こってりデザート(走灰R-18)

□誘惑のクチビル
1ページ/1ページ





 もぐもぐと、口元が動いている。
 咀嚼し終えて喉仏が上下し、再び開いた形の良い唇の間に箸でつまんだ黄色い卵焼きが消えていった。
 たったそれだけの動きに目が吸い寄せられてしまうのは。

 固まる走の様子に気が付いたらしく、ちゃぶ台を挟んで向かいで朝食を口にしていた清瀬は顔を上げると首を傾げた。

「どうした、走」

 同じ台詞が、もっと熱く湿った吐息と共に鼓膜を揺らしたのはつい昨晩のことだった。

『どうした、走』

 そう言って、暗く照明を落とした空間に浮かび上がる身を屈めた白い背中と敏感な先端に触れた指先。蘇る光景と感触に、ぶわりと顔に血が上る。

「なっ、なんでも!ないです!!……それより、ハイジさんの身体は大丈夫ですか」

 飛び出す上ずった声を取り繕うように走は話題を振ったつもりが逆効果だった。

 余計と記憶の底から溢れ出してしまう昨日の情景。

 色っぽく染まった肌に浮かぶ汗とこちらを見上げる潤んだ瞳が目蓋の裏をちらついたせいで、味噌汁のワカメが喉の奥に張り付き窒息しそうになった。反射で咳き込めば口の中の豆腐の欠片だとか白米だとかが飛び出しちゃぶ台にへばりつく。

 最悪だ。

 おいおい大丈夫か、と苦笑しながらコップにピッチャーから麦茶を注いで清瀬が渡してくれるのを走は涙目で受け取った。ごくごくと飲み下す麦茶に乗って、無事に胃の方へと流れていったワカメにほっとため息を吐き出す。

 ――――もとはといえば、ハイジさんのせいだ。

 背中をさすってもらいながら、内心で呟いた走の脳裏によぎったのは数字にしてしまえばおよそ8時間ほど前のことだ。

 初めて走が清瀬と身体を重ねたあの瞬間。想いを伝えて交際を始めてから数か月で、お互い探り合いながら縮めていった距離をようやくゼロにすることができたひとときは、走に信じられないほどの至福をもたらしてくれた。
 ちょっとした『弊害』も一緒に連れて。

 ◆◆◆

 あれは、いざ挿入、という段階になって昂ぶった自身に走がゴムを被せようとしたときのことだった。

 走だって男だ。清瀬と肌を合わせる前に何度か自分で装着の仕方はネットで調べていたし、イメージトレーニングも完璧のはずだった。けれど、既にいくらか触れ合って興奮した状態に加えてついにこれから清瀬を抱くのだという緊張下、しかも薄暗い室内という悪条件が重なり、開封するのも四苦八苦、更には早速コンドームの裏表が分からなくなり頭がパニックになった。

 落ち着け、俺。落ち着いて、深呼吸。

 清瀬の身体を開いた後でローションにぬるつく手が震えて、半透明の薄いゴムがこぼれ落ちる。

「どうした、走」

 手間取っている走を心配したのかそれとも焦れたのか、清瀬が布団の上で身を起こしてきた。

「あ、いや、えっと……その、ゴム、が」

 正直に言うのも恥ずかしくて言葉を濁せば、ふ、と笑みが零される気配がして目元に唇の柔らかさが触れた。

「貸してみろ」

 清瀬が新たなゴムの包装を手に取り開封した。流れるような手つきで走の先端に入り口を当てて、そのままくるくると下ろしていく。時折掠める指先の感触にさえどきどきと心臓の鼓動が高鳴るのを走が感じていたその時。

「……ちょっと萎えたか?」
「え?」

 ふと呟いた内容の意味を咄嗟に把握できずに聞き返したが、清瀬が返事をすることはなかった。代わりに上体を屈めて唇が触れた先は。

「……っ?!ハイジさん!?」

 ゴムの装着にもたついている間に少し力を失ってしまった走の先端に、清瀬が口付けていた。それから大きく開いた口の中へと飲み込まれるにつれて、薄い膜を通して伝わってくる口内の熱さ。無防備に晒された背中の白色が、目に焼き付いて離れなくて――――。

 ◆◆◆

 ぶんぶんと走は首を振った。

 そうじゃない。そうじゃないんだ。俺はハイジさんの身体の具合を訊きたいだけで。もう一度訊こう、と思ったところで清瀬の方から口を開いた。「俺のことなら、大丈夫だから」と言いながら、食卓の上をティッシュで拭き始める。

「怠かったり……そういうのは、平気ですか」
「ああ、問題ない。誰かさんに随分優しくしてもらったし……正直に言うと、気持ちよかったよ」

 少し照れくさそうな色を浮かべて向けられる至近距離の微笑みは反則だ。

『気持ちよかった』

 拾ったワードが頭の中でエコーするようだった。

 そうだ、俺も、気持ちよかったんだ。ハイジさんの中もそうだけど、口でされるのが。

 這わされた熱い舌の動きを思い出す。零コンマ何ミリの隔たり越しでもあんなに気持ちが良かったのだ。きっと、何も着けずに直接包まれたなら感覚はもっと強烈なものになるに違いない。

 ……なんて、清瀬の口元を見るたびにそんな考えが浮かんでしまうなんて、どうかしている。自慰を覚え立ての中学生じゃあるまいし。

「走」

 突然、名前を呼ばれて考えていたことが考えていたことだっただけに飛び上がりそうになった。

「はい?!」

 返事が裏返る。
 気付けば清瀬は走の瞳を覗きこみ真っ直ぐに見つめていた。重なること数秒の後に視線がちらと向けられた先に、走は身を強張らせる。

「あ……、いや、これは、」

 穿いていたスウェット越しに、緩く立ち上がった自身が存在を主張しているのが分かって顔が熱くなる。清瀬がくすりと笑うのが聞こえて走は慌てて立ち上がろうとした。

「すいません!ちょっと、抜いてきま、」
「その必要はない」

 服の裾を掴んで引き戻されて、すとんと腰が落ちた。するりと中に入り込んだ手のひらが優しく走を包み込む。は、と思わず吐息が零れた。

「こういうときのための恋人だろう?」

 囁く清瀬の手がゆっくりと上下して、肌が粟立つ。直接的な刺激が快感となって背筋を駆け上った。下着のゴムをずらして走のものを露出させたところで清瀬は次の動きを見せる。首を軽く傾けて屈み込んで。走の脚の間に入り込んだ姿が、昨晩と重なり思わず息を飲んだ。

 してほしいなんて、一言だって頼んでいないのに。

「ハイジさ、ん、なんで……っ」
「きみは分かりやすいからな」

 清瀬は面白がるようにそう言った。
 そんなところで喋るのはやめてほしい。敏感な中心にかかる息遣いにさえ反応してしまう自分がいる。

「下手だったら、言ってくれ」

 言葉と共に、触れる唇。
 下手なんて、どこがだ。
 走は上がりかけた声を手の甲で覆って押し殺した。

 じゅわりと濡れ始めた先端に清瀬の柔らかい唇が押しつけられては離れを繰り返す。その間も擦り上げる手の動きは止まることがなくて、素直な走の身体は血液をどんどん下腹部へと送り込みむくむくとそこが育っていく。浮き上がった血管に沿って這わされる舌と自分を遮るものがないせいで、表面の少しだけざらついた感触まで分かってしまう。

 目の前がくらりとした。

 清瀬の髪に指先を差し入れて後頭部に手を添えれば、伏せられた目が上げられて案外長い睫毛に縁取られた視線と目が合う。そのまま舌を出して舐め上げられる様は視覚の暴力だ。
 息を飲んだ走を見上げて目を細めた清瀬が、今度は口を大きく開けて走を呑み込みにかかる。熱い粘膜に包まれていく快感に、精液と間違えそうなほど多めの先走りがとぷりと零れた。

 昨晩のゴム越しの口淫と、その後に身体を重ねたときの感覚がフラッシュバックして腰が揺れた拍子に喉の奥を突いてしまったらしく清瀬が呻く。すみません、と慌てて身を引こうとしたが口に咥えたまま、たぶん「大丈夫だ」とか何とかもごもごと何か言われるくすぐったさに力が抜けてしまう。

 視線を少し横に向ければ、窓から降り注ぐ日の光にまだ食事中の食卓が照らされていた。
 のどかな光景とは不似合いな、色香の漂う空気とくぐもった水音。じゅぼじゅぼと清瀬の頭が上下するたびに先走りと唾液の混じったものが顎から伝い落ち、床へと糸を引く丸い雫を落とした。鼻から抜ける息遣いがとてつもなく卑猥な音に聞こえる。

 ついさっきまでちゃぶ台に並んでいた料理を口にしていた清瀬が、今は走の硬く張り詰めた強ばりを咥えている。そんな事実がますます走の身を昂ぶらせ、意思を持って動く舌に熱が引き出されていった。根元の部分を扱く手が、袋の方にまで伸びて刺激をする。

 頭が沸騰しそうなくらい、気持ちが良い。
 やばい。

 脳内の片隅に辛うじて残っていた理性が警鐘を鳴らす。

「はっ、ハイジさん、も……出る、から!」

 後ろ髪を引っ張って剥がそうとしたのに、清瀬は口を離すどころか更に深く中へと咥えてきて吸われる。

 不意打ちに目の前に火花が散ったかと思った。
 訪れた解放感に腰が震える。咄嗟に清瀬の後頭部を抱え込んで自分の方へと押し付けてしまっていた。昨日も出したにも関わらず、びゅくびゅくとしたしばらく止まらない射精の余韻にため息をついてから、一気に血の気が引いた。

「ハイジさん!?」

 慌てて身を引けば、喉の奥からずるりと自身が抜けていく感覚にぞわりと鳥肌が立ったのも束の間で、激しく咳き込む清瀬に罪悪感が押し寄せる。

「あの、すみません、俺!えっと、ティッシュに……」

 ティッシュに吐き出してください、と言おうとした走の前で、ごくりと清瀬の喉が鳴った。走は目を見開く。

「ハイジさん!?」

 眉根を寄せた清瀬が口の端を親指の腹で拭った。

「これは……なかなか独特な味がするな」
「〜〜ッ!!」

 清瀬のコメントに返す言葉もなく、頬がかっと熱くなった。視線を合わせられなくて泳いだ目が食卓上のピッチャーを捉えたから、今度は走が麦茶を注いで渡す。ありがとう、と微笑む清瀬に問わずにはいられなかった。

「なんで……飲んだりなんか」
「走は嫌だったか?」
「俺じゃなくてハイジさんの話です。気持ち悪いって、思ったり……」

 清瀬が口に含んだ麦茶を飲み下した。

「別に気持ち悪くはなかったよ、味はすこぶる不味いけれど」

 口端を吊り上げ笑って続ける。

「でも走のものだし、それに、走が反応しているのが分かって俺も興奮した」
「……ハイジさん」

 無自覚なのか、それとも確信犯なのか。

 なんでそういう言葉選びをするんだよあんたは!

 心の中の叫びは衝動となって走を突き動かした。肩に伸びた手が清瀬の身体を押し倒し、飲み干したプラスチックのコップが床へと転がった。

 走を見上げる清瀬の唇が弧を描く。

「走」

 呼ばれるままに引き寄せられて口付けた先は微かに苦い。麦茶で冷えた口内に二人分の体温が染み渡っていく。



 食事の後片付けができるようになるまで、まだまだ時間はかかりそうだ。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ