長編その1 @

□突然出会った王子様
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桜がぽつぽつ咲き始めたある日、香は夜勤明けの疲れた身体で職場の向かいにある公園のベンチに座っていた。

「疲れた…」

大きくため息をついて職場の自販機で買ったまま飲むことができずにいたミルクティーを飲んだ。
看護師の仕事を始めてもうすぐ6年目。
独身の最後の同期が結婚することになったと今朝聞かされた。

『河嶋さんはいつ?』

いつもはスルーできるドクターの嫌味な発言も、今日はずっと引きずっている。

別に結婚したいわけじゃないもん。

そう思っているのに何故こんなにモヤモヤしているのか。
その理由はちゃんとわかっていた。

でも、恋はしたいなぁ…。

彼氏がいない歴が5年になると流石に焦りはするものの、ここまでくるとどうやって恋愛していたのか思い出せなくなっていた。
仕事で頼られるようになってくるのと反比例するように、恋愛からはどんどん遠ざかっていく。

「…はぁ…帰ろ…」

こんなところで腐ってるくらいなら、早く帰って寝よう。
最近は夜勤明けで遊びに行ったりできなくなってきた。
付き合ってくれていた友達も皆、結婚して家庭を持って子どももいるから全然誘えなくなったし…それよりも早く帰って、お風呂に入って、早く寝たい。

少しふらつく足で立ち上がると、すっかり真上にきている太陽が眩しい。
公園で遊ぶ子供達の声が楽しげで、いいなぁと思って目を細めたその時。
少し離れた噴水で小さな子が噴水の水をパシャパシャと触り遊んでいた。
水の中を覗き込むようにしていると、静かにぽちゃんと頭から落ちてしまった。

一瞬何が起きたかわからなくなるほど、静かで、周りの人達も誰も気づかないせいで香も自分の見間違いかと思うくらいだった。
こんなとき、人は大声を出せないものなのだと実感した。
香はふらつく足で出来る限りのダッシュをし、噴水に飛び込んだ。

突然、女が噴水に飛び込んだだけのように見えただろう。
周りの人達はようやくざわつき、噴水に注目した。

「ようちゃん!!」

噴水から香が顔をだし、抱えられた子どもがむせながら大声で泣いて、やっと子供の母親が事態を飲み込んだ。

「だ!大丈夫!?」

やっと出た言葉に、子供は泣くだけだったが大声で泣けるくらいなら大丈夫だろうとホッとした。
見たところ外傷もない。
駆け寄った母親に子供を渡すと、子供も母親に泣きながら抱きついた。

「ようちゃん!ありがとうございます!ありがとうございます!!」

子供を抱きしめながら、母親は香に何度もお礼を言った。
それだけで香の心は軽くなっていった。

「無事で良かったです。着替えはありますか?早く着替えさせてあげてください」

そう言って香が立ち上がると、母親は香に「これしかなくて」とハンドタオルを渡してくれた。
何度も頭を下げながら、母親は子供と帰っていった。
香は「職場に戻って白衣着て帰ろうかな…」と思いながら濡れた服を両手で絞った。
比較的暖かい日だったがそれでも3月下旬、どんどん身体が冷えていってしまった。
くしゅん、とくしゃみをすると、急に影が出来た。

「あの、これ着てください」

そう言って、1人の背の高い男性が香にジャケットを差し出した。

「え」
「まだ冷えますから」

そう言って香の肩にジャケットをかけると、「これも」と言ってスポーツタオルを渡してくれた。

「これしかなくてすみません」
「え、あ、あの、ありがとうございます、でもあの」

香がなんとかお礼を言って、名前、連絡先、と思って顔を上げるとその人の顔を見て固まってしまった。

「えっ」
「あ、ごめんなさい、もう行かなくちゃいけなくて。それは差し上げます」

そう言ってその人は走って行ってしまった。
その後ろ姿をぼーっと見送りながら、香は受け取ったタオルをぎゅっと握りしめた。

「…う、うそでしょ…?」

今の。
確か…


「四ノ宮、那月…?」


呆然と、その場に立ち尽くしてしまった。
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