でコントロールできるようになった結果、上級魔法を使いこなし特に治癒魔法の腕は天下一品とあって、皇帝が彼を気に入って半ば無理やり親衛隊に抜擢した。が、性格が思った以上に潔癖過ぎて使い物にならなかったため、親衛隊内部での地位は低かったようだ。大人しく言うことを聞いているうちは殺されずに済むという程度の扱いで、仕事は汚いどころの話ではない。裏世界で目の当たりにした地獄は、それまで真面目に自分の力で成長、昇進を繰り返してきた純真な青年の心を折るのに充分だった。妹を盾に脅迫されては逆らうこともできず、どんどん手を汚す結果となった。
「…ガストラも勿体ないことしたもんだってみんな言ってますよ。あいつを戦場に出してたらかなりの戦力だったでしょうに」
 嬉しそうに話す若い騎士に、グレシアが訊いた。
「それじゃ、もうかなり騎士団のみんなとは馴染んだ?」
「それは…どうでしょうね。俺は奴のことは嫌いじゃありませんが…。なにぶん、俺を含め騎士団には殿下のファンが多いものですから。何が何でも奴を受け入れたくない連中も多い。おかげで…」
 稽古と称して喧嘩沙汰一歩手前のごたごたが絶えない。ギャレットが剣士としてもかなり強いからいいようなものの、そうでなければ完全に一方的な暴力沙汰だ。
 苦笑してグレシアが言った。
「…ギャレットは毎日それを全部黙って受けてるわけか」
「恐ろしいくらいなんの文句も言いませんね。あそこまで言われれば俺なら十倍くらいは言い返していると思いますが…。とにかく無口で。…彼なりの殿下に対する忠義…なんでしょうか?」
 忠義。いかにも騎士らしい考え方だ。
 グレシアがふっと笑って返した。
「さぁな。でも、医療に従事してくれてるだけでも充分だったのに、わざわざ剣をとって騎士団の一部の連中に疎まれて嫌な思いをして、それでも更に剣を持ち続ける…てのは、何か考えがあるんだろうと思うよ。…騎士の忠義、か」

『俺は………君を大切にしたい。君の気持ちが俺になくてもいい。たとえ君が他の者を愛したとしても…俺は君の騎士として、君に尽くしたい』

 グレシアの人生上、あれほど忠義に生きて忠義に斃れた男は他に知らない。…ティナ風に言えば、愛だ。

「アシュレー」
「はい」
 グレシアが文書を騎士に返しながら言った。
「瓦礫の塔の調査レポート、ありがとう。もう目を通したから、エド兄に返しておいて」
「イエス。ユア、ハイネス」
 いつもの笑顔で軽く返事して受け取った男に、グレシアが小さな声で付け足した。
「それと…」
 ん? と思ったアシュレーが訊き返そうとした時だった。
「…『身内』同士のいざこざは程々に。元々全部私のせいだからあまり言いたくないけど、だからこそ余計にこの件でみんなにまで嫌な役をさせたくはない。それは私の仕事だ。『稽古』は騎士として恥じない範囲にしておいてくれ」
 …平たく言えば、彼をいじめていいのは私だけなんだからなというところだが、子供の頃から彼女をよく知っているエドガーより一つ年上の騎士は、小さく苦笑した。
「伝えておきます。俺が言えば、少しは効果があるでしょう。…相変わらず、御父上に似て損な役回りがお好きですね」
 フィガロに代々続く中級貴族出身の彼としては、グレシアのことは自身の妹のようなものだった。無論、身分のことがあるから口が裂けてもそんな風に思っていることは口に出せないが。
「アシュレー」
 部屋を出ようとしたところで呼び止められて笑顔で振り向く。
「なんですか?」
「君は彼と戦ったことがあるか?」
「ありますよ。ふふ…こう見えて一応、師団長ですから」

「どっちが勝った?」

 口元だけで笑って騎士は答えた。

「当然、私です」





『あいつらの一つ上か。子供同士、仲良くしてやってくれ』
 二十年前、そう言って父の足元で緊張しきっていた小さなアシュレーの頭を撫でて、前国王は笑った。直接謁見した記憶はその一回だけだったが…遠目に見ていてもよく笑う人だった。
 そのせいか彼の子供も…三人ともよく笑う。


 あの人はベッドの上から窓の外を眺めながら、この城の誰より人々をよく観察していた。
『なぁ、アシュレー。俺と友達になってくれよ』
『殿下…。私は、殿下方とは身分が違いますから…父上に叱られてしまいます』
『殿下じゃなくて、マッシュって呼んでくれよ。そっちのほうが好きなんだ』
『……申し訳ありません…殿下…』


 あの人はいつも人懐っこい笑顔で周りの年上を姉さん兄さんと呼ぶのが好きだった。
『ねぇ、アシュにぃ。アシュにぃも一緒におやつ食べようよ。なんでいつも稽古が終わったらすぐおうちに帰っちゃうの?』
『…私の家は伯爵家ですから、姫と同じ席につくわけには…』
『えー…つまんないよぉ…』
『……申し訳ありません…姫…』


 あの人は昔、アシュレーのことを愛称でアッシュと呼んでいた。
『なぁ、アッシュ。稽古付き合ってくれないか? 今日、ジェフリーが留守なんだ』
『わかりました。エドガー殿下』
『…言っておくが、手加減なしだぞ?』
『い、いつもそんなことしてませんよ』
『なぁ、アッシュ。お前なんで急にそんな話し方になったんだよ。前は普通に話してたじゃないか』
『……それは…』
『お前の親父さんが何か言ったのか? だったら俺が親父に言って…』
『…いいんだ。エドガー。…これは俺が自分で決めたことだから』
『……………そうか。…寂しくなるな、アシュレー』

『……申し訳ありません…殿下…』



 きっと三人とも他の人でも似たような経験を何人もしてきたのだろう。三人とも、アシュレーが申し訳なさそうな顔をして謝って見せれば絶対にそれ以上は何も言ってこなかった。
 ただ…断った時の三人の寂しそうな顔は忘れられない。
 あの時、笑顔で「いいよ」と答えて彼らの手を取っていたら、家はきっと勘当でもされて…今頃ロックやセリス達のように一緒に旅でもしていたのだろうか。護衛としてではなく、仲間として。
 大好きだった、国王一家。
 自分の父が彼らを守る騎士だと初めて聞いた時の誇らしい気持ちは今でもよく覚えている。
 一緒に稽古していたエドガーは気の置けない親友だったが、父のようになりたければあくまで仕える身分だということを忘れてはいけないと言われた。
 そして結局、アシュレーは彼らの友人になるより自分の家を継ぐ道を選んだ。そして騎士として彼らに仕え、人生を捧げることを決めた。
 父は十二年前に亡くなって今はアシュレーが当主となり、アシュレーの騎士としての功績が認められて爵位も上がり、家は侯爵家になった。一族の皆からは稀代の名当主だと囃し立てられている。
「お呼びですか? 陛下」
 いつもの笑顔でエドガーの執務室に入る。
 要件はやはり瓦礫の塔に関してだった。
 調査もほぼ完了しており、作戦会議も順調であとはいつ突入するかだけだ。
 一通り仕事の話が進んだところでメイドが淹れてくれた紅茶を勧められて一緒に飲んで軽く雑談する。…ちなみにこういう時アシュレーは必ずエドガーより先に軽く口をつけるようにしていた。エドガーにはいつも皮肉を込めて護衛の鑑だといわれていたが。
「大型新人の扱いに手こずってるそうじゃないか」
 笑っているエドガーに苦笑して返す。
「…さすが陛下。お耳が早い。先ほどグレシア王女に釘を刺されたばかりですよ。…あまりいじめないでくれ、と」
「はっはっは。お前も苦労するな。生真面目なお前のことだ。どうせお前はいつも止めに入ってばかりなんだろう?」
 そっとカップを口につけてから、真剣な目でエドガーを見つめてアシュレーが呟く。
「……いえ。一度だけ、本気で手合わせしましたよ。無論、非公式ですが」
 空気が変わったのを感じ取り、エドガーが思わず呟いた。
「ほう。…そんなにか」
 他の者と戦っている間、横で見ていて相手の力量はある程度分かっていたはずだ。にもかかわらずこの男が本気で戦う相手となると…。
「…ええ。あれなら我々師団長クラスと比較しても遜色ないレベルです。しかも軍に志願しています。末席で構わない。どんな仕事でもする…と」
「ふむ…。お前と互角とはな……」
「いえ、私のほうが『上』です」
 勝ちましたから。と、引きつった笑顔で強調するアシュレーに、エドガーが少年のような砕けた顔で笑う。そんな顔で笑ったところを見たのは本当に小さい頃以来で、面食らって絶句しているアシュレーにエドガーが笑いながら言った。
「なんて顔してる。俺がこんな風に笑うのはおかしいか?」
「い、いえ…」
 前王によく似た、いつもの余裕に満ちた好戦的な笑顔でエドガーが朗々と続けた。
「グレシアやマッシュだけでなく、俺も変わったのさ。…仲間や友人と旅をして、家族と沢山過ごして。色々あった。その中で間違えてしまった選択もある。だが、もはや後悔はすまい」
「陛下……」
「はっはっは。国王が選択を間違えることなど本来あってはならん。そこは反省すべきだと言い出すのがお前の仕事じゃないのか?」
 笑顔のまま言われて、必死に顔を取り繕って話す。
「そ…そうですね…。過ぎたことは言いませんが、できれば今後は………その…きちんと護衛を…」
「ほう。護衛をね」
 まだ顔に笑いが残っているエドガーにアシュレーが小さな声で言った。
「……私も、お供させてください」
 今度こそ大きな笑い声が響いた。
「ははははは。初めからそう言え。…まったく、まさか俺が国王でお前が師団長になる日が来るとはな…アッシュ」
 その言葉に込められた懐かしい響きに耐え切れず、極々小さな声で呟いた。
「…似合ってるよ。エドガー。お前は何も間違っていない。…信じた道を進め」
 約二十年ぶりに吐かれた血の通った言葉に、今度はエドガーが絶句する。
 固まっているエドガーを見てふっと軽く笑って彼はいつもの笑顔で軽く言い放った。
「これで、おあいこということで。陛下」
 乾いた笑い声がエドガーの口から洩れる。
「ははは…。してやられた。なぁ、今夜は一緒に食事でもどうだ? 他の仲間やマッシュやグレシアもいるが」
 エドガーは彼らと過ごして変わったのだという。…もうそろそろ、アシュレーも変わってみてもいいのかもしれない。目の前の王は、そう思わせてくれるような親しげな顔で笑っていた。


「はい。喜んで」 




 
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