各種寄せ鍋(CPごちゃ混ぜ)

□Where it is.
1ページ/1ページ





 4年生のキャプテンは、泣いていた。涙声で謝罪する先輩を慰める同級生と、来年は俺たちが、と決意を表明する3年生以下の者たち。

 俺は口の中に血の味が広がるまで唇を噛み締めた。

 1年生の中で唯一箱根を走った俺へ、チームメイトは『お疲れ、良くやった』と声を掛けてくれるが、とても喜べたものじゃなかった。

『俺はもう、絶対に終わらせたりしない』

 なんだよ、それは。
 怒りを堪えているわけでも、おどおどとしているわけでもない、真っ直ぐな視線と、淡々と告げられた声音。

 初めて、ちゃんと見た。
 あいつの走る姿を前や横から映していた中継のカメラ映像に、気が付くと視線を吸い寄せられていた。

 足先から着地して、軽やかに蹴り出す足元。綺麗に伸びた姿勢。ひたりと前を見据える双眸は、きらきらと輝いているようで見たことがないほど生き生きとしていた。

 いつも見ていたのは背中だけだった。後ろから、決して埋まらない差に歯を食いしばるしかなかった思い出の苦い味が蘇って、口元を歪める。

 2年連続のシード逃しという結果への反省会の最中、俺は自分の脚を見下ろした。

 俺に、あの走りさえあれば。

 くそっ。

 捌け口のない感情を持て余してどうすることもできないまま過ぎていった俺の初めての箱根の夜から、1週間と少し。

 日も傾きかけた夕暮れ時、俺は蔵原と最寄りの駅前でばったり遭遇した。

 何でいるんだよ、と思ったのはどちらも同じのようででも無視して歩き去るにはお互い今まで色々ありすぎる。気が付けばどちらからともなく歩み寄っていた。

「何してんだ、こんなとこで」

 上背は蔵原の方が俺より高い。下から睨み上げるようにして問えば、蔵原が眉間に皺を寄せた。躊躇うように目を泳がせてから、もぞりと口元が動く。

「ハイジさんの、お見舞い」
「へぇ」

 そういえば、と思い出した。
 箱根の10区を走り終えゴールしてからは一人でまともに歩けもしない様子で、蔵原の肩を借りてようやく立っていた寛政大キャプテンの姿。
 俺たち東体大を蹴落としてシード枠に滑り込んだくせに手短に終えたインタビューの後、さっさと姿をくらませた寛政大の連中はどこへ行ったのかと思いきやキャプテン様ご本人が病院に搬送されていたというわけか。

「なんだ、入院してるのかあいつ」

 ちょっと笑って言ってやったら、鋭さを帯びた視線が降ってくる。簡単に揺さぶられるこいつを見ているのは、面白い。

「その顔を見るに良くなさそうだな、全治どのくらいだよ?」

 ざまあみろだ。そんなことを思っていた矢先に返ってきた言葉は予想外のものだった。

「ハイジさんは、もう走れない」

 浮かべていたつもりの薄ら笑いが強張るのが自分でも分かった。

 ランナーとって走れないこと、その感覚はつまり翼をもがれた鳥に等しい。昔に一度、軽く足首を捻挫をして安静を命じられたときのことが蘇る。

 走れない焦燥と恐怖。ふつふつと込み上げるものがあって俺は拳を握り締めた。

 俺とは関係の無い人間の話だ。なんでこっちがかき乱されなきゃいけない。

「……相当な馬鹿だったんだな。あのひと」

 声を震えないようにするのがやっとだった。

「脚壊して手に入れたのが、次に繋がるか分からないシード権?馬鹿じゃないのか」
「繋がる」

 蔵原の声はやけに落ち着き払っていた。

 あの、目だ。
 終わらせたりしない、と言い切った瞳が俺を見下ろしていた。

「俺たちの走りに、続きたいと思う人は絶対に居る」
「根拠のない大層な自信だな。けど、ランナーが走れなくなったら終わりだ。馬鹿だよ、自滅型ってやつ?」

 沈黙が下りた。快速電車がゴオゴオと音を立てて通過していく騒音と、行き交う人々の足音がする。
 ちらりと目線をやった先の拳を見てみれば、握り締められているわけでもなく自然に指は伸びている。手が出るのを堪えているわけではなさそうだ。

 そんなことを思った矢先、独り言のような呟きが聞こえてきた。

「……そうじゃない。走るだけじゃないんだ、走るってことは」

 は、と声が零れた。

 走ることは、走るだけじゃない。

 こんな禅問答みたいなことを言い出すようなやつだったか、こいつは。

 とらえどころのなさが俺を機作苛立たせる、
 切れて殴りかかってくる頃の方がまだよっぽどマシだ。俺は吐き捨てた。

「意味、わかんねぇ」

 蔵原が、ふっと笑みを零して口元から白い息がふわりと立ち上った。困ったような苦笑いが斜陽に照らされ色付いている。
 初めて見る、大人びた表情は俺の居心地を悪くさせた。

「俺もさ、正直よく分かってないんだ。だから走る。走って、知りたいと思う」

 目を細めて、日没の迫った茜色の空を見上げた蔵原は「そろそろ帰らないと。夕飯なんだ」と言って俺から離れた。

「蔵原」

 遠ざかる背中を呼び止めた。振り返るのを待って、視線を捉えて、言い切ってやる。

「絶対、抜かすからな」

 蔵原は少しだけ口角を上げた。

「また会おう、榊」

 軽快な足取りが、走り出す。駅から出てくる人の波に呑まれてすぐにその後ろ姿は見えなくなった。

 後ろ姿なんてもううんざりだ。俺も脚に力を込め、アスファルトを蹴る。


 走って、知ってやろうじゃないか。おまえのその先の世界を。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ